3月になった

 1日は卒業式だった。厳粛な中、例年に増して歌声が美しかった。
 校長式辞は昭和20年4月の川崎大空襲で亡くなった先輩たちについて。
 当時、勤労動員により県内の旧制中学校、高等女学校の生徒たちは、関東地方各県で働いた。本校の前身である山形第一高等女学校からは神奈川県川崎市の明治産業と東芝電気の工場に動員された。3月、東芝の寮で卒業式が行われたが、専攻科の生徒はそのまま残った。
 川崎大空襲では、夜間の爆撃と機銃掃射で多くの無辜の市民が命を奪われた。その実態は、無差別殺戮であり、戦争犯罪以外のなにものでもない。その中で第一高女の生徒5人と教員1人も亡くなった。すぐに校長は全員の引き上げを決意。生徒たちは煤けた姿で帰還、亡き友人の遺骨を下げ、山形駅から数分の学校まで歩く。沿道には在校生が並び、急遽つくられた鎮魂歌を歌って迎えた。しかし、帰るべき学校は前年2月の火災で焼失していた。本校にとって、もっとも悲しい時代であった。
 東芝の跡地は一大ショッピングセンターになっており、家族連れが楽しんでいる平和な姿が見られるのだと。
 
 式後、生徒昇降口の外では各部の「門出式」が行われて、歌ったり踊ったり、お祭りのようである。うちの部も1・2年生が待っていて、卒業生に贈り物をしたり写真を撮ったりだった。サプライズは、顧問にも花束があったこと。感謝。
 
 
 
 春季全国高等学校演劇研究大会 春フェス2013(福島県いわき市
 部宛にチラシが送られてきた。差出人不明…。体裁は昨年のスタイルに習っている。
 
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 やはり金曜日にはいけないので、土・日の8校しか観ることができない。1泊の宿はとった。