クリスマスイヴに公開練習します

 アトリエ公演(部室での公開練習)、12月24日(火)、クリスマスイヴだ。
 台本選定し、読み合わせ。来週、キャスティング。教室を舞台とした1時間の芝居。男役が2人
 まあ、ほぼ部員におまかせである。直前に東北大会があり、自分は毎日通うつもりなので、副顧問のM先生にみてもらおうと思っている。日程上、毎年、職場の忘年会に出られない。
 
 
 県大会の審査員講評をお読みいただいた方は、いったいどんな舞台だったのか見たいんじゃないかなと勝手に思って、ラストに近いシーンの写真をアップしてみます。解像度は落としてあります。
   
イメージ 1 左がハルナ(人間)、右がルル(アンドロイド)
 
イメージ 2 綾の鼓
 
イメージ 3
 
 ハルナは、能や歌舞伎で使うスワエという棒でルルを滅多打ちします。一気に感情が高まり、「ググッとくる」ものがあります。しかし、その前の55分間がなければ、この高まりも無いだろうと思います。
 挿入劇の「綾の鼓」では旧式ロボット(男)が女御を打ちますが、本筋では人間のハルナがアンドロイドのルル(女)を打ちます。このように(微妙に同じで違う)要素を重ねることで、複雑な心理のイメージを観客の心の中に喚起できるのではないかと思っています。だから成田氏の「観念の世界を目に見える形で表現した」という表現は吾が意を得たりです。(もちろん古典の力を借りてのことですが)
 内容は、アンドロイドの育てる人間の「愛」がどのように育つか、の思考実験だったかもしれません。現実に今、人間が人間に直に対せず、スマートフォンの中で生きているような状況への批判(のようなもの)もあります。
 あるいは、男と女の間に永遠にある、深い川のようなものを描きたかったのかも知れません。昔から「深草少将の百夜通い」や「綾の鼓」のストーリーが好きだったのです。「綾の鼓」は新作能になるのでしょうが、三島由紀夫によって戯曲化されています。能自体は見ていないのですが。
 
 今回の上演では、人間とアンドロイドの区別が(視覚的に)つかないという点がよくなかったのでしょうね? 視覚的に差別化しての再演…やはり難しいです。この作品は3回の上演で終わりました。