『この世界の片隅に』 (ネタバレあり)

 12月に観たのだが、感想が今になってしまった。原作漫画も一部知っていたので、図書館に推薦して置いてもらっていた。山形でも1館だけ公開していたので雪の中、観に行った。
 原作の雰囲気を失わず、余すところ無く描ききったアニメーションはすばらしいものだった。


 戦時下の本土、広島と呉、女・子どもの日常の目から見た戦争の惨禍。本土の死者、戦争被害者は、ほとんどが非戦闘員の女・子ども・年寄りだった(地上戦のあった沖縄とはまた違うだろう)。

 時代状況や当時の制度・文物・習慣についての説明は一切無い。しかし緻密な考証を重ねて描写されているので、説明しないことが逆にリアリティー(世界への同化)を感じさせる。

 前線(本土外)での兵士の戦い、外地での邦人の暮らしと引き揚げの苦難などとも違い、最も前線から遠かったはずの本土が空襲にさらされる。それは日本国民にとって予想外の禍であったろう(アメリカ本土が空襲されるなどアメリカ国民は想像もしなかっただろうように)。しかし、当局は米軍の焼夷弾攻撃を予測し、対処法を国民に伝えてもいた。当時の映画ニュース(広報)なども動画サイトで見られる。住民を集めて、不発爆弾への対処なども学習させていたことが分かる。今の中東やベトナム戦争で、時限爆弾を投下して被害を大きくしているが、すでに当時日本に投下されていたのだ。
 焼夷弾による火災をいくらかでも防ぐため、天井板を外していた。屋根を突き破った焼夷弾が天井裏で発火し、火災を起こす(消火しにくい)からだ。

 映画の中で、右手を失い自棄的になった主人公「すず」が、屋根を貫いて目の前の座敷に突き刺さった焼夷弾をじっと見ている。今にも破裂して火炎を吹き出すだろうがすずは逃げない。死ぬ気なのだ。だがその焼夷弾は不発で、いつまでもシューと花火のように燃えているだけ。すずは涙を流して叫びながらバケツを取り水をかけ、布団で覆ってその上を転げ回る。こんな苦しい生でも生きなければならないという運命を受け容れるしかない、その絶望だか決断だかの叫び。印象的だった。

 あと、一言も台詞がないが、広島で被爆した母子のエピソード。涙無くしては見られない。

 幼い頃のぼんやりとした不思議な記憶が、いろんな人の記憶と継ぎ合わされて事実が見えていくという描き方も印象的だった。

 戦後71年、真珠湾から75年の年に、戦争を知らない世代が、あの戦争がいかなるものだったのかを知る上で、この作品は非常に大事な役割りを果たしていると思われるのだった。