日本大学山形高等学校演劇部第51回定期公演

 6月3日、午後6時開演。「祭りよ今宵だけは哀しげに―銀河鉄道と夜―」加藤純・清水洋史、作。山形市中央公民館。55分間。
観客数200人くらい? 何度か観たことのある作品。(銀河鉄道ものは高校演劇脚本にも多い。) 
 舞台は下手奥に、袖に接して運河の土手。あとは8間間口の舞台に何もない。いささか散漫な感じがして、芝居が拡散していく。ホリゾントを全面使い、星球が吊ってある。照明で同一舞台上を場面分けする。汽車の中の場面は長椅子を3コ、ハの字に置いて表しているが、これもあまり汽車の中という感じがしない。地明かりは常に3サスまでつけているので、演技エリアでない奥まで明るく、舞台がだだっ広く感じる。役者は上下の袖から出入りする。(ある舞台美術家が、「袖は装置じゃない、出入りは装置からするべきだ」と言ったのを思い出す。)
 総じて、初心者っぽい。50年の伝統が生きていないと感じた。かつて、「アンネの日記」を演じたのを観たときは、圧倒されたものだが…平成3年だから、20年前か。松井光義先生がお辞めになってから、低下しているような気がする。(昭和55年、故高子先生が(面識はないのですが)「透明な壁の中で」で、他に先がけて引きこもりの問題をとりあげ、全国大会に出たころの日大山形はすばらしかったんだろうなあ。―ビデオでしか観てませんが。)
 今回は、観客が芝居に入って行けなかった。演技が積み重なっていかない。何も深化していかない。結果、緞帳が下りるときのあの、「?」という、観客の反応。寂しいなあ。生徒達が、それでも、自分たちはやった! という感慨にひたっているのが寂しい。内向きなのである。伝統ある演劇部が自己満足しては、いけないでしょう。日の浅い弱小部じゃないのだから。
 1・2年生には、ぜひ奮起してほしい。