雑感20181214

 風呂に入ってタオルを手桶の湯に浸けるたびに思い出す。
 「包帯は水の中で巻くと良い。出してしまうと扱いにくいから

 水の中で巻いてその後どうするのだろう。
 これは生前の母が県立病院の看護婦さんから教えてもらったことだ。
 昭和30年代初め頃の話。

 忘れていた時期もあったのだろうか、それともずっと思い出し続けていたのだろうか。それも漠然としている。

 その包帯は兄の足に巻かれていたのだろう。動けない兄の踝に出来た褥瘡に。褥瘡は腰にも尻骨辺りにも深い穴となってあった。

 おそらく死ぬまで思い出し続けるのだろう。
 布を水に浸けるたびに。
 来年が兄の13回忌、母の23回忌。

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 上に書いたような気持ちを他人に分かるように(自分が感じているのに限りなく近いように)伝える(表現する)にはどうするか。言葉を連ねていくかもしれないし、絵画的に、映像的にするかもしれないし、歌うかもしれない。
 これを演劇的にやる、というのが今の自分の方法なのだ。それは小説とは違うし、音楽とも違うし、映画とも違う。どれが一番いい表現方法か、ではなくて、演劇を選んだ今ではそれでどうすれば一番いい伝え方(表現)になるか、ということだ。

 「伝える」と「表現する」は同じようで遠い言葉だな。「表現」すれば「伝わる」のか。「伝わらない表現」もあるし、伝わっても「表現」と言えるかということもある。「伝わる」と「感じる(共感する、感動する)」も違うように思う。

 上に書いたような自分の経験を人がどのように感じる・受け止めるか。自分の感覚・心情をできるだけ近似値で感じさせ受け止めさせられるか。そんなことを考えてきたのだが、まあ、あと何年生きられるかを考えるような年齢になっているので、そんなことは考えるのを止めて庭の草取りや木の枝剪りで日を過ごす方が健康的かもしれない。