早起きして草むしりしようかと思ったがブログを書いている

 早起きなのはいいが、どうも、寝ている間、歯を食いしばっているような感じだ。どこかリラックスしていないのだろう。
 
 集団的自衛権の行使が問題になっているが、米国と安全保障条約を結んでいるのだから当然の結果ではある。日本国憲法の下で、自衛隊が創設され、安保条約が結ばれ、PKO活動が認められ、何度も解釈は変更されてきた。しかし70年近く日本の平和国家としてのあり方は変わらなかった。正当防衛の行動すらしてこなかった。いまさら解釈の変更が平和憲法を壊すと言われても、またかという感じである。国際法で認められていることがなぜ日本にだけは悪事のように語られるのか。
 
 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 
 戦争をする国になる、というが、自衛のための戦争もしないと宣言し武力を持たない国が本当に自存自立できるのか。先の大戦後も、世界の多くの地域が隣国の武力によって征服されたり、攻撃を受けて征服されかかったりしているのは事実だ。
 子供たちを戦場に送り死なせるのかと言うが、自衛隊員は、警察官や消防署員、海上保安官と同じように、自分の身の危険を冒してでも国民を守るべく、志願して隊員になっているのであり、その志願倍率は10倍である。誰でもなれるわけではなく、国防の強い意志を持つ若者が自ら志願して、日々厳しい訓練を自らに課しているのだ。それは尊重しなければならない。
 今時、徴兵制を敷くのは無理・無駄である。大量の常備軍など経済的に見合わない。かといって非常時に、急ごしらえの銃を持たせて歩かせるだけの兵隊などいくらいてもしょうがない。だから、子供たちを二度と戦場に送るなというスローガンは説得力がない。
 先の大戦末期のように、本土決戦、一億玉砕などと唱えるものは誰もいない。それが無意味なことは日本人が骨身に染みて知っているからだ。日本は、22万人の自衛隊が最後の(外交が限界に至った後の)防波堤であり、彼らが敗れるときは日本国が他国の支配下におかれる時なのだ。
 日本国民は日常生活を警察官や消防署員によって守られている。しかし、自衛隊員が国民を守っているという意識を持たず、反戦平和・非武装中立という理想の言葉の方に現実味を覚える人がいる。
 
 戦後民主主義平和憲法が自分の支えだと言う人もいる。それを誇りにすることには全く異存はない。しかし、同じ人が、とても民主主義が貫徹しているとは思えない(強力な軍を持ち、軍部の横暴がひどい)隣国にシンパシーを感じているという点には強い違和感を感じる。