名作も古くなる、か

 今日は短縮授業ではなかった。会議は早めに終了。部活は明日の本番と同じ時間帯でリハーサル。途中からみる。59分40秒はゆっくりし過ぎ。演出が最後のダメ出しをする。
 
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 暗転が暗すぎて動けず、暗転灯りを1本追加する。ライトピューターはフェーダーが4本あるので楽勝である。職員にチラシを配る。はたして何人来てくれるか。
 
 先日のリーダー研修会で鶴岡の高校の先生から聞いた話。「トシドンの放課後」を上演するという。で、生徒相談室というのは、生徒指導室とは別の、不登校傾向の生徒対象の保健室的なものだと。そこには今時、担任も養護教諭も来ないことはあり得ない。従って、この作品はもう違和感なしには上演できなくなるであろうと。
 なるほどそう言われればそのようにも思われる。古い感覚では、相談室はとりあえずなんでもありの部屋で、担任が来ないこともあり得る(執筆にあたって部員数という制限もあっただろうが)。しかし確かに時代は移って、作品の設定自体が古くなってしまうのは止めようがない。不登校への対処の仕方もずいぶん変わってきている。この名作も、平成○年頃の話、と注釈をつけるようになるのだろうか。