夕方から久しぶりに雪だ。明日の朝は雪かきか。湿って重いだろうな。

 いろいろ考えてみようと、竹島尖閣諸島についてwebを見てみた。
 竹島については、youtubeにいろいろあるので、比較対照することができる。韓国外務省の作ったものや、韓国に帰化した日本人学者という方の作った映像も見たが、日本外務省のものがより簡潔明瞭で、松島・竹島の名称の時代的混乱なども分かりやすく説き明かしてあると思われる。
 今のところ最も納得がいくのは「国際法から見る竹島問題」というホームページで、古い絵図・地図がどうこういうばかりで水掛け論に陥るのではなく、歴史的文書の法的有効性を論じている。これで勝負あったような感じだがどうだろう。
 
 一方、尖閣諸島については以下のような記述を見た。
 以下引用。
 
   1941年、日本かいらい支配下の「台北州」と沖縄県の間で、釣魚島漁場をめぐって訴訟騒ぎが起きたが、日本の裁判所はこれらの島が「台北州」の管轄に入るとの判決を下した。かつて日本かいらい支配時代に「台湾警備府長官」を務めた福田良三は、当時釣魚島などの島が「台湾警備府長官」の管轄区内にあり、釣魚島一帯で操業する台湾の漁民にはすべて、「台北州」が許可証を発行していたことを確認している。これは、日本の植民地支配時代でさえ、これらの島が台湾の付属島嶼として管理されていたことを物語っている。
 
    四、釣魚島を不法に窃取した日本
   1884年、日本人古賀辰四郎が釣魚島を探検し、「無人島」を発見したと言いふらした。1885年から93年にかけて、沖縄県が前後3回政府に上申し、釣魚島などの島を同県の管轄とし、国標を立てるよう求めた。日本政府は清朝政府の反応を気にして、あえて許可しなかった。1895年1月、日本は甲午戦争で清朝政府の敗戦が決定的となった機に乗じて、釣魚島などの島嶼を窃取し、沖縄県に「編入」した。同年4月、日本は不平等条約「馬関条約」の締結を通じて、清朝政府に「台湾全島及其ノ付属諸島嶼」を割譲させた。1900年、日本政府は釣魚島などの島嶼の名称を「尖閣列島」に変えた。
 
    五、日米の秘かな授受とわが方の抗議声明
    1951年9月8日、日本は米国などと一方的に「サンフランシスコ平和条約」を結び、北緯29度以南の南西諸島などの島を、米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置くことに同意した。1953年12月、米国信託統治下の琉球政府はその地理的管轄範囲を画定する公告を出し、釣魚島などの島嶼をその中に繰り入れた。
   1951年9月18日、周恩来総理兼外交部長は中国政府を代表して、「サンフランシスコ対日平和条約は、中華人民共和国が準備、立案及び調印に参加していない。そのため中央人民政府はこれを不法で、無効なもの、したがって絶対に認められないものと考える」と厳かに声明した。
 
 六、「島購入」問題を起した日本側
    2012年4月、日本の極右政治屋東京都知事石原慎太郎が東京都による「島購入」の企てを持ち出し、派手に募金活動を始めた。7月、日本政府がいわゆる「国有化」計画を表明した。
    中国側は日本側に厳重な申し入れを行い、釣魚島とその付属島嶼が古来、中国の固有の領土であり、争う余地のない主権を有することを改めて表明した。中国側は日本側が中国の神聖な領土を売買することに断固反対している。日本側が釣魚島とその付属島嶼に対してとるいかなる一方的行動も不法かつ無効なもので、これらの島嶼が中国に属するという事実はいささかも変えられない。
 
引用終了。
 
 引用元は中華人民共和国日本大使館のホームページである。これらの内容は具体的根拠が分からなかったり別のyoutube投稿映像で反駁されているのが分かるものである。これらに対しては日本側もそっちがそう言うならこっちにもこういう言い分があるという調子である。
 しかし「日本の極右政治屋石原慎太郎」とは、大使館としてはいささか礼を欠く、品のない言い方ではあるまいかと思う。物言いが、なんとなく誰か(何か)に似ている。いや、逆か。
 
 
 条約の解釈が互いに違って問題化するというのは日清戦争の時代からである。様々な取り決め、協約、条約を遵守する以前に、その解釈あるいは正当性(強制されたから無効)の認識からして食い違っている。公然と無視して全く違反する行為までも為される。これでは条約を結ぶ意味がないとまで感じるほどである。
 満洲事変に至る経過についてもいろいろ読んでいるのだが、それもまさにこの食い違いの連続である。
 そして、当時の中国の状況は、今の、イスラム過激派によって悲惨な状況にある中東諸国やアフリカ諸国と一種類似した、一般人(中国人・外国人問わず)の虐殺が横行するものだったのである。正規軍の顔をした軍閥、その他に非正規軍、匪賊がいて、勝手に税金を取ったり、良民を襲い略奪していた。東北3省の政治状況は張作霖、張学良の独裁だったと言えるだろう。東北地方政府の支出はほとんどが軍事費と官吏の給料で、民生費は0だったという。民間から絞り上げた金で権力争いの戦争に明け暮れていたのである。
 関東軍及び鉄道守備隊は在留邦人そして(特に間島地域の)朝鮮人農民、現地中国人の生命財産をこれら軍閥・匪賊から守るために戦っていたという面も大きい。
 「リットン報告書」(長い! 文語で訳してあるが誤字が多い!)を読んでいるが、その中にもこういった状況は如実に書かれている。
 いずれにせよ、満州問題は鉄道問題であるとも言える。南満洲鉄道を中心に満洲経営を進めたい日本とそれを阻止する(利益を奪う)ため並行する鉄道を敷設しようとする中国側。そして、柳条湖事件は1つのきっかけに過ぎず、限りない抗日宣伝と挑発の末に日中が止めようもなく全面衝突に向かっていった情勢はリットン調査団においても承知されていたようである。
 
 今の価値観で見るというよりは当時の人になって考えるつもりで、もっと事実を知らないといけない。