雑感 20210530 勤務継続します

 引き続き6月も病代で勤務することに決まった。今度は1日からなので諸手当も付くのである。この給料の計算と支給の方法について、何とも融通が利かないのには驚く。

 毎日毎朝、片道50分の自家用車通勤。季節が良いから山を眺める余裕もあったが、さすがに疲れは蓄積してくる。また、50分間の授業を週12時間、生徒の前でしゃべるのにも疲れてくる。声を出すのは体の健康に良いのだろうが、家にいる時とは違って一日中マスクをしているので息苦しいし、鼻水が出てくる。代わりの人が見つかったらすぐにでも辞めたいが、見つからないから自分のところに話が来たわけで、あまり期待はできない。自分より若くて通勤距離の近い人がいればよいのだが。

 急場しのぎで一か月そこそこの代打だったが、7月頭の期末テストまで責任もって済ませるのがベストだろうとは思うので、老体(古希前だが)に鞭打って頑張ろうか。

 授業という物をやったことがない人には分からないだろうが、まあ、先生は勝手なことをしゃべって給料がもらえていいなとか思われているのかもしれないが、毎日毎日好きなことだけを何クラスかで繰り返ししゃべっていたら、たちまちネタは尽きてしまうだろう。脇道に逸れながらも本筋につながる話題を振るわけだが、これを生徒の反応に合わせて、ある程度臨機応変に出せるようになるまでには相当の経験と知識が必要だ。

 教員免許をいただいて大学を卒業し、地方自治体の採用試験を通ってめでたく先生となる。だが、戦前の師範学校などと違って、一般に大学では2~3週間の教育実習しか経験しない。それも自分の母校でだったりする。

 ほかの職業でもそうなのだろうが、先生になって現場に立ってからが先生の修行である。長年やっても熟練する部分とそうでない部分がある。授業技術や教科の専門知識は深まるだろうが、対象の生徒については、一年一年変化するので、以前の経験が役立たない場合も多くなる。バイオリンのような楽器を作るとか鉄を鍛造して刃物を作るとかなら、経験年数とともに熟練度は上がってゆく。そこがそうではないとなるとつらいのだ。

 受験校で受験指導をするなら、生徒もある程度一定の目的をもっているので扱いやすい。決まったことを教えていればいい、という容易さもある。そうでない場合は、いったい何を教えればいいのか分からなくなってくるので楽じゃない。

 梶井基次郎の「檸檬」を読んで今の「普通の」高校生が何を読み取り理解するのだろうか。自分が高校時代に「檸檬」読んだ時の感じを思い出してみても、肺病になった文学志向の旧制高校生が考えることに共感も反感も持ちようがなかったように思う。

 今は小中学校で習ったことがさっぱり身についていない生徒も多く、山形県人なのに斎藤茂吉を知らないと言う者もいる。そんな中で授業をしていくしんどさというものを再び感じながら黒板の前に立っているわけだ(大多数はまじめで素朴な生徒です)。

 自分の年代は免許更新不要だが、もしこの次に臨時の話が来る頃には、授業もリモートか何かになっていて、もう老人はやろうと思ってもついていけないような状況に変わっているだろう。

 

 

 ともあれ、毎日教壇に立つのは疲れるし、通勤時間も長くてブログを書く余裕がなくなっている。「朝鮮の土地制度」の続きも、資料読みが中断してしまっている。1910年代の「土地調査事業」と並んで植民地収奪の悪役とされている1920年以降の「産米増殖計画」=飢餓輸出と、1930年代の宇垣一成総督による「農村振興運動」の検証がなかなか困難である。総督府の農村経営方針と実際の農村状況についても様々な視点からとらえられていて、自分の頭の中で整理ができていない。

 同時に1940年代=敗戦前後の状況を読んでいると、内鮮一体を信じていた人々と組織がたちまちに機能しなくなったことが分かる。つまり、行政の末端業務は朝鮮人が行っており、一部の日本人が中央で何をしようが動かない部分が出てきてしまうのだった。警察、交通、郵便、電信、電話なども、戦時下で日本人男性が多く出征したこともあり、末端は朝鮮人によって担われており、各地の邑・面でも日本の敗戦と同時に、先を見る者は職場離脱したからである。

 米・食糧も統制を離れ、各地域で私的市場が生まれ勝手に売買される。たちまち混乱が半島を覆う。会社、工場でも法外な賃金の要求、施設・住居の明け渡し強要などがあり、日本人は内地からの莫大な補助金で形成した社会的資産の他にも、個人財産のほぼすべてを置き去りにして米国支配下の内地に来ることになった。それらの中には貴重な物も多かっただろうが、朝鮮人の手に渡り安く売り払われたのだろう。

 北半分の鉱工業施設、南半分の整備された農地と都市インフラが無傷で残された。だが、空襲もなく豊かな時のまま残ったそれらも、5年後には内戦、二大陣営の代理戦争の戦乱の中で破壊され、朝鮮人と外国人兵士たちの数百万の命とともに土地の所有関係もまた不明確になり、南北ともに世界の最貧国へと転落していった。