ゆきのしたの花

 山形市平和都市宣言事業 第26回山形平和劇場
 『ゆきのしたの花』 作、斎藤範雄(山形詩人会同人) 演出、阿部秀而・小林嘉弘
 平成23年7月30日(土) 14時~、19時~ 2回公演 (夜の部を観劇) 上演時間 101分
 山形市民会館大ホール 入場数150名前後か?(数えなかったので不明)
 
 平和劇場は「反戦・平和」のテーマの下に、地人会の『この子たちの夏』上演から始まっている。ほとんどが朗読劇で、一般の人から出演者を募り、3ヶ月ほどの練習を経て上演している。スタッフは本職の方が手伝っているので安心して見られる。
 スタッフ側と出演者の一部常連の間には朗読劇の経験が積まれていて、様々な部分(装置など特に)で前回のパターンを踏襲しているという状況も見られる。
 
 今回は、戦前から戦後にかけて山形県で小学校の綴り方教育にとりくんだ教師の伝記的お話。主人公村山俊太郎(としたろう)と荒木ひでの愛の過程を描いている。「十五年戦争と『北方の教育』に生きた夫婦の愛の記録」というキャッチフレーズがある。
 村山俊太郎は国分一太郎などとともに山形県の綴り方教育に大きな足跡を残した人である。
 作者の斎藤氏は以前に地区大会の講師をしていただいたことがある。
 
 自分も国語教師だが、不勉強で小学校の綴り方教育というものには疎いので、こういう先駆者の話を実感をもって見ることが難しかった。パンフレットにもあるように、東日本大震災の影響はこの劇の脚本にも及んでおり、作者がいかに書くべきかを悩んだことがうかがわれる。
 震災の死者行方不明者21,000人。東京大空襲の死者8万人。地震は天災だが空襲は人災だ。その人災の記憶が風化しているのではないか。ということがプロローグとエピローグで語られるが、そのことと主たる物語との関連を考えると、少し混乱してしまった。
 
 村山は社会運動に傾倒し、戦前には非合法だった教職員組合を結成したことで赤化教員と見なされた。しかしそんな村山を、新米教員の荒木ひでは尊敬し、親戚の反対を押し切って結婚する。やがて治安維持法によって村山は逮捕され、ひでは家族を守り、教員を続ける。村山は獄中で肺結核となり、釈放される。日本の降伏によって戦争は終わり、皇民化教育は終焉、自由な教育の時代となる村山は戦後共産党員となり、教職員組合の幹部としても活躍した。
 
 戦前の思想弾圧は米軍の勝利によって打ち砕かれた。その意味では米軍は解放者であろう。村山も占領軍命令で復職しているようだ。
 一方、本土空襲で30万人の市民を殺したのも米軍である。混乱するのはそこだ。作者は、そこをいかに整合させているのか? 村山ひでがレッドパージを受けたということがあるなら、そこまで描いて、何らかの一貫性を示して欲しかった。その一貫するものが子どもの純粋な表現であるならなお良い。戦後の子どもの書いたものと戦前のこどもの書いたものを対比して見せてはどうか。空襲を受けた子どもの書いたものはないのか。何が変わったのか、何が変わっていないのか。彼らが追求した綴り方教育の成果とはどのようなものだったのか。
 
 また、この思想弾圧を忘れてはいけないということなのだろうが、それを思い出して再確認していく作業を、私たちは戦後ずっと繰り返してきたのではないか? それに、忘れようとしても、隣国の人々は日本の戦争と支配を決して忘れていないし、これからもずっと忘れさせてはくれないだろう。
 日本で思想弾圧の記憶が風化している中、隣国では弱者を痛めつける権力の横暴が際立ち、人民の訴えは暴力的手段で阻まれ、自由な言論は封殺されている。この現実の方が今の我々には身近に感じられるのではないか。非常な説得力を持って私たちに自由と平等の大切さを教えてくれる。誰もあのような状況を今の日本に再来させて良いなどと考える者はいまい。
 
 反戦・平和を考えるとき、戦前のあり方を批判するのは当然として、その再来を懸念し、警鐘を鳴らすという意義はもはや薄れている、あるいはその手法がいささか時代とずれてしまっているのではないかと感じた。観客の年代層からもそのことはうかがえた。…独断と偏見ですが。