雪の日の雑感

 朝はまだ降っていなかったが、昼前から雪だ。積もっている。全国的な寒さと雪らしい。
 当地はこのところ晴れて穏やかな時が多かったので、週に2~3回徒歩通勤していた。片道30分、いい運動だろう。雪が降ったり(傘をさすのが億劫)風が吹いたり(傘がさせない)だと歩く気がしないが、寒いだけなら防寒していれば大丈夫。陽射しがあれば快適だ。
 朝、陽射しがあると駐車場の車のフロントガラスも溶けてくれる。立ててあるワイパァの影の部分だけ凍っているのがすごい。太陽のありがたさだ。(原爆で影を残して消えた人のことを思い出す)
 
 夕べは冬季オリンピックの開会式を見ていて夜更かししてしまった。何か五輪の仕掛けが完成されず、大統領が不満顔だったそうだ。まさか銃殺にはなるまいが、責任者は青くなっているだろう。(テレビで見たらプロデューサーは俺の所為じゃないとばかり吠えていたようだ)
 北京やロンドンの開会式(夏だが)に部分的に似た要素が見られた。屋内だとああいう吊り物や地下からの登場という演出ができる。
 
 
 
 
 1911年10月の辛亥革命から102年。その後の中国史は、非常に複雑だ。革命軍の武昌起義、南京占領、13(~15)省の独立からざっと見てみると、
 1911年12月、帰国した孫文は南京で臨時大総統に選出される。翌年1月1日、中華民国成立。
 だが、北京には依然として宣統帝(溥儀)がおり清朝は存続していた。南京政府は列強の推す袁世凱を大総統にして宣統帝の退位(紫禁城には居続けることを認められた)を優先させる。直隷総督・北洋大臣・内閣総理大臣だった袁世凱が臨時大総統となる。袁世凱は北京を離れなかったため、生まれたての中華民国は、北京政府と南京の二重体制となった(この南北対立は主役を変えながら延々と続くことになる)。
 
 清末に進められた政治改革で、憲法制定と国会開設が決まっていた。孫文中国革命同盟会は公開政党として国民党を結成(首班は宋教仁)。国会議員選挙が行われ、国民党は第一党になる。だが袁世凱は宋を暗殺し、進歩党を結成して対抗した。こうして袁は大総統に選出される。袁は、これを不満とする各省の第二革命を鎮圧。1914年には国民党も国会そのものも解散させてしまう。
 
 孫文は避難先の東京で新たに中華革命党を結成する。
 第一次世界大戦では中国は局外中立の立場だったが、日本は山東に出兵。戦後袁世凱に21箇条の要求を出す。これが反日、反袁の機運を高める。
 袁の帝政復活の野望は第三革命に阻まれ、袁は亡くなるこのへんから、中国政権は軍事力を持った地域勢力、軍閥の争いという様相になる。
 もう書いていても何だかよく分からなくなるくらいだ。
 1919年、五四運動。 1920年、安直戦争。 1921年、孫文、広東政府成立。
 1921年7月の中国共産党成立(最近は前年の11月に陳独秀中国共産党宣言を起草したのをもって成立とみるむきもある)以降、コミンテルンの指示に沿って国民党との党内合作で勢力を伸ばしたが、蒋介石上海クーデターで党員の多くを失う。
 国民党(蒋介石)の北伐。南北政府間の戦い。軍閥間の戦争。日本の満州経略と張作霖。奉直戦争。張の爆死。こうして支那事変、上海事変から日中全面戦争になっていく。日本降伏後、国共内戦中華人民共和国成立。
 この間の内戦の死傷者数は莫大である。正統な政府がどちらであるかも分からない。全土が統一されず、内戦に明け暮れている、そんな国がかつて隣にあったということだ。
 
 大陸の各省が自立して連合と敵対を繰り返している状況。これは実感としては現代のイラクアフガニスタンの状況に似ていると感じる(もちろん、部族対立、宗教対立とは違うが)。アメリカが軍事介入して政権を立ててもどうにもならない状況がある。当時、中国大陸に関わった日本はある面で現在のアメリカのような立場だったと言えるかも知れない(その中で、行きすぎた軍事行動、民間人殺傷も起きてしまう)。
 
 かつてアメリカやソ連は冷戦下の代理戦争を引き起こした。軍事顧問団から正規軍の派遣までエスカレートするが、その過程で傀儡政権を立てたり、その大統領を暗殺したりさえした。旧日本軍とあまり変わらないのではないか。
 
 中国共産党は前述のごとく、当初は学生や文民が中心で、国民党の中で勢力を伸ばしていった(これは孫文が連ソ容共の方針をとった所為でもある。コミンテルンもこの時期、国民党に支援をしていた)。しかし、反共クーデターで大打撃を受けると、軍事組織の必要性を痛感する。次第に国民党軍(孫文蒋介石に作らせた軍官学校出身者が中心)に圧倒され、長征という大逃避行を余儀なくされる。この過程でゲリラ戦の強者だけが生き残った。
 中華人民共和国建国の時点で、その中枢は皆、非情な闘争を生き抜いた強者たちであったということだ(若い頃、『鋼鉄は如何に鍛えられたか』なんかを読んでプロレタリア文学の人間味の無さを感じたが、そんな風に育った人間がいたら空恐ろしいと思った。そんな人間たちだったのだろうかということ)。
 
 中国史は現在の支配者である共産党の視点(歴史観)から書かれている。日本帝国主義の侵略と中国(共産党)の抵抗史。それはかなり単純化されている。実際の中国近現代史(その中での共産党の位置づけ)をもっと客観的に見るべきではないだろうか。アグネス・スメドレーエドガー・スノーの著作に拠りすぎてはいけない(自分の中高生時代には必読書100冊とかに入っていたなあ)。
 
 いや、まとまりませんなあ。酔ってますしね。…でも陳独秀も黄興も周恩来蒋介石も日本に留学していたんだよなあ。