金丸座(金毘羅大芝居)

 8月3日(水)琴電に乗って金比羅様に行く。
 終点琴電琴平駅に降りて一瞬戸惑い、逆方向に歩いてしまった。大鳥居と橋が工事中だったせいで前に来たときの感覚が狂ったのだ。
 
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 参道を登ってすぐの左側が金丸座への道。ここは天保6年に金比羅神社が参詣客のために建てたものを昭和47年から4年かけて移築復原したもの(一時は映画館になっていたという)。現存最古の芝居小屋である。
 
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 櫓太鼓がある(太鼓は据えてないが)。中央に小さく空いているのがネズミ木戸。左右に、大きく開く戸もあるが、こちらは上客、貴賓のための入り口。
 
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 2階席の後舟(最上段)から見た小屋内部。天井はブドウ棚(竹を組んだもの)になっていて、客席全体に雪や花を降らせることが出来る。これは12年前かに来たときにはまだ復元されていなかったはず。
そこから顔見せ提灯が下がっている。毎年4月に行われる興行3回分くらいある。鶴の絵柄は金丸座の印だという。緞帳ではなく定式幕。
 上方の明かり窓は閉まっていて、蛍光灯が点いている。本来は電灯は一切ないわけで、芝居は昼だけやっていたと。暗転はこの窓を板戸で塞ぐことで行っていた。人手があれば一瞬で出来ただろう。
 花道(幅1,3メートル)と舞台の角に空井戸が復元されていた。ここから奈落に出入りできる。その少し手前、灯りの反射している辺りにすっぽん(地下から人が出現する仕掛け)がある。花道の上にあるのがかけすじで、宙乗りの装置。これも8年前の大改修で復原されたもの。
 桟敷席の大きさは一間四方ないが4人ぎりぎり入れたという。2桟敷の間の仕切りを外して5人座るのだともいう。このへんは説明係のおじさんの話。桟敷席はスロープになっており、舞台に向かって緩やかに下っている。現在は740人収容となっている。
 上客は上下の2階席から観る。上手が貴賓席で、少し柱間が広い席があり、そこが最高の席だという。皇太子殿下ご夫妻もそこで観劇されたとのこと。オペラの貴賓席もこの位置にあり、奇しくも洋の東西で一致している。
 舞台上には直径4間の回り舞台(人力駆動)とせりがある。こういった仕掛けは日本人の独創であり、古人の工夫に感心する。
 
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 舞台から平場の桟敷席を見る。大向こうから声が掛かりそうだが、舞台からの距離は10数㍍である。これが肉声の良く聞こえ、表情が伺える限界なのだろう。2階席にハシゴがあって、太鼓櫓やブドウ棚に出られる。
 花道の奥が鳥家。黒幕に切り込みがあって、芝居の様子を伺いながら出を待つ。金輪で下げた幕を勢いよく引くと、ジャッという音がして客の注意が一斉に向けられる。
 舞台裏に奈落への広い出入り口がある。落ちそうで危険な感じ。奈落には回り舞台を回す仕掛けがある。今でも可動している。町の若い衆が回すのだそうだ。奈落から花道の下を通ることが出来る。途中にすっぽんの仕掛けがある。地下は暗く涼しい。
 舞台の裏側に楽屋があるが非常に天井が低く狭い。衣装部屋、かつら部屋とあるが、実際狭くて不自由そうである。端に風呂場がある。二階がいわゆる大部屋。
 
 これらをみると現代の劇場とほぼ同じ構造であることが分かる。ただ、舞台上に空間がないので、バトンを上げて幕を飛ばすようなことはできない。
 前回は急いでいたので説明を聞かずに勝手に回ったが、今回はおじさんの説明を聞くことが出来た。
 
 
 この後、参道を降りてうどんを食したがうまかった。前回、参道の上の方にある近代的食堂で食べたものとは別物だった。早い安いうまい、これはいい。時間に余裕がありそうだったので、生徒と参道を引き返す。急いで本殿を目指すが、この10年間で体力は激減しており、半ばにしてダウン。ゆっくりでないとダメだ。五人百姓の加美代飴を買って、御神馬のところで休んで生徒の帰りを待った。前に買った店(傘の下の台だが)のおばあちゃんは代替わりしていて、もういなかった。
 前回来たときは、本殿からさらに右手の細い道を上り、どんづまりの奥の院のようなところまで行った。高い崖に天狗と烏天狗の面が彫って?あった。まだ若かったのだなあ。
 琴電に揺られ、小一時間かけて高松に帰る。車窓から見る、平野にぽっこりぽっこりある山が四国らしい。