「こぶたとチャールストン」を懐かしむ

 今日が唯一の夏休み。朝、庭の木の伸びた枝先を切って終わった。
 今日から3日間部活がないから時間はある。
 部員は代わる代わるに部活を休む(個人の都合で)が、顧問は毎日ついていないといけないから休めない。早朝涼しいうちに草取りなどして、8時に家を出るという毎日。
 今年度の大会作品も、昨年同様、生徒創作なので本を書く苦労はない。退職後再任用の身、いずれいなくなる顧問は後のことを考えて生徒にやらせているが、端で見ているのもなかなか歯がゆいものではある。
 26日(土)に市民会館大ホールで学校祭の校内ステージ発表がある。そこが地区大会の会場なので、事前リハーサルのようになる。
 今回は装置を作らないので楽である。

 部室で稽古を横目で見ながら、自分の過去の台本を読んでいた。「こぶたとチャールストン」というふざけた作品で、地区落ちした作品だ。今読み返しても結構面白いのだが、テーマは「差別」である。どうしたら差別がなくなるか。たとえば、王子が乞食になったり、金持ちが貧乏人になったり、すこぶる健康な人が障害者になったりすれば、あるいはその逆であればどうかということだ。

 で、ある日を境に世界中の赤ちゃんがみなブタ顔で生まれてくるようになるという設定にした。(当時は豚インフルエンザの脅威があったのでその影響だろう)
 白人の子が黒豚で生まれてくる。イスラム教徒だろうが子供はブタ顔。
 ある世代を境に人顔(旧人類)とブタ顔(新人類)が入れ替わるという恐ろしくもばかばかしい話だ。

 で、人顔の女の子とブタ顔の男の子の恋愛、男の子は劇薬を飲んで自分の顔を変えるという、「人魚姫」みたいなエピソードを入れた。すでに「崖の上のポニョ」は公開されていたので、その影響もある。

 で、最初の新人類世代が高校生くらいになったある日、突然みな苦しみだし、顔がサナギ化する。サナギが割れると、なんと人顔になっている。つまり、新人類も17歳くらいになると変態して人顔になってしまうのだった。一連の変転に振り回される人々(母親たちとか)を描いた。

 大会後の合評会で、複数校から「どうして元にもどるのか。ブタになったままの方がいいのではないか」と言われたが、これは譲れないところだろう。
 王子が乞食になって終わりじゃ、意味ないでしょう。
 いや、少し違って、梅山豚みたいな顔だった女の子が、年頃になって美少女になるとか、その逆(ブタ顔の国民的美少女コンテストとかがあるが、その子が人顔の美少女になるとは限らない)とか。

 この話の意味、わかりますかね?
 「高校演劇脚本」の書庫にありますので、興味のある方はのぞいてみてください。