明日(今日?)は出勤

 新年も早3日を過ぎ、明日昼から出勤となる(午前中は土曜日出勤の代休)。7日始業式、課題テスト。冬休みは2週間、夏休みは1ヶ月間である。早速にテストの採点が始まる。3年生は大学入試センターテスト目前。
 3学期は卒業・進級が近いため、いろいろと忙しく事が運ぶ。年度末なので各予算執行も慌ただしく済ませる。部室に遮光カーテンを付けてもらえそうなので、見積もりをとっている。もし暗幕が付けば、アトリエ公演の際に部室の窓をつぶす作業がなくなるので助かる。
 
 先月末のブロック大会の感想を書きたいと思う。全く個人的に感じたことになります。
 12本観て、泣けたのは「ねこはしる」と「かげの歌」だった。
 
 「ねこ~」はかなり泣けた。童話が原作なのでストーリーは単純だが、テーマは深い。動物を擬人化していて、猫が、魚を捕って食べるということに悩む(それまで何を食べていたのかな?)。しかし結局は自然の摂理として捕食しなければならず、被捕食者もそれを納得していて、むしろ積極的に関与する。友情を乗り越えて生物の本来の生き方を獲得する、その苦悩がよく表現されていた。欲を言えば、母猫のランへの関わりがもう少しはっきりしても良かったかと思う。「あらしのよるに」は「本来の捕食者が相手を食べない友情」だが、これは「生き物が生き物を食べることの真理」を取り上げている。5年前の山形大会で「調理実習」が取り上げていたテーマに近い。
 集団演技(布を操作する)がよく練習されている。ただ、「私たちはサルではありません」の集団の動きに比べると「古い」感じの動きに見えた。
 ランとさかなの演技が素直でいやみが無く、一生懸命な気持ちが伝わった。自分の役を愛しているのだろう。
 
 「かげの歌」は、個人的には一番好感を持った。台本を読んだ段階では、純情な話だが2人芝居に退屈するのではないかという印象だった。しかし舞台を観て、その丁寧に丁寧に作り込まれた演技、効果(特に照明)に引き込まれて少しも飽きなかった。1年以上前からという長期間取り組んだ努力が、しっかりと実を結んでいる。うちなんか7月下旬からの稽古だからなあ。全然深まり方が違う。(2人とも3年生だったか?)
 演技はああでなければと思う。話自体は先が見えるのだが、人物の関係、心情が非常に細やかに表現されているので飽きない。観ている方が舞台上の人物に感情移入してしまうのだ。味わいのある演技がいい。大味で激辛の演技はごちそうさまである。
 装置も演技エリアを明確にし、集中度を高めていた。ただ、出入り口の戸はパネルと平行でも差し支えなかったような気がする。屑籠の位置は、捨てに行く距離をもてるような位置がいいのではないか。
 審査員も言っていたが、感情移入できることは大切だろう。そのためには役者が役を愛し、自分のものにしなければならない。「タマゴの勝利」のあの3人が、誰1人変わっても成立しない劇であるように、この「かげの歌」も、この2人でこそ成立していると思われるものだった。
 
 今回の大会も女子高生の話が多かったが、それに対して「女子高生の日常性をリアルに演じている」という、何かの生態を取り上げるような言い方はもうやめてほしい。あの舞台上の「女子高生」の言動は、生徒講評委員ですら、「あれはない」という程度のものなのだ。いや実際にああいう生徒がいるのかもしれない。しかし一方で、「かげの歌」の2人が実際には到底いそうにない設定でありながら観るものを感動させるのはどういうわけなのか。つまり、役柄に現実感、存在感がなければ、いくら女子高生の形態模写をやっても何の真実味も出てこないのである。他校は(うちも)この「かげの歌」を見習って、もっともっと「役を演じる」ことが必要だと思う。
 
 装置について言えば、全体的に軽視されている。教室が舞台の「Colors」、「Oh,Happy days.」は出入り口が作られていない。前者の場合、出入りが大きな意味を持つので、残念だった。財布を盗むという大きな事件が舞台で演じられない。友人が出て行った、戸を閉めて机に盗りに戻るとか、先生が戸を少し開けてそれを見てしまうとか、そういう場面が作れないのが惜しい。あれだったら白いパネルもいらないだろうと思う。パネル裏の明かりが暗いのも気になった。後者の場合は、屋上や廊下の設定があるので高台を作るのはいいとして、階段が教室の上下にずっとあるのはどうか。板を渡して歩けるようにする工夫はいいのだが、階段は後ろや横でもいいし、出入り口の戸だけでも作った方がずっと芝居になると思う。これも人が出入りする芝居で、だんだん減っていくのがミソなのだから、開いたままの戸とかに意味を持たせられるのではないか。横からの明かりを使わないなら、横壁で囲った方が閉塞感とか孤立感とかを出せるかも知れない。その場合は背景を黒くしないといけない。
 「CRASH」はかなり上手く部屋を作っているし、その斜めの配置も良い感じなのだが、いかんせん窓だけがただの穴で、開閉が無対象の演技になっている。大事な演技が為される部分なので、これはがっかりした。県大会後にでも作れなかったものか。机の座り方ももう少し考えないと背中しか見えない時が多かった。
 「156、8」の装置は日本家屋の構造を無視したもので、最初一目見てもうひいてしまった。開きようがないふすま、広大な部屋…何も言えません。
 
 その他気になったことは、平台を積み上げたり、開き足で高くしたりするときの「けこみ」に対する無神経さ。白いガムテープがぞんざいに貼ってあったり、色が板ごとにまだらになっていたりする。あと小道具も、もう少し気を使って作って欲しいと思った。そんなところにばかり目がいってしまうのは、やはり芝居に引き込まれていない証拠だ。高校演劇だから中途半端な装置でいいということはないだろう。もっと考えよう(うちも含めて)。