雪の1日

 講習が1時間もないので、ひたすら雑用を片付ける。東北大会上演を録画したDVDを17人分焼いて部長に手渡した。年内は部活無しにしたので、教室棟で配布してくれるだろう。
 去年も思ったのだが、部室の大掃除して終わるべきだよなあ。
 
 昼頃、3年前の卒業生2人が来校。一人は青森から。この年代の子達は仲が良くて、いろいろ聞くと、大震災時、女川原発にいた子もいるとか。東北大会は講義があって皆来られず、仙台にいる1人だけ観に来てくれていた。
 
 部で購読している「季刊高校演劇」の購読料6000円を入金する。忙しさに紛れていて、催促の手紙が来てしまった。
 
 
 県大会の審査員、村元先生の講評文を掲載します。なお、講師の方々にお渡しした台本は地区大会のもので、実際の上演とも、HPにある東北大会のものとも少し違っていますのでご了承ください。村元先生はその台本を詳しく読み、分析した上でアドバイスしてくださっています。
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 村元 督 氏(劇作家、演出家)
 
総評
東北大会出場、おめでとうございます。完成度の高い舞台でしたし、演技陣が粒ぞろいで、しっかり役者をしていました。声質がいい人が多く、演技の幅も広くて深い生徒が多く、日頃の練習のポイントが適切であることを伺わせる舞台成果でした。また大道具の建て込みも巧く、リアリティたっぷりの演技を助けていました。特筆は、音効のレベルの高さでした。選曲と操作が抜群で「暗転時」の「意味づけ」に成功していました。勿論、脚本もすごく魅力的で、抑えた筆致は品格さえ漂わせています。
しかしながら、東北大会を抜けるには、申し訳ありませんが、脚本と衣装に注文を付けなくてはなりません。気分を害するでしょうが、参考にしていただければ幸いです。
 
今後に生かして欲しい改善点
脚本のリテラシー
1、「ささやいた言葉」が何であったのかが、結局、わかりません。これを観客の想像力にゆだねるという方針なら、せめて「伏線」の張り方に「ヒント」を付帯させて書いてください。
2、「みちこ」を中心に進めているストーリーのはずですが、「高まり始めると、感動がそがれる出来事が挿入されることの繰り返し」になっている気がします。
 順を追うと、5ページでの初出の「みちこ」には、ほとんど「悲しみ」が見えません。耐え忍んでいる姿にも見えません。21ページの俊一の母との再会では、双方に大変な思いがあるはずなのに、動きを見せません。そして、29ページの「みちこ」と「中国人の嫁」の会話内容は、「みちこ」を陳腐に平板化してしまっています。つまり、取材に基づいて知ったエピソードを観客に伝えることに重心が移りかけたまま、「みちこ」の悲しみは、観客に届かないで進むのです。一場の後半で、「みちこ」対峙させるべきは、俊一の母とのぞみではないでしょうか。この劇の、テーマを巡っての対峙です。
 2場では、35ページから38ページまでが不要です。その分、劇中劇を膨らまし、「ささやき」の本質をあぶりだすべきだと思います。そのことで、霊柩車が動かなくなったときに、「みちこ」がとる言動が、しっかりと描ければ、劇中劇を入れた効果と相まって、観客に届ける感動は増幅します。しかし、上滑りの人物描写でした。こうした「みちこ」の描き方の不足感は49ページにも見られます。霊柩車を見送るだけの「みちこ」ってなあに?です。涙とともに乗っていき、火葬場で最後の別れをするはずです。劇構成上、そうでないこの場合でも、見送って涙・・の場面が続くのが、リアリティではないでしょうか。
 しかし「みちこ」は、50ページで、冷静に分析したセリフを言って、哀しみがないかのようなたたずまいを見せます。
 さて、シチュエーションが進み、いよいよ感動の湧く場面は、53ページの「のぞみ」から「遺骨」を渡されるシーンと俊一の母から「遺族席に座ってくれないか」という場面ですが、そこにも「みちこ」の率直なリアクションはありません。特に53ページの「みちこ」のセリフ「ごめんなさい」と「・・あの時の二人の言葉」54ページの「ごめんなさい」は、結局、「観客の理解力」に応えていません。特に、「あのとき」については、今作の劇中劇の中では目立たないからです。
さらに56ページの終わりで「ゆき」と「さき」が、誰に向かっていったのかがすぐには分からないセリフがあり、ラストには、なおこが「感動」という禁じ手の直接語をつかって幕を下ろさせてしまいます。
 しつこくて申し訳ありませんが、この劇は「彼がささやきに込めた思い」が「みちこ」に分かったことが、観客に共感されて初めて、感動が広がるべきですが、その「思いとささやきの言葉」が最後まで不明であり、思わせぶりなのは、いかがなものでしょうか。
リアリティーについて
1、 みちこと旧演劇部の面々の、3日間の衣装が、ちぐはぐ。
  喪に服する黒衣や数珠を最初から身に着けて登場し、三場では、それがグレードアップした正装になっていた方がいいと思いました。
2、 「寿司屋の2回目の到着時刻」が早すぎます。笑いを誘ったので、リアリティが台無しでした。
 以上、勝手な直言をさせていただきました。
 ぜひ、貴部の生徒たちなら、大幅な直しをしても、十分にグレードアップできると信じています。東北大会での舞台成果を祈念します。

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 地区大会のラストシーンは、残った3人がそれぞれ、「ごめんなさい」を含む台詞を言ってから退場して終わるようになっていたのです。これはもう、みんなから、長い、余計だと言われましたので、県大会からカットしました。村元先生は台本上の問題として述べられています。
 
 生徒講評委員から、審査員(地区大会~県大会)までの講評文をお読みいただきました。上演後の会場で講評を聞くと、えてして批判的な部分だけが耳に残ってしまいますが、審査員の方々は実に注意深く、隅々まで神経を使って観てくれています。高校演劇の審査、講評というのはこういうものです。
 
 様々なアドバイスのおかげで、(次の大会があれば)芝居は深まります。確かにそうだ、と思える点が多々ありました。でも、傲慢なようですが、言われたとおりには直せません。そのご意見はその方の考え、演出であって、今、自分たちが表現しようとしているものとは微妙に違うからです。
 
 東北大会の審査員講評もいずれ届きましたら掲載します。(5人分…)