山形演劇鑑賞会第331回例会

 こまつ座 『闇に咲く花』 作、井上ひさし  演出、栗山民也
 6月14日(木) 山形市民会館大ホール 
 18:30開演 21:33終演 途中休憩15分 2幕5場
 
 緞帳ではなく、黒い暗転幕が下りている。上手、幕前に小さな赤い鳥居が一つ見える。下手にはなんだか分からないが木組みの枠が立っている。間口は黒い壁で上下1間位ずつ狭めてある。
 両花道に照明のスタンドが立っていて、かなりの数の灯体が吊ってある。これは舞台が神社の神楽堂ということで、大きな屋根があるため、その中を照らすためである。もちろん屋根の中にも照明は吊ってあるが、こういうセットの照明はなかなかむずかしいだろう。
 下手幕前、あの枠の隣に何か台があって、そこに白ワイシャツ姿のギター弾きが登場して腰掛け、曲を奏で始める。音響はこの1本のギターの生演奏だけである。やがて暗転していくがギター弾きに明かりが残る印象的な始まり方。
 暗転幕が上がるとそこは神社の神楽堂。本殿も拝殿も宝物殿も空襲で焼かれてしまった神社が、焼け残った神楽堂を拝殿代わりにして営業?している。このセットがすばらしい。立体的な屋根が3間半ほどの間口の板の間を覆っている。板の間は開帳場になっている。
 下手はバラックのお面工場。作業台や干してある作りかけのお面。上手はあの小さな鳥居が続いて、奥に末社の一つがある。神楽堂は正面中央に2段の階段。上に賽銭箱。奥に祭壇。鏡が祭ってある。
 ホリは黒幕。ただし、最後の場(8月15日)だけは、夏の明るい、入道雲の湧く青空の背景幕が現れる。
 
 以下、ネタばれになります。
 1幕目、愛敬稲荷神社神主の牛木は5人の戦争未亡人をお祭りの屋台で売るお面の工場で雇い、闇米を運ばせたり、神社のものを質入れしたりしてしのいでいる。一人息子は戦死公報が入っている。野球仲間だったその友人の精神神経科の医師稲垣、近所の巡査鈴木が登場する。健太郎は捨て子だったことも明かされる。牛木は、神様はずっとお留守だと言う。いくら神風を願っても、お留守なのだからかなわなかったのだと。
 前半3場までは、皆の引くおみくじが大吉ばかりで、その内容も当たり続けるなど楽観的展開。死んだはずの息子健太郎まで、記憶喪失の状態で米軍の捕虜になっていたが、少し前に回復したということで帰ってくる。
 3場の終わり、健太郎の引いたおみくじが凶であった。健太郎C級戦犯容疑がかかっていることが告げられ、出頭を命ぜられる。健太郎がそのショックで再び記憶を失うところで幕。ギターがフラメンコ奏法に変わり不安感をかきたてる。
 
 2幕、記憶を失った健太郎は自分が捨てられていた杉の大木の下にいる。そこでまた神社に捨て子がある。鈴木巡査が拾いあげるが、それは黒人との混血児である。健太郎はその子を見て、僕はお前だ。お前は僕だと言う。
 稲垣はGHQから、戦犯の記憶喪失偽装を見破る役目を与えられる。野球や神社の思い出を語ることでなんとか健太郎の記憶を蘇らせることに成功する。
 牛木は神道の本義は清く明るい心であり、ゴムマリのようにそれが包まれていると言う。キリスト教や仏教、イスラム教のように開祖という者がいない。教義がない。外来のすべてを受け入れ、圧力にはへこむがすぐにもとに戻る。
 健太郎は言う。神社は神社でなくなっていたのだと。死を穢れとして遠ざけてきた神社が、空襲による死者の火葬場になったとき、また、お国のために死んで来いといって兵士を送り出したとき、すでに神社は神社でなくなっていたのだと。
 健太郎と父との神道論争は、『イーハトーボの劇列車』の賢治と父との仏教論争を髣髴とさせる。
 清く明るい心とは生まれたばかりの赤子の心だろう。劇中しばしば聞こえる泣き声がそれだ。クライマックスで東京中から(靖国神社からも)鳴り響く「平和の太鼓」の音と重なる泣き声、そしてギター。しだいに太鼓の音が追いやられ、赤子の泣き声が残る。(上手花道にだけスピーカーが立ててあるのはこの効果のためだった)
 赤子を背負って子守している女の子が、神社に来ると赤ちゃんの機嫌がよくなると言う。ここはやはり神社なのだと皆が納得する。
 
 C級(人道に反する罪)戦犯としてグアムに送還された健太郎は裁判の結果死刑となる。現地人相手にピッチング練習をし、捕りそこなった球を額に当てて脳震盪を起こしたのが、虐待に当たるというのだ。アメリカ相手に、中国相手に、東南アジア各国でこのような戦犯裁判が行われ、数百人が死刑になったと聞く。(追記、このテーマでは『私は貝になりたい』という名作がありますね)
 健太郎は、ついこの間のことを忘れてはいけない。忘れたふりはなおいけないと言い、再び記憶をなくす(なくすふりをする)ことを拒んで出頭したのだった。
 
 観客を惹きつけてやまない脚本の魅力、役者の演技の見事さ、舞台美術とギターの音のすばらしさに堪能した。
 ただ一つだけ疑問が残ったのは、日本軍に「督戦隊」があったという台詞である。憲兵や上官が、戦場離脱、逃亡する兵士を射殺することはあったかもしれないが、組織として督戦隊があったとは聞いたことがないからだ。
 
 おもしろかった。すばらしい舞台だった。満足である。
 この後、川西町のフレンドリープラザでも上演する。また観てもいいかな、と思ったりする。