自作高校演劇脚本⑦『チョコと洋燈と池の鯉』

 


『チョコと洋燈と池の鯉』 作・佐藤俊一


時    現代。季節は秋。十~十一月頃

所    日本のある町のある家庭・学校・病院

登場人物 佐藤ユキ(高校二年生)
     佐藤サエ(その母 四十歳)
     ウタ(その伯母 四十二歳)
     マイ(その友人高校二年生)
     アヤ(その友人高校二年生)
     看護師(二十代)
     菅井(先生 三十歳)

一幕十場

 初演 2007(平成平成19)年 山形西高校演劇部

 

 


Ⅰ場


    客電落ち、音楽が入る。(SEめざまし)

    幕上がる。(LO)舞台上は普通の家庭。

    早朝である。ユキが目を覚まし、起きてくる。


ユキ  …あ、チョコ、いないんだっけ。


   近くにあった犬の首輪と綱を手に取る。

   匂いをかいでみたりする。


ユキ  チョコの匂いがする。


   自分の足首に首輪をはめてみる。


ユキ  チョコ、いないんだ…。


   そのまま首輪の紐を手にしながら茶の間に歩いていく。

   犬を散歩させているような感じ。

   茶の間には食卓(坐卓)があり、朝食の用意が半ばできている。

   台所にサエがいる。

 

サエ  起きたの?

ユキ  うん。…いつも散歩してた時間に目が覚めちゃった。

サエ  (ユキの足の首輪に気付いて)何、それ。どうしたの?

ユキ  なんとなく。

サエ  大丈夫?

ユキ  何が?

サエ  ペット・ロス。

ユキ  ああ、どうかなー。私、ペットロスかー。ほとんど家族だったもんなー。

    家で生まれたんだよね、チョコ。

サエ  五匹生まれて、他はもらわれてって、チョコだけ残っちゃった。母犬がすぐ死

    んじゃったから、母さんが育てたの。あんたの弟みたいなものよ。

ユキ  弟って言うか、もう、おじいちゃんだったけどね。十二歳。

サエ  最近は年のせいもあったんだろうけど元気なかったね。でもね、母さんが買い

    物に行くのについてこようとするんだよ。寂しかったんじゃないかな。あなた

    が小学生の頃は早く帰ってきて遊んでくれたんだけどね。

ユキ  高校に入っても、朝、ちゃんと散歩に連れて行ってたでしょ。帰りが遅いのは

    部活なんだからしょうがないじゃん。できるだけいっしょにいてやったつもり

    だけど。

サエ  チョコの方があなたといっしょにいてくれてたんじゃないの?

ユキ  ええー、どうかな。

サエ  ご飯にするから、顔洗ってきなさい。


   ユキ、洗面所で顔を洗ってきた様子。足の首輪を外して元の場所に置きに行く。


ユキ  でもさあ、ペット火葬って、車で焼くのもあるんだね。火葬の出前があるって

    初めて分かった。


   ユキ、小さな箱を手にとってもどる。


サエ  チョコの母犬のときはゴミ処理場に持って行って、ペット用の焼却炉で灰にし

    てもらったんだけどね。

ユキ  (箱を開けて)こんな白い灰になっちゃうんだ。

サエ  どうする? やっぱり庭に埋める?

ユキ  うん。チョコのお母さんといっしょにしてあげようよ。

サエ  そうね。…あそこ掘り返したら、灰残ってるかしら?

ユキ  お父さんのお骨って、仙台のお墓に入れたんだよね。

サエ  お父さんの実家だもの。さあ、これ持ってって。

ユキ  (箱を戻し、朝食の配膳を手伝いながら)私たちはどこのお墓に入るの?

サエ  母さんの実家のお墓は、ウタちゃんが墓守りしてるから、母さんはそこに入れ

    てもらうつもり。けど、ウタちゃんも独身で子どもいないし、ゆくゆくはどう

    なるのかな。

ユキ  どうなるって?

サエ  あなたは結婚して、死んだら、旦那様のお墓に入るでしょ、私と違って。そし

    たら実家のお墓見る人がいなくなっちゃうじゃない。

ユキ  両方見たら?

サエ  いろいろ大変なのよ。


   このへんで朝食の支度が出来、二人、座って食べ始める。


ユキ  私が死んだら、お母さんが私を焼いて骨にしてお墓に入れるのね。

サエ  何、バカ言ってるの。

ユキ  それとも…。

サエ  これから手術するのに嫌なこと言わないの! 人間死ぬときは死ぬ。それだけ

    のことよ。死んだら自動的に進んで、火葬場も流れ作業ですぐに終わっちゃ

    うの。お父さんの時もそうだったでしょ。

ユキ  そうだっけ? あの頃のことよく覚えてない。

サエ  母さんの実家にいたからでしょ。母さん、お父さんの入院に付き添ってて、か

    まってやれなかったから。

ユキ  それは覚えてるよ。

サエ  寂しい思いさせたんだね。

ユキ  おばあちゃんが優しかったからそうでもなかったよ。ウタさんもいたけど、勤

    めてたから帰りが遅かったんであんまり話したりしなかったけど。

サエ  ウタちゃんね、母さんの入院中、家に来てくれるから。

ユキ  え? 来るって、何しに?

サエ  何しにって、あなた一人じゃやってけないでしょ。

ユキ  えー、やだなー。

サエ  部活して家の事してたら、勉強する時間なんてないんだから。お母さんが一週

    間検査入院しただけで、中間テストあの結果でしょー。だからウタちゃんに手

    伝ってもらうのよ。

ユキ  ウタさん、変わってるから話しづらい。毎日通ってくるのも大変じゃん。

サエ  家に泊まってもらうの。

ユキ  えー、やだー。せっかく一人でいられると思ったのに。

サエ  母さんの部屋に寝てもらうから。

    ご飯とか洗濯とかみんなしてもらうから安心よ。

ユキ  ヘルパーみたいじゃん。自分のものくらい自分で洗濯するよ。

サエ  あら、いつもは嫌がってしないくせに。ゴミ出しの曜日とか細かいことは、あ

    なたから教えてあげて。一回来てもらって私から教えるのがいいんだろうけど

    今、旅行中だから。

ユキ  また?

サエ  二十年以上勤めてたんだから、いいじゃない。ずっと忙しかったし。

ユキ  今度はどこ?

サエ  北海道。

ユキ  修学旅行で行くとこじゃん。話聞いて事前学習にしようかな。

サエ  いいんじゃない。


   少しの間、無言の食事が続く。


ユキ  ねえ、入院って、一ヶ月だっけ。修学旅行と県大会と重なるかな。

サエ  検査と準備で一週間、手術後が二~三週間。経過が良ければひと月で退院。修

    学旅行中はまだ病院ね。病院にいた方が、家にいるよりゆっくり出来るかな。

ユキ  …ガン、取っちゃったら治るんだよね。

サエ  治すために取るんでしょ。

ユキ  そうだよね。

サエ  母さんの部屋のさ、タンスの抽斗に、通帳とか判子とか、大事なものあるか

    ら、あとで教えるね。

ユキ  大事なものって?

サエ  家の権利書とか保険の証書とか。

ユキ  いいよそんなの。

サエ  よくないでしょ。母さんの留守中はあなたがこの家を守るんだからね。

ユキ  いないの一月だけでしょ。

サエ  お母さんに何かあったら、家のこと何にも分からないでしょう。

ユキ  あ、心配してるんだ。やっぱり。

サエ  万一ってこともあるから言ってるの。まじめに聞きなさい。

ユキ  まじめに聞いてるよ。でも、万一なんて言わないで。絶対上手くいくよ。

サエ  あんまり子ども扱いし過ぎたかな。もっと早くからいろいろ教えておかなきゃ

    いけなかったのかな。

ユキ  治ったら教えてもらうから、今はいいって。ごちそうさま。

    (と片づけはじめる)


   二人、食器を片づける。

   暗転


Ⅱ場


   下手のみ明転。朝、学校の場面(机と椅子)。

   マイとアヤが話しているところに菅井先生がやってくる。


マイ・アヤ おはようございます。

先生  おはよう。マイさん、班長だったわね。修学旅行の班別行動、計画書、今日中

    に出してね。

マイ  はい。

先生  もう旅行の栞の印刷、間に合わなくなっちゃうから。

アヤ  研修係が放課後すぐ帰るから、話し合いできなくて。

マイ  アヤだって休んでたじゃん。ユキが研修係なんです。

先生  ユキさんか。お家でいろいろあったからね。でも班長さんの責任でお願いしま

    す。よーく考えて、今日中ね。

マイ  はい。

先生  それから、アヤさん。中間テストの答案、取りに来て。職員室。

アヤ  は~い。


   菅井先生去る。下手よりユキが登場。


ユキ  おはよう。

マイ・アヤ おはよう。

マイ  班別行動の計画さ、こんなので出そうと思うんだけど。

ユキ  あ、いいよ、それで。

マイ  見てよー。(と、紙をユキに押しつける)

アヤ  小樽のさ、見学、長過ぎない? 札幌いたほうがいいんでない?

マイ  札幌はホテルに泊まってるんだから、ちょこっと行けるでしょ、どこでも。

ユキ  小樽、早めに切り上げて札幌に戻るのもありじゃない?

マイ  電車がうまくあればね。じゃあ、小樽飽きたら臨機応変で対応することにして

    これで出すからね。

アヤ  じゃ、私職員室に行ってくるから。

ユキ  何?

アヤ  テストもらい、古典と数学。

ユキ  行ってらっしゃーい。


   アヤ、下手に去る。


マイ  数学どうだった?

ユキ  赤点。

マイ  お母さんが入院したり、チョコが死んだりで大変だったからねー。

ユキ  それもあるけどね。もともと分からないんだから、少しくらい勉強しても変わ

    んないと思うよ。でも、マイはいいよねー。

マイ  私は勉強してるから。

ユキ  うわ。

マイ  …お母さん、手術するんでしょ。

ユキ  うん。大腸ガン。

マイ  …そこまで聞いてないから。

ユキ  ガンていったって、小さいし、良性らしいから。なんも心配ないよ。今度の日

    曜に入院。

マイ  そう。…親のことってさ、私たち意外と鈍感じゃない。病気とか、すぐ治るよ

    って感じで。親を看取るって一生に一度のことなんだよね。練習ってできな

    い。そう考えるとさー、今のうちに親孝行しなけりゃって思うんだよね。

    思うだけなんだけど。

ユキ  へー、そんなこと考えてるんだー。やっぱマイは違うよね。

    私ってさ、なんか、自分のことしか考えてなくて、他の人にいろいろしてもら

    って、それで生きてて、それでそれが当然と思ってて、ね、何か嫌な奴じゃな

    い?

マイ  何、それ。どうしたの?

ユキ  チョコもさー、餌やるのはお母さん。散歩もさー、結構私さぼってて、お母さ

    ん風邪ひいてても怪我したときも散歩に連れてったんだよ。途中で雨になって

    ずぶ濡れになったこともあったし、犬小屋の掃除もしたし、お風呂に入れるの

    もお母さんがやってた。私は親身になって世話したかしら? 私、ほんとうに

    チョコのこと愛してたのかな。ただ可愛がってただけなんじゃないかな。

マイ  可愛がってもらったら、うれしいに決まってるじゃない。悪いことじゃない

    よ。先週だっけ、私が最後にチョコと会ったの。

ユキ  うん、動物病院に連れてった日だね。もう少し早く看てもらったら良かったん

    だけど。お母さんの入院もあったしね。それで、もう今日明日だって言われ

    て。

    だけど、チョコが死ぬとき、私、そばにいなかったの。カラオケで歌ってた。

    私がチョコだったら、死ぬときに看取ってくれないなんてひどい飼い主だって

    思うだろうなー。もうトラウマだよー。

マイ  …チョコはね、あの時あなたにありがとうって言ってたの。自分がいなくなっ

    ても寂しがらないでって言ってたの。

ユキ  …そうなの? マイ、犬の言葉が分かるの?

マイ  そうじゃなくてー。別にワンとか言わなくても目を見てると気持ちが通じる時

    ってあるじゃない。

ユキ  テレパシー?

マイ  そんなもの? かな。だからさ、あんまり気にしない方がいいよ。

ユキ  そうかな。


   授業開始のチャイムが鳴る。二人、慌てて下手に去る(か、机に座る)。

   暗転


Ⅲ場


   SE病院の音(患者の呼び出し等)。続いて上手のみ明転

   上手に病院の場面。最低限、椅子と小テーブルがあればよい。

   サエが看護師に先導されて来る。


看護師 こちらが病室になっています。トイレそこに付いてますからね。ちょうど空き

    が出て、お待ち頂かなくてよかったですね。どうぞお座り下さい。

サエ  はい。(と、荷物を下に置き、部屋を確認する様子)

看護師 テレビと冷蔵庫はいっしょのカードになってますから、待合室の販売機で買っ

    て下さい。じゃ今、入院の書類持ってきますから。(と、去る)


   サエが座っているところへユキが入ってくる。


ユキ  ここね。わあ広い。ハイお茶。(と、ペットボトルを手渡す)

    なんだ、トイレ付いてるんだ。

サエ  個室高いけどねー。お父さんの時、最初六人部屋で大変だったから…。もう若

    くないし、人に気を遣うのも疲れるから。

ユキ  この方が早く治るよきっと。

サエ  そうね。(笑)

    明日からウタちゃん来てくれるから、今晩と明日の朝は自分で食べてね。

ユキ  大丈夫、心配しないの。今日、旅行からもどるんだっけ?

サエ  こないだ、入院の日を教えた時はそう言ってた。なんか江差の方、回ってくる

    って。

ユキ  江差ねー。何か観るものあったかな。ニシン御殿?イワシだっけ?

サエ  知らないわ。北海道行ったことないもの。


   看護師、書類を持って入ってくる。


看護師 佐藤サエさん。じゃこれに必要なこと書いて、後で結構ですから入院窓口に出

    して下さいね。

    じゃ、血圧測りに来ますから、それまでに着替えておいてくださいね。

サエ  (書類を見て)保証人のハンコは明日以降でいいですか?

看護師 ハイ、かまいませんよ。


   看護師去る。


ユキ  保証人って?

サエ  ウタちゃんに頼むわ。

ユキ  また「ウタちゃん」。

サエ  たった一人のお姉さんだもの。頼りにしてるの。

    何かあったら、携帯じゃなくてこの病室の電話にかけてね。

ユキ  うん。じゃ、私、部活行くから。

サエ  はいはい。県大会頑張ってね。


   ユキ、去る。

   上手、暗転


Ⅳ場


   明転。もとのユキの家。ウタが旅行姿で登場。茶の間に座る。

   ユキが部活から帰ってくる。鍵が開いていたので不審な様子で入ってくる。


ウタ  こんにちわ、おじゃましてます。

ユキ  ウタさん! 明日来るんじゃなかったっけ?

ウタ  そうだっけ? サエちゃん、今日入院したんでしょ? だったら今日からでい

    いじゃない。

ユキ  北海道からまっすぐ来たの? 玄関の鍵、開いてるからびっくりしちゃった。

ウタ  泥棒でも入ったかって? 

    それよりちゃんと挨拶して。私は挨拶したんだから。

ユキ  ああ。(座り直して)こんにちは、これから一月よろしくお願いします。

ウタ  こちらこそ、よろしくお願いしますね。これお土産、お菓子あるから食べよ

    う。お茶淹れて。

ユキ  うん。(台所へ立つ)

ウタ  病院、何号室?

ユキ  四〇二。四階のA棟の奥。個室なの。

ウタ  個室かー。ぜいたくね。(メモする)手術の日は病院に泊まるんでしょ?

ユキ  ええ? どうだろ、聞いてない。

ウタ  悠長な人たちねまったく。全身麻酔する手術なんだから、普通泊まるでしょ。

    簡易ベッド借りるといいよ。

ユキ  ウタさん、泊まる?

ウタ  私、歳だし、病院嫌いだから。あなた泊まりなさい。

ユキ  平日だったら、学校あるよ?

ウタ  休めば?

ユキ  部活の県大会近いんだけど。

ウタ  母親の手術日でも部活は休まないってか。何部だっけ?

ユキ  演劇部。

ウタ  なんだ。じゃあ一日ぐらい休んでもかまわないじゃない。

ユキ  ええー。かまわなくないって。

ウタ  高校生の演劇なんて、どうせ自己満足でしょ。

ユキ  ウタさんなんかには演劇分かんないよ。

ウタ  …あんた変わってないわねー。生意気。前に家で預かった時と同じ。

ユキ  他に頼める人いないの? 家って親戚少ないよね。お父さんの方の親戚って、

    見舞いとか全然来ないよね。

ウタ  …知らないの?

    あなたのお父さんが亡くなるとき、サエちゃんは延命治療断ったの。仙台の親

    戚は大反対したんだけど一人で押し切ってね。医者があれもこれも外して、ま

    もなく逝っちゃった。それでむこうから縁を切られちゃったの。

ユキ  …初めて聞いた。

ウタ  七回忌の時も、おばあちゃんの葬式のときも誰も来なかったでしょ。

ユキ  …お母さんが延命拒否したって、ほんと?

ウタ  意外と割り切った所あるからね、あの子も。あなた、似てるんじゃない?

ユキ  私?

ウタ  お父さんが入院してる間、家であなたを引き取ってたじゃない。もうちょっと

    泣くかと思ったけど、結構楽しそうにしてたよ。

ユキ  意地悪。

ウタ  人間だもの、意地悪言いたいときもあるわ。いちいち気にしないの。あなたも

    がまんしないで、言いたいこと言っていいのよ。


   ウタ、荷物を持って奥に行く。

   中央暗転


Ⅴ場


   上手のみ明転。病室(椅子と小テーブル)。

   サエ椅子に座って、小テーブル上で書き物をしている。

   ユキが入ってくる。


ユキ  おかあさん、お早う。はい、着替え。手術の日、決まった?

サエ  来週の水曜日だって。

ユキ  じゃ、水曜日に学校休んで、その晩泊まるから。木曜日も休んでいいね?

サエ  ありがとう。でも勉強大丈夫?

ユキ  大丈夫。マイがノート取っててくれるから。

サエ  そう。月曜日から絶食だって。

ユキ  ええ! 三日も食べないでいるの?

サエ  点滴するのよ。栄養補給。

ユキ  なんだー。あのさ、ウタさん、来てくれてる?

サエ  一昨日来たかな。

ユキ  やっぱり。

サエ  何?

ユキ  ウタさん、お弁当作ってくれないし、まあそれはいいけど、おかずに肉があま

    り出ないし、洋服、鴨居にいっぱい下げておくし、庭に生ゴミ埋めるし…

サエ  何が言いたいの?

ユキ  だから、全然お母さんのこと心配してないんじゃないかな? どこに出かけて

    るか分かんないし、自分の好きなことばっかりしてるんだもの。

サエ  そんなことありませんよ。

ユキ  そうかなー

サエ  それより、これ。(と、さっきから書き物をしていたノートを渡して)

ユキ  何?

サエ  これに、家のこと、できるだけ書いておいたから。

ユキ  …なんで?

サエ  話して聞かせる時間もなかったし、書く方が楽だから。それにもう高校二年生

    なんだから、いろいろ覚えて欲しいの。ウタちゃんに不満を言う前に、自分の

    ことはきちんと自分でできるようにしてね。

ユキ  …分かった。(と、ノートをバッグにしまう)

サエ  書いておけば母さんも安心だから。

ユキ  お守りみたいな物?

サエ  お守り、ね。大事に持ってて。

ユキ  うん。


   暗転


Ⅵ場


   中央明転ユキの家の庭。

   ウタが洗濯物を干している。ユキが登場。


ユキ  ウタさん! ウタさん、私のもの洗った?

ウタ  洗ったけど?

ユキ  どうして勝手に洗ったの。部活いけないじゃないの! 私、自分のものは自分

    で洗うって言ったじゃない!

ウタ  ごめーん。ついでだと思ったから。だって二日も洗濯篭の中に入ってたんだも

    の。親切でやったことなんだから、そんなに怒らないでよ。

    ジャージでだめなの?

ユキ  私が着るんじゃなくて、あれ、舞台衣装なの。今日衣装合わせなの。

ウタ  そんな大事な物だったら、さっさと洗っておきなさい。

ユキ  もう、これだけじゃないでしょ。ウタさん自分勝手よ!

ウタ  私が? 何よ?

ユキ  どうしてお母さんの所に行ってあげないの。

ウタ  行ってるでしょ。

ユキ  今日も、昨日も行ってないじゃない。

ウタ  用事があったのよ。それに検査、検査で病室にいないし。

ユキ  お姉さんなんだからもっと心配してくれるかと思ったのに。

ウタ  まだ手術したわけじゃないんだから、そう毎日行くことないの。

ユキ  …あと、庭に生ゴミ埋めないで。

ウタ  土の養分になるのよ。私の家の庭もそうしていい土にしたんだから。少しくら

    い匂ってもかまわないわよ。

ユキ  あそこにはチョコの灰が埋めてあるんだから。ゴミと一緒にしないで!

ウタ  …子どもなんだからもう。犬のお墓なんて。第一、目印なかったじゃない。

ユキ  丸い石が置いてあったでしょ。あれが目印だったの!

    それから、私、子どもじゃないから。十年前の私じゃないんだから。いつまで

    も子ども扱いしないで!もう出てって! 私一人で大丈夫なんだから。おば

    さん邪魔なの!

ウタ  そう。だったら一人で好きなようにやりなさいよ少しは人生の勉強になるで

    しょう。だけどね、あんたなんか一人じゃ何にも出来ないんだから!

    私はね、高校卒業してからずっと働いて、両親を介護して、看取って、二回も

    葬式出して喪主やったんだから。

    私が自分勝手だって? 私は働きながら母親の、あなたのおばあちゃんを十年

    介護したのよ。病院だって何回泊まったことか。旅行なんか一度もしたこと無

    かったんだから。だけど誰にも辛いなんて言ったこと無い。

    サエちゃんの大学の費用だって私が出したんだし、俊さんと結婚するときだっ

    て…。確かに早く死なれてかわいそうだったけど、俊さんがこの家残してくれ

    たから、路頭に迷わずに済んだじゃない。

    私からみたら、あんたなんか苦労知らずの世間知らずよ。

ユキ  やめて。…もうやだ。頭がごちゃごちゃだ。

ウタ  ああ…つい言い過ぎちゃった。ごめん。私が悪かったわ。謝るから、出てけな

    んて言わないで。ね、サエちゃんが心配するから。私だって、サエちゃんがい

    なくなったら、あなたがたった一人の血を分けた姪なんだから。

    仲良くしよう。できるかな?

ユキ  仲良くしたいよ、私も。だから子ども扱いしないで、相談して。

ウタ  わかった。衣装は急いでアイロンかけてあげるから。少し待って。

    (と、アイロンの用意を始める)

ユキ  うん。

ウタ  少し遅れるって携帯で連絡しとくといいわ。

ユキ  うん。…ウタさん。

ウタ  何?

ユキ  私も言い過ぎてごめんなさい。…きっとお母さんのことで、普通じゃないんだ

    と思う。


   ウタ、ユキに近寄り、黙って抱き寄せる。


ウタ  手術の日は、二人で病院に泊まろう。

ユキ  (抱き合ったまま頷く)


   音楽FI

   暗転


Ⅶ場


   上手明転。

   病室。サエが椅子に座って本を読んでいる。

   ウタが見舞いにやって来る。


ウタ  こんにちは。

サエ  あら、いらっしゃい。

ウタ  どう?

サエ  どうっていっても、手術してみないと分かんないわ。

ウタ  そうよね。ユキちゃんにね、見舞いに行かないのかって怒られちゃった。

    こっちも言い返したけどね。さぼってると思われてるみたい。まあ、さぼって

    るんだけど。

サエ  あの子は毎日来てるからね。着替え持ってきてくれたり…

ウタ  その洗濯は私がやってるんだけどね。

サエ  あの子、ウタちゃんとは気性が似てるから、話が合うかと思うんだけど。

ウタ  そうお? 昔、家にいたときお話せがまれて、桃太郎か何か話してやった記憶

    はあるけど。ちょっと脚色してやったら嫌がってね。(笑)


   看護師来る。ウタと会釈など交わす。


看護師 佐藤さん。検温お願いします。(と、体温計を渡す)あと、栄養点滴もう一本

    しますから、ベッドに入ってて下さいね。


   看護師出ていく。


ウタ  (窓の外を見ながら)この辺もすっかり変わったね。俊さんが入院してた頃は

    辺り一面田んぼだったのに。

サエ  そうだったね。冬で通うのが大変だった…。

    また冬になるのね。まだ五時なのに、こんなに暗い。

ウタ  何があっても毎日日が暮れて、夜になる。人生はこうして過ぎていくのね。

    自分に与えられた夕暮れの回数を消費していくの。

サエ  どうしたの。ウタちゃんらしくないわね。

ウタ  私らしいって、どんなの? 結婚しなかったのも、OLやめちゃったのも、何

    も気にしてないのかな、私。

サエ  そんな意味で言ったんじゃない。

ウタ  分かってる。だけどさ、人生折り返してるんだから私だって考えるわよ。自分

    の人生、何だったのかなあってさ。

サエ  姉さんには感謝してるわ。済まないとも思ってる。

ウタ  ごめんごめん。見舞いに来てこんな愚痴言ったりして。

サエ  済まないついでにさ、お願いなんだけど。

ウタ  何?

サエ  もし、万が一、手術しても、転移してたりしたらね…

ウタ  何よ。

サエ  ユキのこと、お願いします。

ウタ  …。

サエ  家を売れば、ユキが大学出られるくらいのものは残ると思うから。

ウタ  やだ。そんなの。

サエ  だめ?

ウタ  あなたが死んだら、もうほんとに私、ひとりぼっちになるんだから。愚痴も聞

    いてもらえなくなるんだから。だめ。私一人に苦労させて、私を残して死んだ

    りしたら許さない。恨んでやる!

サエ  分かった。

ウタ  ユキちゃんのためにも、何があっても生きていて。

サエ  死なない。死なないから、そんなに…


   看護師入ってくる。


看護師 佐藤さん? どうかしましたか?

サエ  いえ、何でもないんです。(と、体温計を渡す)


   暗転


Ⅷ場


   中央明転

   手術前日の夜、同じ部屋。ユキが音楽を聴きながら勉強している。

   ウタ、入ってくる。


ウタ  ちょっといいかな?

ユキ  いいよ。ちょうど宿題終わったところだから。

ウタ  これね、小樽で買ってきたの。「北一硝子」って知ってる?

ユキ  知ってる。修学旅行、北海道だから。事前学習で調べた。ランプ?

ウタ  石油ランプ。ずっと、欲しいなって思ってたの。

ユキ  昔使ってたの?

ウタ  まさか。ノスタルジーよ。


   と、天井に吊り下げようとする。


ユキ  此処に吊るの? ウタさんの部屋に置いてよ。

ウタ  あの部屋、天井に大きな蛍光灯はめ込んであるじゃない。ここならちょうど引

    っかけるのにいいようになってるから。

ユキ  これ? ああこれは、小学校のときに、傘下げて銀紙で星付けて、「プラネタ

    リウム」ってしてたときのだ…。

ウタ  点けるよ。

ユキ  電気消すね。


   暗い中に、ぼーっと暖かい光が広がり、次第に明るさが広がって行く。


ユキ  影がすごいね!

ウタ  じゃあ、お話してあげようね。

ユキ  お話?

ウタ  家にいたときしてあげたでしょ、忘れた?

ユキ  ああー。思い出した、変な桃太郎。

ウタ  こうみえてね、お話作る才能はあるんだから。

ユキ  そうですか。

ウタ  昔々…

ユキ  もう始まるの?

ウタ  ある夫婦に子供が生まれました。子どもがようやく立てるようになった頃、大

    雨が降って、増水していた川に子どもが落ちてしまいました。

ユキ  なんで立ったばかりの赤ちゃんが、一人でそんな川のそばに行くかな?

ウタ  …歩き始めた頃だったかな? まあ流れちゃったものはしかたがない。

ユキ  仕方がない!

ウタ  両親はどうしようもなく、濁流にながされていく我が子の名を呼んでいまし

    た。その時、飼っていた犬が走ってきて、ごうごうと流れる水の中に飛び込み

    ました。たちまちのうちに、子どもも犬も姿が見えなくなり、行き方知れずに

    なってしまいました。

ユキ  何か先が読めるんだけど…。

ウタ  いちいち突っ込まないの。

    数年が経って、両親も子どもは死んだものとあきらめ、二人目の子どもを育て

    ていました。ある日、親子三人で市場を歩いていると、向こうから飛ぶように

    走って来た犬が、両親の前でさかんに吠えるのです。

    驚いてよく見るとどこか、以前飼っていた犬に似ています。犬が誘う方へつい

    て行くと、若い夫婦と幼い子どもがいました。どういうことかと話をするうち

    に、この子は数年前に川のほとりで拾ったのです。傍にこの犬がいて、犬も死

    にかけていたのですが、小さく鳴いていたので見つけることが出来たのです。

    私たちはこの子を自分たちの子として育てることにしました。いつか本当の親

    に会えるかも知れないと、子どもの着ていた服の布を残してあります。

    ああ、これはまさしく…。

    二組の夫婦は涙を流し、犬に感謝しました。その子は若い夫婦が育て、生みの

    親がお金を出して、立派に世に出してやりました。

    犬は一生その子のもとで暮らしましたとさ。

ユキ  (拍手)めでたしめでたし。

ウタ  もっと怖いのが良かったかな?

ユキ  だめだめ、怖いのだめだから。今ので十分おもしろかったから。

ウタ  じゃあ怖くないやつね。

    母と二人暮らしの男の子がいました。母親は重い病気でしたが、貧しかったの

    で医者にも行けず、薬も買えませんでした。一方、子どもは乱暴者で、喧嘩や

    悪さばかりしていました。村の子ども達とは仲良くなれず、大人達もこの親子

    を邪魔にしていたのでした。

    母親はそんな子どもを残して死ぬのが心配でした。それで、ある冬の日に、子

    どもに頼みました。鯉が食べたい、と。

ユキ  コイ?

ウタ  鯉は滋養になるの。甘露煮とか、鯉こくとか。

ユキ  コイコク?

ウタ  その鯉もね、捕っちゃいけない池のが食べたいって言うの。

ユキ  何で?

ウタ  村のタブーってのがあるのよ。

ユキ  じゃなくて、なんでそんな池の鯉が食べたいの? うまいのか。

ウタ  (ユキを無視して)子どもは、そんなの無理だとは思いましたが、母親のたっ

    ての願いを断るわけにも行きませんでした。

    …冬でした。子どもは凍てつく夜に池に入り、鯉を捕ろうとしました。

    裸足でよ。手探りでよ。

ユキ  大変だ。

ウタ  そのうえ、なかなか捕れないでいるうちに大人たちに見つかってしまいまし

    た。子どもは、病気の母親に食べさせるために鯉を捕らせてくださいと頼みま

    したが、日ごろの行いが悪いものですから誰も聞いてくれません。

    お前がそんな殊勝なこと考えるはずがない。自分で食うか、金に換えて遊ぶつ

    もりなんだろう。

    子どもが袋だたきにあって、家に帰ってくると、母親は、亡くなっていまし

    た。

ユキ  ひどい。

ウタ  子どもは泣きました。お母さんのためにこんなに苦労してきたのに。ひどいじ

    ゃないか。どうしてお母さんは、こんなできもしないことを頼んだんだろう。

    子どもは母親を恨み、この世を呪い、死のうとしました。

    その有り様を見た観音様が子どもに声をかけました。

    子どもよ、お前は泣いているが、その涙は誰のためのものか。自分の悔しさの

    ためか? 叩かれて、痛くて悔しくて、泣いているのか? お前はまだ自分の

    ことしか考えられないか?

    母はお前を親孝行の息子として人々に記憶して欲しかったのだ。たとえ禁を犯

    してでも鯉を手に入れようとしたことは、これまでお前がしてきた悪さとは違

    うぞ。それは私がよく分かっている。お前は乱暴者だが、本当は心根の優しい

    子だ。なぜなら、どんな悪童であっても、母親がお前を愛しているからだ。

    お前は愛されたことで、もう救われているのだ。

    いいや、俺は親不孝者だ!迷惑ばかり掛けて、何もしてやれなかった!

    お前も母の代わりに誰かを愛してやればよい。お前が母親にしてもらったのと

    同じようにな。

    子どもは観音様に御礼を言うと、生きるために村へ戻りました。

ユキ  (涙をぬぐって)それから、どうしたの?

ウタ  出家して、うんと修行して、立派なお坊さんになったっていう話。

    さて、明日は病院に泊まらなきゃなんないし。もう寝ようか。

ユキ  うん。


   二人、寝る支度。

   暗転


Ⅸ場


   夜、布団に寝ているユキ

   不安な音楽

   部屋に池が出現する。ユキが起き上がる。


ユキ  寒い。ああ、…鯉を捕りに行くんだっけ。


   ユキ、池に向かって歩き出す。


ユキ  お母さん、待っててね。…これ、学校の池?

    寒い! なんで裸足なの?雪なのに。なんでこんなことしてるの私?

    鯉なんか食べても、良くならないよ。学校の池の鯉捕ったら怒られるし…。

    ああ、そうか。親孝行な娘かどうか、試されてるんだ。捕って帰らなかった

    ら、みんなから何て言われるか…。

    ううん。そんなんじゃない。なんで自分の寒いのだけ考えるの? お母さんの

    苦しいのを考えないの? お母さんのために捕るんじゃないの。

    暗いわ。あ、ランプ。これ、つければいいんだ。


   ユキ、ランプに手を伸ばすと池の辺りが少し明るくなる。

   ユキは氷の張った池に入り、鯉を探し始める。


ユキ  冷たーい! あ、滑る! …どこ? どこにいるの?

    あれ? 鯉はプールに移してあるんじゃなかったっけ?

    いるわけないじゃん!


   闇の中から、先生が現れる。


先生  誰?


   ユキ、驚いて隠れようとする。


先生  誰なの。

ユキ  あ! 菅井先生!

先生  ユキさん? 何してるのこんな所で。

ユキ  あ、あの、お母さんに鯉を食べさせようと思って、…で、でもここには鯉はい

    ないんですよね。

先生  鯉? 鯉が欲しいの?

 

   先生、池の中にすたすたと入ってくると手探りで魚を取り上げる。

   魚がぴちぴちと動く。


先生  さあ、持って行きなさい。

    これを食べればお母さんの病気はきっと良くなるわ。

ユキ  ありがとうございます!

先生  その代わり。

ユキ  え?

先生  その代わり、あなたは一生、貧しくて、不幸な、つらーい人生を過ごすことに

    なるのよ。

ユキ  どういうことですか?

先生  あなたの幸せをお母さんに分けてあげるのよ。それでお母さんは助かるの。

    それでもいいなら、さあ、持って行きなさい。

ユキ  ちょ、ちょっと待って、何だかよく分かりません。

先生  あら、この娘、自分の親を見殺しにしようっていうんだわ。恐ろしい。

    今時の子どもってみんなこう。自分が一番大事なのね。誰のおかげで生まれて

    きたと思ってるのかしら。


   先生、手に持った魚を池の中に放り込む。


ユキ  ああっ!(急いで水中を探るがもう見つからない)先生ひどい!

先生  ひどいのは私じゃなくて、あ・な・た。

    さあ、どうするの? 探し当てても結局不幸になるだけ。それでもお母さんの

    ために探しますか? よーく考えてね。(去る)


   ユキ、必死で水中を探し回るが鯉は見つからない。


ユキ  ひどい。ひどいよ。どうしたらいいの。どうしたらいいの。

    そうだ、観音様だ。観音様、助けて下さい!どうか、どうかお助け下さい!


   沈黙


ユキ  …いるわけないじゃない、観音様なんて。ばかばかばか、ばかやろー!


   ユキ、泣きながら鯉を探す。すでに凍えかけている様子。

   やがて意識を失うユキ。ランプが消える。

   闇の中からウタが現れる。


ウタ  ユキちゃん。ユキちゃん。


   ユキに近寄ると優しく抱き上げる。池は消えて行き、もとの部屋となる。


ウタ  ユキちゃん。目を覚まして。

ユキ  …あっ! 鯉、鯉がまだ!

ウタ  鯉?

ユキ  ああ、夢か!

ウタ  こんなに汗かいて。鯉って、まさか、昨日の話の夢見てた?

ユキ  そうかー。よっぽどインパクトあったんだな、あの話。

    …あの話の男の子は、乱暴者で悪い子だけど実は親孝行な子どもだった。

    私は、見たところ親思いの娘みたいだけど、実は親孝行の気持ちなんてないん

    じゃないかって…。

ウタ  あの話はね、あなたのことじゃなくて、おばさんのこと。自分のことを話した

    のよ。私も両親を亡くして初めて、自分がどれだけ親に甘えていたか、どれだ

    け心配かけたか、身にしみてわかった。親のことを心配しているようでいて、

    実は自分のことが一番心配で、自分が縛られてるのが不満だったんだって…。

ユキ  (はっとして)お母さん、大丈夫かな? 今日の手術、うまくいくかな?

    ねえ、大丈夫かな?

ウタ  大丈夫に決まってるじゃない。何も心配すること無いわよ。

ユキ  だといいけど、私…

ウタ  何?

ユキ  私、お母さんのために何もしてない。何も考えてない、何も。

ウタ  ばかね。やっぱりまだまだ子どもだわ。

ユキ  お父さんね、チョコを生んだお母さん犬をすごく可愛がっててね、その犬は、

    チョコを生んですぐだったけど、お父さんが死んだら、悲しがって餌を食べな

    くなってね、後を追うように死んじゃったの。

ウタ  …。

ユキ  犬ってすごいな。私なんてかなわない。ダメだよね。

ウタ  犬が人よりも短かい命なのはいいことよ。もし人の方が先に死んでしまうのだ

    ったら、犬たちはみんな、悲しみのために生きていられない。

    でも人は愛する者を亡くしても、その悲しみから立ち直る力を持っているの。

ユキ  それって、ただ忘れっぽいってだけじゃないの? それとも恩知らず?

ウタ  そう思う? 人はどうして悲しみを乗り越えていけるのかしら。忘れっぽいか

    ら? 恩知らずだから?

    私は思うの。きっと人は自分のことも他人のことも、過去や未来のことも考え

    られるからだわ。犬は一人の主人を思うのでせいいっぱいなの。その人のため

    に命を投げ捨ててもいいの。

    人は自分を思い、家族を思い、友人を思い、見知らぬ他人や、他の生き物、ま

    だ見ぬ子どもたちのことまで思うから、今の悲しみにいつまでもひたってはい

    られないの。

ユキ  (なぜか泣けてくる。涙が止まらない)私、チョコのこと好きだった。けど、

    愛してあげられなかった。おばあちゃんも。…お父さんも。

ウタ  (抱き寄せて)大丈夫。あなたはみんなから愛されているから。

ユキ  (ウタの腕の中で泣きじゃくる)

ウタ  さあ、ご飯食べて、支度して、病院へ行かなくちゃ。

ユキ  うん。


   二人立ち上がり、ウタは舞台奥へ去り、ユキは布団を片づける。

   暗転 音楽


Ⅹ場 エピローグ


   中央、明転

   サエが、自分の入院していたときの荷物を片づけている。

   ウタが入ってくる。


ウタ  荷物、あらかた積めたわ。車一杯。ちょいちょい実家から運んだからなー。

サエ  もう少し居てもいいんじゃないの?私もまだ退院したばかりだし。

ウタ  悪いけど、一人暮らしに慣れてるもんで、早く帰りたくてうずうずしてたの。

サエ  その気持ち、分かるけどね。(笑)

ウタ  手術は上手くいったんだし、あとはユキちゃんも居るんだから。

サエ  あの子もね、もう少し大人になったら頼りになるかしら。

ウタ  もう十分頼りになるんじゃないの?

サエ  そお?

ウタ  いつまでも子ども扱いしたらダメよ。

サエ  姉さんには、いつも世話にばっかりなっちゃって、何か生きてる内に恩返しし

    なくちゃと思ってるんだけど。

ウタ  何よー今更あらたまって。

    あなたがいての私の人生なんだから気にしないで。あなたの人生は、俊さんや

    ユキちゃんがいてこその人生でしょ。

    人間ってさ、誰かのために生きているから幸せなんじゃない?

サエ  そうかしら。そうだとしたら、人から愛されないのより、人を愛せない方が寂

    しいことなのね?

ウタ  そうねえ、でも両方寂しいに決まってるじゃない。その人が人生のどの辺にい

    るかで違うのかな? 赤ちゃんは愛してもらうばかりだし、若い人は愛し愛さ

    れて、私らくらいになるともう、子どもや孫を愛するほうだからねえ。

サエ  孫は早いんじゃない?(笑)

ウタ  でもないわよ。あと四・五年したらユキちゃんも…。


   ユキが「北一硝子」の袋を持ってくる。二人会話を中断する。


ウタ  ああ、ランプ? それ、あげるよ。随分気に入ってたみたいだから。

ユキ  へへ、実は私も小樽で買って来たの。

ウタ  あら、そうだったの。(と袋を受け取り)

    じゃ、今度はあなたのランプの下でお話ししてあげるわね。

ユキ  今度は私がお話してあげるよ。夢に見るほど怖ーいお話。

ウタ  へー、それは楽しみだわ。期待しないで待ってるからね。

    さて、行くかな。じゃあ、お大事に。

サエ  長いことどうもありがとうね。助かりました。

ウタ  たった二人の姉妹じゃない。こちらがお世話になることもあるでしょうから、

    その時はよろしくお願いしますね。(笑)


   ウタ、去る。(SE車の発進する音)


ユキ  (庭に出て車を見送り)ウタさん。ありがとう!

サエ  さて、また二人の暮らしが始まるわね。

ユキ  お母さん。

サエ  何?

ユキ  お父さんが死ぬとき、延命処置、断ったの?

サエ  …ウタちゃんが言ったの?

ユキ  (頷く)

サエ  お父さん、最期の頃は、ベッドの上で、点滴の管や呼吸のチューブや心電図の

    コードなんか何本もつながれて、動かないように縛りつけて、機械のモニター

    でまだ生きてるかどうか見てる…機械で生かされてる…そんな姿にしておくこ

    とが耐えられなかった。でも外したら死んでしまう。

    おとうさん、おとうさんって呼びかけるんだけど、何にも反応してくれない。

    お願いだから何か言ってよ。

    そしたら、ふと、感じたの。僕は、愛する人の心の中で生きているって。

    そう、お父さんは、私の心の中で生きている。病院のベッドの上で生かされて

    いるのとは違う、生き生きした姿で。

ユキ  おかあさん…。

サエ  ユキの中にもお父さんはいるのよ。

ユキ  うん。

サエ  今夜はひさしぶりに、親子水入らずで話そうか。

ユキ  うん。ウタさんと暮らした間に、すごくいろんなことがあったよ。なんかいっ

    ぺんに年取ったみたい。

サエ  そういえば見た目も少し大人っぽくなったみたい、かな?


   二人笑いながら

   音楽とともに

   幕