雑感20181005

 このブログも2010年5月2日から始めて、もう8年半ほどになる。
 子どもが生まれて小学2年生になっているほどの期間だ。主に演劇部活動に関して書いてきたが、途中ほんとにいろいろなことがあった。
 何事にも「永続」は無いわけで、geocitiesというサービスが無くなるとの通知を見た。つまり、このままだと、このブログの過去記事すべてが消えてしまうらしい。
 まあいずれは消える物ではあろうが、ちょっとまだ維持したいと思う。
 ので、ブログの「引っ越し」という作業が必要になるのだが、面倒で仕方が無い。誰かやってくれないかな。やらないでいる内に消えてしまうかもしれないが…。




 唐突だが、ウエブ上で目にして気になっている表記上のことについて。

○ 「ない」という現代語には、古語の「なし」と「ず」の二つの意味がある。
 「知らない」は「知ら」であり、「金がない」は「金なし」である。前者「ず」は助動詞で、後者「なし」は形容詞である。
 後者(形容詞)の場合、「無い」「無し」と漢字表記できるが、前者(助動詞)は、「知らない」を「知ら無い」と表記するのはおかしい。「ず」は「不」に対応するからである。
 「不知」と「無知」では意味が違う。「不」は用言を否定し、「無」はものごとの存在を否定するからだ。つまり「不知」の「知」は「知る」という動詞で、「無知」の「知」は「知識」という名詞。
 漢文訓読では「助動詞に相当する漢字はひらがなで書き下す」というきまりがあるので、「知ら」と書くことはない。「不可触」は「触るべからず」となる。

○ 格助詞「が」「の」の使い方がおかしい
 「いろんな意味で都合悪いので」
  → これは「が」が適当。あるいは「都合の悪いことなので」
            のように、後続の述語を、体言に続く形にするべきだ。

 「~であったこともあって」
  → この「の」は準体言として使っているので、「こと」と重
            複している。「~であったこともあって」でよい。

  これは「を」についても有って、目的語を示しているのに次に
  自動詞が来るという使い方を見る。実例ではないが「建物
  えるというような言い方である。「建物見える」だろう。  
  「ほぼ全ての国の憲法で軍の存在明記している」は「存在
  明記されている」か「存在明記している」だろう。