雪が降っている

 終業式。雪が降り、体育館は恐ろしく寒い。みんなコート持参で、式の間だけ脱ぐという状態。表彰式があって、各部の代表が登壇し、校長から賞状、トロフィーを伝達される。演劇部は県大会最優秀賞の賞状とトロフィー(持ち回り)、東北大会の優良賞賞状とトロフィーを授与される。賞状は県大会最優秀賞の方が立派である
 
 借りた物を返したり、障子の枠や鴨居をばらしたり、障子の張り替えをしたりしている(食器棚と流し台は絶対ばらさないと言っている)が、当面は全員そろっての部活は休みとする。半年間、一つの芝居をやり続けた。かなり疲れている。でも少しずつ、2月のアトリエ公演や4月の定期公演に向けて動き出すだろう。生徒たちは一つの歴史を刻んだ。壁を越えたのだ。越えた所に新しい地平が広がる。
 
 
 今回の大会を振り返ってみようと思う。と言っても、ほとんど上演を観ていないので見当外れのことを言うかも知れない。
 大震災後初めての東北大会。福島、宮城、岩手では命を失った演劇部員もいたし、地区大会が成り立たない所もあったと聞く。そんな状況から生みだされた舞台が強いインパクトを持つのは当然かも知れない。
 各上演校のテーマは、詰まる所「生と死」、「生者と死者の対話」だった。では死者との対話をどのようにして描くのか。死者の魂を下ろす霊媒者を用いるのか、井上ひさしのように幽霊を用いるのか、夢のような非現実の場面を作るのか。いずれにせよ、演劇という表現形式ではたやすく死者を登場させることができる。生者が死者に対して自分だけが生き残ってしまった悔いを語る。これは『父と暮らせば』に描かれた、娘と父(の幽霊)の対話そのものである。
 
 あるエピソード。背後から迫る津波を見て祖母は座り込み、手を引く孫娘に「行け」と言う。娘は助かり、祖母は亡くなる。この子は一生苦しまなければならないのか。また、消防団員として出動した夫が亡くなる。あるいは出動している間に家族が亡くなる。残された者は生き残ったことに苦しまなければならない。しかしこれは、原爆の惨禍でもあったことだし、東京大空襲の中で、関東大震災の中で、無数の災害や戦争の中で繰り返されてきたことである。悲しみを抱えても人間は生きてきた。
 
 不在の死者との対話をどのように描くか。死者を登場させて、生者を励ます。生きられる者が生きればいいのだと言わせる。それで生き残った者は立ち直っていく。これが最もストレートな方法なのだろう。
 
 孫娘に、足手まといの自分を見捨てて逃げさせた祖母。そこには祖母の愛があるだろう。愛する者を生かすために自分が犠牲になる覚悟ができるのもまた人間なのだ。両者の愛が、矛盾するようでいて実は最も人間の心に沿った正しい答え(これは非常に語弊がある言い方だが)なのだと気付く。
 
 今回の大会は、実に、人間の根本に迫る作品が産み出されるべき機会であった。そういう視点から見たとき、どの上演が最も成功していただろうか。審査結果とは別に、そんなことを考えた。