明日出発

 明日、香川県に向かう。行くだけで1日。生徒2人に切符を渡す。1週間、他の仕事は忘れて高校演劇漬けとなる。幸せなことであろう。
 
 留守の間の部活は、明日から立ってみると演出が言う。台本を持って立てるくらいには読み込みが進んでいる。床にバミリして、実際に使う長机やテーブル、椅子を置いてあるし、出入りの位置は限定されているので、動線は動いて考えられるようにしてある。部屋は少し奥行きを広くした。
 もっとも台本がまだ50頁までしかなくて(85%の分量)、あと数頁は書かなければならない状態なのであるが…。作る装置も多いので、向こうで夜の間に図面をひいて、帰ったらすぐに作り始められるといいなと思っている。
 
 台本は、生徒から細かい矛盾点を指摘されたりしている。書いているうちに微妙に設定が変わってしまうことがあるが、本人は読み返しても気付かないのだ。でもたいしたことではない。問題は自分の中にあった書きたい物がすべて出し切れたかという点だ。何かまだすっきりしていない。もう一つありそうなのだが、降りてこないとそれが何かは分からない。自分は結構理詰めで話を考える方だと思うが、しかし、台詞にしていくのはそれではできない。何かのひらめきとしか言いようがない。後で、本当に自分がこれ書いたのか? と思うような台詞が良いのである。
 
 全く「普通の芝居」である。目を惹く斬新さも、度肝を抜く演出もない。今、高校生がこれをやることにどんな意味があるのかなどと聞かれると困ってしまう。自分は、自分が今書けるものを書いているだけである。
 深い、暗い、底の見えない井戸に釣瓶を垂らしてやって、果たして水があるのか、あってもそれが飲めるのか分からない。そんな手探りで書いているのだ。
 自分の井戸の底まで探ったら何があるか。それは地下の水脈で他のどこかの井戸とつながっているかも知れないし、ただの溜まり水かも知れない。信じるのは自分の感覚と読んでくれる生徒の感覚だ。「今回の話、好きですよ」と言われることが自分の支えである。