雪の千歳山

 雪の晴れ間の一日。図書館(2階)から見やる千歳山。
 
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 某ブロック大会の審査のあり方について書こうかと思っていたのだが、東北大会の審査員講評文が一部(お三方分)届いたので、それを先に掲載することにした。
 以下の文章は、すべて大会事務局からメールで届いたものを自分がワープロソフトで打ち直したものです。明らかな誤字を直した以外、すべて原文通りです。こうして自分で打ってみると、批評者の心遣いのようなものがわかる気がします。ご高評ありがとうございました。
 
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鈴江俊郎 氏 (劇作家・office 白ヒ沼代表)
 
お経で始まる幕開けの印象は鮮烈。徹底的に場の空気の感じを作り、その中に役者を自然に立たせる意図の明確さに感心した。落ち着いた空気、葬祭前後の会話に含まれる葛藤を、これまた徹底したはしゃがない演技で、立ち居振る舞いの静かさを通して忠実に伝えようとする意図がよい。葬儀の詳細、「香典っていくらくらい?」「盛籠のお菓子はあとで食べるのかどうか」など、微細な雑事への感心が楽しい。些細なそういうことがらにこそ、リアリティはたくましくたちあがるのであって、悲しいことをただただ悲しさを強調することによって伝えるやり方よりもこちらの方法が効果的に伝わることをよく承知している表現の熟練を感じる。観察の微細さ、繊細さ、視点のおもしろさ。スケッチこそ物語をつむぐものの基礎訓練だ、とここで改めて教わったような気がする。
どきっとするような観察もある。「お骨は箸が焦げるかと思った。それくらいに熱かった」生々しい観察、人の死を決してただ美化したり感情的に流されたりせずに見つめようとする作者のさめた意志を感じる。
高校時代に作った劇の物語の中での恋人の別れ、今の時点での恋人との別れ、伝説の物語の中での恋人の別れ、その三重の別れがこの物語の中で重なり、人間普遍の心のことを、人を恋し、恋した人とは別れなければならないという定めの苦しさを、これほどまでに追求しようとした物語も珍しい。よく計算され、構築された作品だと言える。構築の複雑さへのこだわりがこの作品の最大の特徴かもしれない。よくここまでこしらえあげたものだとその完成された様子には感服する。
役者たちは落ち着いた台詞を、過剰でなく落ち着いて表現しきった。ただ、安定した演技はともすれば変化の乏しさという弱点ともなりやすい。ここまで自然な演技が実行できるだけに、インパクトのあるシーンではほかの場面にはない機敏な動き、少し露骨な感情表現が行われたら一点だけ強い表現として胸に残ったのではないか。
台本上の難点をあえて言えば、この場にいるこの人物たちが、今の時間のうちに差し迫ったなにかの問題が存在する、という状態にない点が、客席に流れる空気をぬるくしてしまいがちだった。観察の細かな台詞は、きっと緊迫した大状況の中で示された時にこそ、いっそう効果的に記憶されたのじゃないか、と想像する。
 
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斎藤 洋 氏 (秋田県高等学校演劇協議会顧問)
 
 葬祭社の通夜会館という舞台設定に意表を突かれました。装置は丁寧に造られていて感心しました。特に正面の障子が非常に効果的でした。装置もやはり舞台で語るものでなければならないと思いますが、この装置は語る装置でした。ただ、照明がやや暗く―葬儀という雰囲気にはふさわしいのかもしれませんが、少し疲れました。衣装はよく工夫されていたと思いますが、葬祭社社員の服装はあれで良かったのでしょうか。
 消防団員の殉職と地域の伝説に基づいた演劇部の台本=『ささやき』を結びつけた展開はドラマを深めました。葬儀の過程が非常に詳しく描かれていて、『ささやき』を軸としたドラマがなかなか見えてこないもどかしさを感じました。登場人物が多いだけに、その関係を明確にする工夫も欲しかったと思います。それと、役を説明するような演技も気になりました。暗転での処理が多くて、その面でもやや疲れました。
 つまらぬことですが、「俊一の伯母の嫁」という役名が気になっています。説明としては解りますが、やはり名前をつけるべきではないでしょうか。
 
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近江正人 氏 (新庄市子ども芸術学校実行委員長)
 
 火災の人命救助で命を落としてしまった若い消防団員と、その葬儀に参列した高校時代の演劇部の仲間、俊一に対するみちこの思いを気遣いながら確かめようとする元演劇部の女子たち、かつて演じた「あこや姫の伝説」の思い出の中で、ささやいた言葉の意味は何か。誰かの為に命を捨てねばならない男たちの宿命は沖縄戦を戦った兵士たちの気持ちにも通じるが、それは義の為に先立たせてしまう恋人への「ごめんなさい」という愛深い女の一言と涙であったという。
 お通夜会館でのリアルな葬儀の流れをセレモニー社の女性社員に筋立てを運ばせながら、袖から参列客の言動なども滑稽に織り込み、ギャグを交えずにしっとりと描いた佳品である。
 私自身、実はこの9月、山形平安典礼で義母の葬儀を行ったばかりで、実際に一軒家の通夜会館を使用しただけに、一場面一場面が切実に思い起こされた。ただ、その分だけ葬儀場面の虚実や、葬祭担当者の言動・服装を注視せざるを得なかった。つまり舞台回しの役でもあるこの社員こそ、実は大切な役で、衣装は絶対、黒。葬儀の指示をもっと大きな声ではっきり出し、抒情に陥りがちな物語を引き締めて引っ張るリアルな演技でなければならなかった。会館の装置もしっかり作ってあるが、台所と茶の間の掛け合いが中途半端で、よく聞こえないセリフがあった。また、茶の間に横の長テーブルを置いてしまったため、人物が入るたびに横に並んでは語るというパターンを作り、動きを単調にした。むしろ、通夜の祭壇の部屋をこそ上手舞台にした方が面白かったのでは。
 物語としては伝説を含んで、とてもきれいな流れだが、葬儀に許嫁を名乗る女の登場はどうか。セリフも乱暴でいかにもリアリティがなく、このような下世話な女に一度でも心を置く俊一に、落ち着いた心やさしいみちこが魅かれただろうかと思うと、どうもあこや姫の伝説のイメージとは食い違い、感情移入ができなかった。葬儀の最中に部屋で、かつての芝居をするという話もうべない難く、むしろ、あこやの伝説そのものを昨年の山東校風に、なぜ美しく哀しい劇中劇にしなかったのかと、とても心残りであった。山形の審査員のわがままな「ささやき」としてお許しあれ。
 
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 文章にしていただくとよく分かります。大会での講評時間は短く、上演直後であることもあって、思う所を忠実に伝えるのはなかなか難しいのでしょう。生徒には通じない揶揄的な言い方や、批判的な調子ばかりが耳に残ってしまう傾向があります。
 「和室での挨拶は立たないで座ってした方が良い、教育的にも」と言われましたが、挨拶する相手が立っているので構わないのではないかと思うのですが…。表彰式での賞状の受け取り方がなっていない学校さんが多かったので、よっぽどその礼儀指導の不徹底の方を指摘したくなりました。また、うちの前後の上演では激しく動く場面が多かったせいか、「少し走る場面があってもよかった」と言われました。通夜会館でどう走ればいいのか、分かりませんが…。「湿っぽい作品を湿っぽくやってしまった。」という言い方もありましたが、これらは講評文にはありません。
 
【追記】
 もちろん、ほめていただいたこともあります。メモを見返すと、「安心して見ていられた」「通夜会館の控えの間が良くできている」「(演者たちの)演技が一つの方向に集中するのが良い」「女子高だが、男性の存在を感じさせる工夫がある(上下の袖からの音声)」「劇中劇との多重的構成がおもしろい」などと書いてあります。
 
 一つだけ言わせていただくと、葬祭社員の服装ですが、初演では黒でした。それが、「他の弔問客と紛らわしい」という指摘があったり、自分の経験では必ずしも真っ黒ではなく(特に女性社員は)、最近のある葬儀(お寺での葬儀でした)などでは、ホテルのフロント係かと見間違うような制服の人が司会進行した例もありましたので、ああいう衣装になりました。ですから「絶対、黒」ではないのですが、舞台ではもう少し黒っぽい服装の方が良かったのでしょう。
 ああ、もう一つ。中国人のお嫁さんには中国名をつけようと思っていて用意していたのですが、実際に使うのを忘れたんです。
 
 ここまで、審査員の講評文をお読みいただくと、最初に掲載した生徒講評委員の講評文が、いかに深く上演作品を理解していたか、あらためて納得されたことと思います。生徒講評委員会の活動は非常に重要な、意味のあることで、全国大会では上演部門と講評部門という分け方で出場することになっています。来年の富山県大会には、東北代表で置賜農業高校の生徒さんが出場します。ある意味、上演校として出場するよりも、この役割の方が全作品を鑑賞できる分、お得かもしれません。
 
 『ささやき』の上演をご覧いただいた方々には、これらの講評文をお読みいただいて、あらためてあのお芝居を思い起こしていただけたら幸いです。
 上演をご覧になっていない方は、脚本を読み合わせていただければと思います。
 → 「高校演劇脚本」の書庫へどうぞ。
 
【補記】
 葬祭社員の演技についてですが、確かに近江先生の指摘されるような見方も出来るでしょうが、自分としては、若い新米社員の造形として、十分だったと思っています。