歳を感じる

 時に激しく雨が降る。雷も鳴る。
 花笠祭りは毎年1日は雨に降られる感じなのだが、今年は2日間降っている。生徒課なので明日夕方は他校の先生方とパトロールする。
 
 インターハイ、うちの登山部が3位に入ったと。5年ぶり?の快挙。
 
 今日も稽古。暑いので部室に居るだけで疲労する。2・3・5場。少しずつ良くなっている。1人の役者が良くなってくるとアンバランスが目立ってくる。他のキャストにも頑張ってもらってレベルを均等にしなければならない。地声の大きさ、声質がやはり役者の財産であると感じる。
 部員たちも次第に、演出についてよく考えるようになってきている。どういうところをどのように考えるのかが分かってきている。共通の認識が出来てくれば、進み方はグンと速くなる。
 音響も少しずつ入れ始めている。音響は照明と違って稽古時にタイミングを練習することができる。
 装置のパネルに色塗り(壁紙を貼っていないものに)。まだ建て回していない。
 ドアに付けるつもりだったバネ付き蝶番が、角度的に付けられないことが判明。
 黙々といろんな物を段ボールで工作してくれる部員もいる。
 場練は助舞監に計時してもらい、記録する。やはり1頁1分ではおさまらない。
 2人が延々と話し続ける3場。暑いせいもあるが眠くなる。学校祭公演でもみんな寝るかなあ。
 しかし歳のせいか疲れがたまってきている…。
 
 
 
 「きままに歴史資料集」というサイトがおもしろくて読んでいる。たとえば明治初期の雲揚号事件の経緯と実態を原資料に沿って読むと、日本の朝鮮(ひいてはアジア)侵略の第一歩というようなものではないことが分かる。歴史は叙述の仕方で激変する。
 元総理の下手な言語表現が揚げ足を取られている。発言の全文を読めば明らかなことが、一部だけを抜き出して示されるとまるで逆の意味になってしまう。「警察は泥棒の手口に学ぶべきだ」というような言い回しなのだが、これを巧妙に逆転して報道した記者には、何か偏向して伝えようとする意図を感じる。あるいはこの記者の脳内では自動的にこういう変換がなされるのかも知れない。そのような思考回路はどうやって身についたのか? 教育でしょうねえ。歴史は自分で原資料にあたって知る(考える)ことが大事だと痛感する。それは歴史を教える先生にも言えることではないでしょうか。
 しかし朝鮮の侮日という心理は江戸時代からあって、明治初期の外交交渉が停滞、阻害されている。今の日韓関係を見るようである。今でもそういう感情が底流にあるのだろうか、それは法律や他国との条約にも優先するものであるらしい。