エアコンをつけっぱなしにするような猛烈に暑い夏だったが、さすがに季節は廻り、一時はファンヒーターをつけたりする寒さになったりした(家人はあきれ顔)。
雨と共に(この雨がまたひどい降り方だったが)涼しくなってきている。秋は短く、冬は厳しいような予報のようだ。まあ、これが日本の自然で、日本人はこの中で生きてきたし、心(気質?)も培われたのだ。
市の集団健康診断に行った。近くの公民館でやるのだが、昨年は雨の中で、駐車場にある検診車への出入りが大変だった。今年は気持ちよい天気で良かった。
健診着など無いので、ズボンを脱ぐとジャージを貸してくれた。ステテコなどが必要のようだ。これは助手?が女性だからか。
体重が昨年から1キロ減で腹囲も1センチ減。身長は若かりし頃から2センチ低くなっている。歳と共にこういう変化が現れるのも自然で、老人力が付いたとまでは言わないが、肯定的に受けいれている。
ボランティアを始めている。一つは昔取った杵柄で高校演劇部のお手伝い。去年と違うのは、コーチというよりアドバイザーという意識でいること。演劇経験の浅い顧問に代わって出過ぎたことをしないようにしている。生徒の自主性、主体性を尊重するという方針である。人によるのだろうが、自分は一人でやりたがる性質なので、人に任せるというのが苦手で、すぐ口出ししたくなる。これを抑えるのが仕事の一つである。
もう一つは視覚障碍者への「音訳」であるが、読むのではなく校正の方である。二年に一度募集している。読み方の校正なので、漢字の読み方、アクセントなども注意しなければならない。まだ一年間の養成講習が始まったばかりで、これを経て実際の仕事をすることになる。この仕事、まあ女性の比率が高い。というか男性は自分だけである…。
清野和男先生が亡くなられた。自分の4歳年長である。長く闘病生活にあったが、演劇への情熱は衰えなかった。自分が最初に高校演劇部活動に触れたのが先生の下であった。演劇というもの、その作り方を初めて実地に学んだのは先生の下にいた二年間であった。先生作の『七夕の夜』がその年の東北大会(山形市開催)で県代表となり、翌年の熊本大会に出場した。自分は第三顧問で、生徒の通院付き添い(ヒロインの声が出ないとか男の子の手の骨の痛みとか)や、部Tシャツ新調のためプリント先を探して熱暑の市内を歩き回ったりしていた。ので、肝心の上演はほとんど観ていない。大会期間中の生徒交流会で、生徒がサービス精神から寸劇的な出し物で笑わせ、受けていた。翌日、上演中にその子が登場すると、シリアスなシーンなのに客席から笑いが起きてしまった。そんな予想外のことがいろいろあった。四十年近い昔の事である。
遺影の前に立ち、涙を禁じえなかった。改めてご冥福をお祈り申し上げます。
そういえば今日は「青春舞台2024」の放映日だ。