『紫式部日記』 寛弘五年八月二十六日 (新日本古典文学大系24 岩波書店)
上よりをるる道に弁宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑、色〱の衣に濃きがうちめ心ことなるを上に着て、額はひき入れて、硯の筥にまくらして臥したまへる額つき、いとらうたげになまめかし。絵にかきたる物の姫君の心ちすれば、口おほゐを引きやりて、「物語の女の心ちもし給へるかな」といふに、見あげて、「*物ぐるほしの御さまや。寝たる人を心なくおどろかす物か」とて、すこし起きあがり給へる顔の、うち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそ侍りしか。おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。
*下段註釈 「気違いじみたなさりようですこと。」
ここは、「物ぐるほしき御さまや。」のように連体形を用いず、終止形に「の」を付けて連体修飾語にしている。
ここの「ものぐるほし」を「気違いじみている」と訳するのはどうだろうか。
仲の良い女房で、年齢もそう変わらない同士の会話だから、意味は「とんでもないなさりようね」くらいが適当ではないか。あるいは「ひどいわね」「おばかだこと」「おばかさん」のようなくだけた言い方のように感じる。英語なら「crazy」という感じだろうか。
『更級日記』 永承元年十月二十五日 (新日本古典文学大系24 岩波書店)
大嘗会の御禊とのゝしるに、初瀬の精進はじめて、その日、京をいづるに、さるべき人〱、「一代に一度の見ものにて、ゐなか世界の人だに見る物おw。月日おほかり、その日しも京をふろいでていかむも、いとものぐるおしく、ながれてのものがたりともなりぬべき事也」など、はらからなる人はいひはらだてど、児どもの親なる人は、「いかにも〱、心にこそあらめ」とて、いふにしたがひて、いだしたつる心ばへもあはれ也。
ここは連用形で、挟み込み(挿入句)のようになっているのだろう。
作者の身内が「一生に一度の盛儀を見物せずに旅立ったりするのは、たいそうばかなことであって、後世の語り草(物笑いの種)になってしまうことだぞ」と怒る。
ここは「非常識である」「常軌を逸している」という意味だろう。今風に言えば、「頭おかしい=アタオカ」くらいのニュアンスではないか。そういう意味では「気違いじみている」とも表現できそうだ。英語なら「stupid」「idiot」「foolish」というところか。
後段で、「『あれはなぞ〱』と、やすからずいひおどろき、あさみわらひ、あざける物どももあり」とか、人々が「『月日しもこそ世におほかれ』とわらふ」とあるので、よほど非常識な、異常なことに思われたのだろう。
この二例はどちらも、他者の行為に対して、発語者が行為への感想を、即時にぶつけたものである。赤の他人に対してなら悪罵だが、親友に対してならかわいい不満というくらいのものではないか。