苦闘

 昨日は長い会議の日で短縮授業だった。3時40分から5時過ぎまで、全員参加。模試結果分析からどう指導していくかの会議。
 短縮授業なので部活の時間は長くなるのはいいのだが、顧問が見られない。
 
 
 役柄の心情を表現する。役者がよく理解してそのもの(に近い)の感情を持ってくれたらいいのだが、素人高校生だからそれはなかなか難しい。
 高校生の役ならそのままできるということで、高校演劇には高校生の役が多数登場する、という一面もあるのだろう。
 で、「演技」ということになるのだが、高校生がほぼ地で「演じる」のとは違うものがあるのではないか。
 高校生がほぼ地で「演じ」た芝居がおもしろい、すばらしいということはもちろんあるので、良い悪いの違いを言いたいわけではない。
 
 高校生が(同じ年代の人物であっても)「高校生」でない役柄を演じる時、何が必要になってくるか。
 想像力によってその人物になりきり、その人物がその時に感じるもの、今そこにしかない感情を表現する。普通の芝居でも必要なことが高校演劇にも必要なのではないだろうか。
 しかし、役者としての訓練(ともいえないもの)を1年半くらいやって、何が出来るのだろう?
 そういうあきらめ?から、所詮部活動なのだと思ってしまえば、自ずと枠をはめてその中で満足してしまうような気がする。
 あきらめとあきらめない気持ちのせめぎ合いだ。部員への要求は高いが、顧問にそれを実現させてあげられる技量が足りないと痛感する。自分も役者ではないし、演技経験も無いのだから。
 
 役柄が十分に表現できてはじめて、作品全体の表したい、伝えたいものが見えてくるはずだ。
 作品の内容を十分に表すために、演技は深まらなければならない。