ある妖怪のお話

 「やまびこ」あるいは「こだま」は人の言葉をオウム返しに言う妖怪である。「お前は誰だ?」と言えば「お前は誰だ?」と答える。「真似するな」と言えば「真似するな」、「止めろ」と言えば「止めろ」と言う。「殴るぞ!」と言うと「殴るぞ!」と言う。「お前は間違っている」と言えば「お前は間違っている」と言う。こちらが怒鳴れば、妖怪はもっと大きな声で怒鳴ってくる。
 構わないでいればいいのだが、隙を見ては物を盗ったり壊したりするので放ってもおけない。実に困った奴である。いくら叱っても同じ言葉を返してくるばかりなので、こちらの神経が参ってくる。
 黙って一歩詰め寄れば、妖怪は一歩退くのだが、声も体も大きいし、根に持つので、なかなかそう踏み切ることはできないのだ。
 批判を受けると逆に同じ批判を返す。不当を詰ると正当性を主張してくる。批判を受けることで逆に自分の「正当性」を増やす。そうやって次第に自分の見掛けを膨らませていく。そうしてできた巨体。
 
 オウム返しは、非力劣勢な組織が強大な相手に対するとき用いる戦術だろう。
 サラミ戦術もある。敵に譲るときははったりを利かせてからほんのわずか退く。敵の領分を奪うときは正面から攻め取るのではなく、搦め手から少しずつ少しずつ削いでいく。
 神経戦。捕虜を拷問し、その悲鳴を聞かせ戦意を萎えさせる。残虐で非人間的な暴力、最も効果的なテロ。
 一方では自己正当化の宣伝が大々的に繰り広げられる。恐怖と欺瞞によって人々は支配される。
 ○○主義ゲリラや軍隊の戦術である。これを真似する者もいて○○○思想は輸出され、その先で悲惨な大量虐殺をもたらしたりもした。
 
 妖怪はこうして大きくなり、もうかつての弱者の風体(それ故に肩を持つ者もいた)はないが、それでも相変わらず、少しでも強そうな相手にはこの戦術を繰り返し、批判を餌としてますます大きくなっている。どこまで大きくなるつもりなのだろう? 国際社会で強者として見られるには、その卑劣な振る舞いはもうふさわしくない、失格である。しかし本性は変わりようがないのだろう。
 同時に敵も多くなっているわけだが、始末に困るのでまともに相手するのを避けられている。一番困っているのは妖怪の隣に住まざるを得ない人だ。言葉では負かせないのだから、実力で黙らせるしかないのだが、その人は乱暴を自らに禁じているので如何ともし難く、迷惑を甘受している。
 
 今や妖怪内部の矛盾、腐敗、格差は極限に達し、その巨体は破裂しようとしている。破裂したとき、その実態がいかに貧弱で虚勢に支えられた物であったかが白日の下に曝されるだろう。
 
 所詮は一軍閥が政権を取ったようなもので、近代的な統治国家の体を成していないのだもの。
 本当の「解放者」はネルソン・マンデラのような人だろう。