復帰

 平野にぽっこりぽっこり山がある景色が四国らしいとすれば、山形盆地は周囲すべて山で、低い山から高い山へとつながっていく。夏の緑濃い山々も冬の白い山々も慕わしい。母親の懐に抱かれているような感じがする。
 中学校の修学旅行で関東平野を初めて見たとき、どこにも山がないのに驚いたし、不安を感じたものだった。どこまでもどこまでも家並みが続いていた。
 
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 ぺしゅ(桃)」と「りぃぶ(オリーブ)」 (ボード2枚の間に貼ってあるので光の筋が入っている。)
 
 
 今日部活に復帰。1、2場の立ちを見る。台詞がほぼ入っていて台本を手放せるのに感心する。が、テンションが低ーい、低ーい。まあ通夜の場面だからかもしれない。でももっと上げよう。間もつめよう。役者はまだまだ役作りができていない。あたりまえだけど。
 暑い部室の中で少しずつ動きを変えてみる。音響のタイミングも考えていく。つながりが悪いのは台本の不備のためである。また、衣装替えのための時間を考えていないので、少し順序を変えなければならない。
 仮のパネルを立てて舞台装置の感覚を持てるようにした。パンチカーペットも部屋の形(正方形)に切り直して貼った。
 練習時間の合間に、夏休みの課題点検を受けに職員室へ行く生徒たち。彼女らは、公立進学校ゆえの苦労を乗り越えてがんばっている。他校の何割かしか練習時間を確保できないのだ。
 
 
 全国大会を観て、演劇は身体表現だということをあらためて感じた。『逝ったり生きたり』や『カツっ!』の役者達のオーバーなまでの動き。『ひきなかへしそ』の、舞踊からとった様式的な動き。
 また、「変身」ということが非常に劇的なことだと感じた。『モンタージュ』で老婆がみるみるうちに少女へと変身してゆく様を見るあの感覚。『ひきなかへしそ』で白虎隊の少年が歴史研究部の高校生に変身する(ダブルイメージになる)様。
 
 でも泣ける作品の多い大会だったなあ。『紺屋高尾』は見終わってからずいぶん鼻をかみ続けた。この人情噺、内容はよく知っているのにやっぱり泣ける。古典は古典だけのことはある。
 昨年の東北大会の『ねこはしる』も泣けたなあ、と言っていたら、その演出をした生徒が講評委員の中にいた。