雨、これが雪に変わる

 期末テスト採点中。先週末から始まっているが、昨日(3日)は酒をくらって寝てしまった。そのせいか、だいぶストレスがとれた。人間、休まずに働き続けられるわけがない。
 
 DVDで「深夜食堂」を見ている。「卵サンド」の回、新聞配達をしながら苦学する学生とタレントの卵の女性の純真な恋物語。この主人公の学生と同じように、友達が住み込みで新聞配達をしていた。ある日、とても続けられないから夜逃げするので手伝えと言われた。休みの日も集金の仕事があって、これが大変なのだという。トラックが手配してあって、昼間に荷物を積み込み別の下宿へと移った。探さないで下さいという書置きをした。まっすぐやめますと言えない状況があったのだろうが、珍妙な夜逃げではあった。そんなことを思い出した。しかし、20分くらいでまとまった話を作るのだから感心する。元はマンガなのだが。非常に良くできた枠があって、そこに放り込むから、何でも形になってしまう。連載には都合が良い。
 
 テストは終わったが部活は明日から再開。12月のアトリエ公演と2月の冬季公演が、かなり間隔がきつく、生徒も心配している。12月はやめてもいいのだが、キャスティングまでしているので、文字通り「公開練習」でもいいかとも思う。2月は会館を借りているのでやめるわけにはいかない。結論は明日の部員の話し合いに任せる。といっても今日は障子の枠用の板を買ってきてしまった。
 
 
 創作(新作)と既成作品について考えたが、前にどこかで書いたこと以上には深まらない。
 要するに、既成作品は評価も定まり(保証書付きで)、内容は審査員も良く知っている。それなのに、「脚本は事前に読まずに上演だけで判断する」という姿勢は、創作(新作)に対して不公平だろうということが一つ。
 創作(新作)が高校演劇の命だという割には、全国的にごく限られた既成作品が繰り返し上演される。全国大会の作品は脚本も出版されるし、ビデオなど見れば、モデルがあるのだから、容易にあるレベルまで作ることができる。内容も高評価なのだから選択されるのも当然であろう。
 その前に落選していった数多くの創作(新作)は日の目を見ないで消えていく。つまり、高校演劇の未来は、ごくわずかな全国大会上演作品によって決められているのであって、名も無い多くの高校の上演した作品は、そこにあった可能性とともに、孤立して忘れられる。
 だから、そういう面でも審査員の責任は大きいのだが、高校演劇の将来の可能性とか発展とかを考えて審査するわけでもないのだろう。
 
 ただ、上演回数ということではネット上の脚本投稿サイトの作品の方がずっと多いだろう。それは面白くてやりやすいからであって、芸術としてどうかという範疇のものではないと思う。
 高校演劇にも、一度も再演されないが秀作であるというものが無数にあり、一方では演じやすく、面白い、一部の作品が繰り返し繰り返し上演されるということになる。
 
 創作(新作)の評価は難しい。芝居の要素要素はこれまでにあった作品に倣っていて、新味はないが全体的には良くできている「新作」。60分の中で、今まで見たことのない、他にやっていないことを、ほんのわずかでも出した「創作」。高校演劇の明日に資するのはどちらだろう、という話。