芝居一座「風」 第25回定期公演

 平成25年5月19日(日) 14:30開演 (15:35~15:45休憩) 16:57終演
 山形市民会館小ホール  招待券にて入場  入場数80~90か?
 「絢爛とか爛漫とか モダンガール版」 作、飯島早苗 演出、大泉淳
 
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 入場券の開演、開場時刻の記載に間違いがあって、少し悩んだ。
 
 幕開いている。和室の離れ。舞台面に箱馬、平台で1尺以上の高さに座敷が作ってある。これは、庭から部屋に入る設定があるための高さである。廊下は板張り、座敷は薄縁敷き。奥壁が下手、幅1間の床の間、上手、幅1間の障子戸(下部は板、中程にガラスが入っている)。障子の奥は廊下とガラス戸(ガラスはほぼ外してあり、枠だけ)で、外が見える。上部壁に欄間飾りがはめてある。この障子から部屋に出入りする。床の間には箱形の蓄音機(ラッパはない)。台の上に一輪挿し(季節によって花が換えられる。牡丹とか椿とか)。上手に開いた1間半ほどの壁に襖2枚。暗転中に片方が開いて、物を出し入れする。上手手前は舞台と平行に壁。丸い飾り窓が開いていて、障子が入っている。ここに下男の影が出る。終盤で波マシンが照射される。下手に開いた1間ほどの壁には障子窓。下に文机。さらに下手に廊下とガラス戸(戸だけ)。竹垣や植え込みのある庭先に通じ、ここからも部屋に出入りする。上から乳白色のガラス傘付き電灯が吊ってある(点灯はしない)。装置の前面は座敷だけで3間幅。全体で5間ほどの幅。
 全体によくできている。建具はすべて本物であるため、リアリティーがある。小ホールの舞台でここまで写実的に組まれた装置は初めて見た。装置好きの自分としてはこれだけで見た甲斐があった。
 装置の後方が黒幕でなく、反響版型の白い壁むき出しであるのと、電灯を吊ったスクリーンが丸見えなのは少しいただけなかったが。
 
 一文字幕の後にボーダーライト?のバトンがあるが、ここは灯体を吊らず、下手に雪の入った布袋?が吊ってある。これは最初から丸見えである。舞台前のサスバトンから数本のスポットで当てるのが基本。外の草木当ても同じバトン。一時、客席に役者が登場する所があり、そこに当てるのもこのバトンから。
 舞台下、上手にスパイラルマシン。波マシン。他に舞台上下手庭先に白い提灯が3個置かれ、終盤、吉原の話の際に点く。その時に欄間飾りの裏にも明かりが点いて、吉原の雰囲気を出す。
 
 衣装は洋装と和服が半々。場ごとに変わる。よく時代感を出している。小道具は蓄音機、トランペットなど本物を出す。酒瓶で、日本酒がラベル無しの空ビンだったのが少し違和感があった。電報の紙もちょっと違うのではないか
 
 女性4人(下男は影だけの登場。他にブラジル移民の男2人を登場させているが、これは脚本にあったか?)の芝居。(モダンボーイ版もあるが、まだ観たことはない。)最初の登場で、ジャズに合わせて踊るのだが、この踊りがどれだけできるかで客のひきこまれ方が違ってくるだろう。今回はもう少しオーバーにして、音楽も音量を少し上げた方が良かったかもしれない。
 大正~昭和期、小説家(1人は批評家)志望の4人の女性がそれぞれの生き方、小説観に従ってそれぞれの道を見出していく様を、四季の経過に合わせて4場にして見せている。上手くできた脚本である。
 議論のような会話が続くこともあり、台詞が長いのが特徴で、数ページに渡る場合もある。役者さんはよく覚えるものだと感心する。ほとんどつかえることはなかった。自分はこういう長台詞が好きな方なので苦にはならなかった。
 特に後半、4人の個性が際立ってきて、それぞれの内面が浮き彫りにされてくるのはすばらしかった。主人公野村文香が、才能で引け目を感じている正田薫の自立した生き方に良くも悪くも刺激され、お嬢様的苦悩が次第に人間的深みを得ていく流れが良く理解できる演出、演技だったと思う。
 こういった台詞劇で2時間半を見せるのはなかなか大変なことであるが、良くできていたと思う。演技と照明、音響の効果がマッチしていたこともあるだろう。
 
 客席の椅子が前後でずらしてあるのは良い。ただ、意外にホール内が暑く、冷房が欲しかった。送風の音を気にしたのだろうが、客席のコンディションが良くないと、てきめんに観劇への集中度に影響する。判断が難しいところではある。
 
 阿部先生、安部先生とお会いする。
 河原先生もいらしていたんですね。