今日も「山形3号」の稽古。3人で「七夕~」を読んでもらい、音響のタイミングを合わせる。なかなか難しいが、繰り返し手直しすることでなんとかなりそうだ。
要らない音楽や台詞に気付いてカットする。あまり説明的にならないように。
今練習している場所、市中央公民館の4階事務室前には、なんとチベット仏教の砂曼荼羅がある。砂曼荼羅は、通常は完成後に祈りを捧げ、崩して流してしまうので形として残らないのだが、ここのは処理して保存してある。1993年にここで作製したものだ。
(天井のライトの反射が映り込んでいる)
今年秋にはダライ・ラマ14世が来日する予定のようだが、なぜ彼らが故国チベットを離れインドに亡命しているのか知らない人は、是非自分で調べてみることだ。wikipediaを検索すればすぐに知ることが出来る。
マイケル・ダナムの『Buddah's Warriors』(邦題『中国はいかにチベットを侵略したか』 2006年、講談社インターナショナル)によれば、清朝の滅亡後、国民党の衰勢、共産党の、はじめは無害かつ友好的な浸透からことは始まる。最初は親切に医療支援をしたり、寺院に寄進をしたり…。ついに人権蹂躙、民族差別(というか抹殺)、文化の破壊、大量虐殺にいたるが、「人民」の正義であればどんな蛮行、残虐行為も可能であった。これは文化大革命の前段である大躍進政策のさらに前の段階にあたる。
1951年5月、法王の委任もない代表団は、共産党の脅迫的交渉によって、17条の協定を受け入れざるを得なかった(法王の玉璽は偽造されたとも)。これが併合の証文になった。脅迫による約束は無効であると宣言することも出来たが、チベット自身が国連に加盟せず、独立国としてすら認められていなかった状況では、救いを求める声を聞いてくれる国も無かった。まして前年から始まった朝鮮戦争の方に世界の関心は向いていた。共産党は朝鮮半島に数十万の兵士を義勇軍として派遣しながら、一方では未だ中世的な平和の中にあった地域へも多数の兵士を派遣したのだ。
侵略を受けるのは、このように世界との連絡を保てない状況下である。そして侵略に抵抗する十分な武力を持たないことによる。侵略する側は圧倒的な数量と長期にわたる圧迫によって侵入してくる。これに抗するには、スイスのような徹底した防衛戦略が不可欠である。日本の場合は周囲すべてが海なので、この自然の城壁によって守られているがために、かえって大陸にある場合と比べ防衛意識が弱いとも言える。
無数の寺院が破壊され、経典・仏像がうち捨てられ、僧侶、尼僧は辱めを受け殺された。後には大躍進政策の中で飢餓が蔓延し、恐ろしい数の餓死者が出た。これには共産党に服したパンチェン・ラマ10世もさすがに抗議の声を上げたが数日後に死んだ。
自分は、今日本がこの恐るべき非人道的政権の後裔と相対しているという、そういう意識を忘れてはいけないと思っている。(中国や朝鮮ではきっと真逆に、日本こそがそういう国だと教えられている)