方丈の生き方

 仕出し弁当は23日から復活した。間が3連休だったので、実質3日間のおにぎり持参だった。
 今朝は少し遅く出勤したせいもあるだろうが、車の交通量が明らかに多くなった。今日はGSもあまり待たずに給油できるようになったとのこと。自分ももう少しで車に乗ることができそうだ。
 日曜日の朝、自転車で遠出してGSやホームセンターを見て回ったが、どこも灯油は売り切れ状態だった。1軒だけGSが開いていて、灯油も売っていたが、恐ろしい車の並びようで、どこまで続いているのか分からない状態だった。灯油が残り少ないので、いずれは並ばなければならないのかと覚悟したが、灯油の宅配も今日からできるようになった。一安心である。
 しかし、牛乳や紙(A4)が品薄である。よくもまあ一斉に消えるものだ。水や野菜や米もどうなるか分からない。目端の利く人はさっさと買いこんで、自分のような人間は気がついた時には何も手に入らない状態で取り残されているのかも知れない。しかし、戦時中の配給とか戦後の引き揚げや闇市の状況を思い起こせば(体験はしていないけれど)、まだまだ物もサービスもふんだんにある。それなのにみんなが不急不要の物を買うから一時的に足りなくなる。それがまた不安に輪をかけ、物を買わせる。
 無いとなると切実に欲しくなるのが人間である。「方丈記」にあるように家も持たず、金も持たず、最低限必要な物だけの生活でよいと割り切れば、いっそ安心なのだろう。
 
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 中庭の雪囲いが外されようとしている。池の氷もほぼ溶けている。やはり、春なのだ。大地震、大津波、2万人の死も関係なく、季節は移ってゆく。この永遠に循環、再生する自然の中で生きてきたからこそ、日本人はこの台風や地震災害の多い日本列島で住み続けることができたのだろう。
 ただし、原発事故は未曾有のことで、どうなることか見当も付かない。敦賀の「もんじゅ」も問題を抱えているようだが、人間の手に余る火をどうしたら飼い馴らせるのか。人間の英知はまだ追いついていないようだ。しかし、広島、長崎が、原爆の洗礼を受けながらも見事に復興したことを思えば、福島も必ず再起することができると信じる。
 
 今日の部活はスタッフ作業。衣装ができつつある。自分の車がないので、生徒が自転車で少し買い出し。印刷所との打合せ。