また採点の時期が来た

 明日から1泊で人間ドック。病院はあまり好きじゃない。毎月通ってるけど。
 期末考査後半の2日間、部活もないしちょうどいい時期だ。問題は、採点と台本…。病院の夜は暇だろうからそこでなんとか…。もちろん採点はできないから台本書きだ。
 
 昨年、一昨年と頑張った(?)ので今年はほんとに乾いた雑巾状態である。
 ただの人間にとって、「創作を続ける」という行為は恐るべきことである。誰にでも1本は傑作が書けるかもしれないが、2本、3本…10本も20本も書いていくとなるとそこには別の要素が必須となる。才能であり、職業的な努力である。
 才能はともかく(才能のことを言ったら身も蓋もない)、職業的努力という点では、公立高校教諭が課外活動の顧問としてどこまでできるのか…。(という弁解をしているわけだが)
 既成台本でいいじゃないかという声が聞こえる(自分の中から)。しかし、今、目の前にいる部員たちに出来ることと出来ないことがある。得手、不得手がある。常に生徒の入れ替わる部活動においては、不断に部員の個性を把握し、対応しなければならない。常に一定の人数で一定の力を持った部員がそろうわけではない。毎年同じような芝居が出来るわけではない。限られた資源でどのような成果を望めるか。おもしろいと思える台本が、今の部員たちにあっているとも限らない。学校ごとに校風があって、必ずしも他校で上演して成功するわけでもない。既成台本では十分にこの資源を生かせないと思ったら書くしかない。
 書いたらそれがほんとに部員に適しているのかということがあるが、部員を見ながら書き、部員の稽古を見ながらアドバイス(と同時に自分の中での修正を)していくので、創作台本は現在の部員無くしてはできないものである。いわゆる当て書きというのとも少し違う。
 
 今年も各校の定期公演が一段落し、3年生はほとんど引退、2年・1年での作品作りに入る。
 3年生の引退公演でもある定期公演、それに対して外部の者が批評(ほとんどダメ出し)をすることには正直申し訳ない気持ちもある。気分を損ねた方も多いのではないかと思う。直接にクレームが来ないので続けています。
 
 そもそも自分はなぜこんなことをしているのか。
 
 高校生は他校の自主公演を観ない。市内に複数校あって、互いの公演の時期がずれていれば観られるが、電車を使って行くような所へは観に行かない(行けない)。だから大会以外、他校の上演を知らない。大会も地区までしか知らないとなれば、ひいては高校演劇のレベルの幅がどれほどで、自分の位置がどの辺なのかが分からない。蛸壺的。
 部員だけでなく、顧問も他校の上演を観ない(お忙しいのでしょう)。東京で芝居を観てくる方はいても、地元の他校の上演を観ることには意欲的ではない。観てもしょうがないと思っている節もある。他校の上演が自分の所の参考にはならない、あるいは、所詮あそこの上演のようにはできないという感じなのか。
 こういう状況では、各自孤立していて全体的(組織的?)レベルアップ(あるいは維持)は難しい。みんなの財産になるはずの各校の経験、工夫、成果がどこにも残らず反映されず、蓄積されずに消えていく。毎年、「振り出しに戻る」ではないか。いい上演をしていた部でも、経験の蓄積である顧問が転勤すると途端にレベルが低下する。
 だから、代わりに観て、観なかった人にも何かの参考になるのではないかと書いている…のかなあ?舞台美術とか照明とかを細かく書いているのはそういう意図もある。しかし読んだだけでは伝わらなく、実際に見ないと分からないかなあ。参考になったという声も今のところ聞かない。余計なお世話で終わっているのか…。
 
 自分の所の上演を観てもらって感想をいただくという場合、ほめられたいのが7割か。だったらもっと他所様もほめるべきなのだろうなあ。大会でいただいた講評のようにはなかなか書けないものだ。