雨の土曜日、4日後の水曜日が本番

 午前中、土曜スクール(1・2年)、土曜講習(3年)。つまり生徒全員が登校している。だから部活は午後から。顧問は午前中買い物。雨の中、ヤマケンとジョイ2店を回っていろいろ購入。
 照明用のコードが断線していて、プラグを外してみると、なんと片方の圧着端子が潰されていないことが判明。これじゃ抜けるよね。自分がした仕事だと思うが、いかんいかん。その付け直しと、トライダックの入力側に付いているプラグをT字から平行に付け替える作業をした。これでT字→平行の変換コードが不要になる。
 照明は、舞台装置のパネルが白いので影がはっきり出る。ライトを増やすべきだろう。
 アトリエ公演(部室での公開練習)ということであちこち雑な作りではあるが写真を載せてみた。
 
      ↓ 部室に組んである装置。7畳半の和室。手前のまくり(薄縁)が客席になる。
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   ↓ エアコンは生徒が段ボール紙で作った物。
               ↓ 障子は右側だけ開閉する。左側の裏には筋交いが入っているので。 
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            上演中に2階に行き来する場面があるので、上手奥に階段を設定。 ↓ 
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 高校演劇の脚本についての既成と創作の問題は、かつて「Fringe blog」に「高校演劇の不思議」という題で何回か書かれている。芝居の6割は脚本で決まるということから、どこまでが脚本の力で、どこからが演出・役者の力か見極めないと既成脚本が有利になるだろうということと、顧問が脚本を書き演出をするのは、野球で監督がピッチャーをするようなものではないかという内容だったと思う。
 一部有名な既成脚本が県大会・ブロック大会までを席巻し、極々一部の顧問創作が全国大会を占めるという状況に対する疑問である。そしてこの2点は毎年循環していく。
 では既成脚本の使用と顧問の創作を規制すればいいのか?
  脚本の描く世界を、舞台上にどのように芝居として立ち上がらせたか、そこが評価のポイントであるならば既成も創作もないのではないか。
 また、高校生が60分で演じる芝居の質を維持するには顧問創作は不可欠だろう。脚本が現役高校生の抱える問題を描くなら、現場の教員(+生徒)ほどふさわしい者は居ない。
 全国2000校の演劇部が脚本を選ぶ時の選択肢を広げるには、多くの名もない創作脚本が広く知られることが必要なのではないか。そのためにはたとえば「大会結果速報ブログ」のような、大会参加創作脚本が、地区から県からすべてアップされるような場があればいいのか? 
 
 
 さて明日は投票日だ。
 ここに来て、北朝鮮は長距離弾道ミサイルを発射し、中国は尖閣諸島の領空を侵犯した。これらは、彼らの称する「日本の右傾化」を逆に推進する愚行ではないかと思える。
 領海侵犯には海上保安庁が第一に対処するが、領空侵犯には初めから航空自衛隊が対処する。これはわかりきったことで、事態をエスカレートさせているのは中国の側だ。必ずや尖閣に上陸占領しようという中国の決意は、日本人の心に十分に伝わったと思う。だが日本人がこのような威嚇、恫喝に屈することはない、ベトナムが武力で環礁を強奪されたようにはならないと信じる。
 一旦軍隊同士の小競り合いが起きたら、それは急速に大規模化するだろう。大規模化して米中の戦争になった時点で一応休止するのだろうが、それまでにどれほどの人命・財産が失われるか。軍人は戦死傷者数を見込んで戦争を起こす。互いに膨大な犠牲を払っても、ほんの少しの差で勝てばいいと考えるのだ。もしかしたら中国の今の政治指導者もそんな考えなのか。21世紀の今日、大国同士が領土を争って戦争するなど常軌を逸している。新世紀の帝国主義、前世紀の亡霊である。