観劇感想 2021年2月・3月

 このところ観劇した三公演について、感想など。

 

山形東高校演劇部 弥生公演(一年生公演)

『帰り花』 作 霜 康司  潤色 山形東高校演劇部

2021(令和3)年3月6日(土) 16:00開場 16:30開演 17:55終演

山形県生涯学習センター遊学館 ホール

 

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 「吉田寅次郎(松陰)の半生」、と言えるような大作である。幕末の長州藩奇兵隊の面々が登場する。物語は西欧からの衝撃を受ける日本が、幕藩体制からの自己変革に苦悩する時代、先覚者の苦闘を描く。ある時は戯画化して、教科書的(日本史の)知識をまとめてみせる。吉田松陰の思いは現代の我々にどう響くのか。

 作者は駿台予備校大阪校の英語講師、劇作家、翻訳家。

 終演時に16時開演だったと思って、2時間近く演じたかと感心したのだったが、実は上演時間1時間25分だった。長かった印象が強い。キャスト11人が複数の役を演じ分けていた。お疲れ様でした。

 開演前に上演時間のアナウンスがあったかな? 観客の都合があるので事前に知らせた方が良い。

 高校生の芝居にあれこれ言うのも何なのだが、東北大会常連の高校であるし、久しぶりの高校演劇なので、少し厳しいことも書いてしまおう。

 

 まずこの脚本、1年生公演(といってももうすぐ2年生なわけだが)で、また間口5間程度のこの舞台でやれる(適した)ような作品ではない。衣装も(カツラも)装置もしっかり準備して臨むべき作品だろう。脚本選定の段階でもっと吟味するべきではなかったか。身の丈に合っていない。

 高校演劇は1時間勝負だから、1時間以内の作品を多くやる方が良い。2時間のお芝居は卒業公演あたりで取り組むのが適当かと思う。2時間の芝居を作るには、1時間の芝居を作るときの3倍の力が必要だからだ。

 今回のはテキストレジから台詞入れまで相当な時間を費やしたのではないか。肝心の演技、表現を考える時間が足りなかったのだろうと感じた。また、演出は1年生生徒がやったのか、上級生か分からないが、もっと緻密かつ大胆に柔軟に考えて芝居を作るべきだ。

 全員がマスクをして演じたせいもあって(これは会館側からの要望のようだが)時々聞き取れない台詞があった。このご時世で仕方がないのかも知れない。しかし台詞(フレーズ)を一息で言ってしまう時があって、言葉の切れ目が無く、意味が分からないということもあるので、台詞の言い方を研究すべきではある。

 音響は大きすぎた。リハで確認をしよう。選曲は、作者指定もあったという。クラシックも使っていた。

 時代劇なので衣装は頑張っていたが、時代考証面からも、いっそジャージで揃えたほうが良かったかも知れない。どうせ髷を結えないのだから。これは舞台美術についても言える。衣装と同様に、何も無い所に想像力で作り上げる方がかえってリアリティーが感じられることもある。

 演技について、人物の挙措動作に「意味」が感じられないと観客は舞台に入り込めない。多分、まだそういう演技指導を受けていないのだろう。まあ、意味を考えたり感情移入する必要をみとめない作劇法もあるようなので何とも言えないが。

「台詞を覚えて、その通りに動く」というわけだが、なぜそう言い、行動するのかを考えなければならない。座敷の中での立ち居振る舞い、酒を飲むという仕草、淡々と進んでしまうと、舞台上に何も造り出されないまま、積み上がらないまま、終わってしまう。開演時と終演時で観客の心の中に何が変化し、何が残されたか。

 

 入場無料だがパンフレットは100円だった。財布を持参しなかったので入手できなかった。覗いたらオールページ・カラーのようだった。デラックスなパンフもいいが、簡単なキャスト紹介くらい別に刷って配布しても罰は当たらないんじゃないだろうかと思った。

 

 観ながら思い出していたのは、2006(平成18)年の上山明新館『贋作・罪と罰』(野田秀樹)だった。同じ遊学館で上演した。同じように完全な時代劇の衣装・髪型ではなかったが、これは架空時代劇?で原作どおりだっただろう。間口が狭いのも同じだが、シンプルに使い回していた。何より役者たちの熱意が強かった。長年観ていると、どうしても過去の良い舞台と比較してしまうので辛い感想になってしまうのだ。

 

 

 

二兎社公演 44

・空気ver.3 そして彼は去った… 作・演出 永井 愛

2021(令和3)年3月6日(土) 18:30開場 19:00開演 20:45終演

東ソーアリーナ ホール

 

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 開場時刻少し過ぎには駐車場が一杯だった。時刻を早めて入場させたのだろう、場内も既に客がいっぱい着席していた。

 ver.1とほぼ同じセット。ただし、あの裏側の高い非常階段は無い。ドアとエレベーターの並んだホール、部屋。微妙に菱形のボックス。上下の上段、黒い背景に別場面の役者が登場するのも同じ。なつかしかった。

 本番直前、ディレクターたちの悪戦苦闘が、絶妙に喜劇的に演じられているのは好感が持てた。佐藤B作の、やや認知症がかった、癌を患うコメンテーターが体温37.4度で現れ、別室からのリモート出演になるところがコメディーの基調になる。外部委託のディレクター二人組、和田正人と金子大地が良い味を出している。

 役者たちは達者で、正確な演技は堪能させる。B作さん、やや台詞が不安定に感じたのは役柄からだったのか?

 

 以下ネタバレになります。

 

 チーフ・ディレクターの神野三鈴が、最後の仕事になる番組中に政府擁護派の佐藤B作をリベラルな女性評論家?(声だけ)と対立させる企画をするが、佐藤が柏木?ディレクターの自殺した部屋で精神的に変調を来し、思わぬ特ダネ、もしかしたら内閣が倒れるかもしれない爆弾情報(これが日本学術会議メンバー6人を任命しなかった理由が分かる学者採点一覧表であり、佐藤自身が政府のために作成したと告白する。)が飛び出て、さあどうするかという葛藤が起きる。外部ディレクターやアシスタントたちが番組中での抜き打ち公表に乗り気になるが、スタジオ内に秘密がばれ、局長にまで知られてしまう。最後に神野は折れ、佐藤は出演を辞退し、去る。

 認知がかった老人の妄想から出たガセネタに引き摺られただけなのか、本当に政府は左翼思想の弾圧を図っていて、それを国民世論に訴える機会を失ったのか…。

 

 『ザ・空気』ver.1を観ている。ver.2は観なかった。第1作目は田中哲司が出演するので観たのだが、内容は、テレビの報道番組編集スタッフが「報道の自由」を守るために悪戦苦闘する様を描いていた。政府や保守勢力からの圧力で真実が報道されないという状況を現場が打ち破ろうとするお話。ほぼ今回の内容、筋書きに重なる。

 当時、総選挙の報道が、反自民、野党支持のスタンスで繰り広げられたことに対して、放送の公平性・中立性から問題があると政府側からも批判がなされた。それに対し、報道の自由を抑圧するものだという反対意見が出されるという状況だった。多分に時事的な政治批判めいた内容の脚本になっていた。

 会社上層部からの圧力に屈したディレクター(田中)が投身自殺を図る。2年後、社会は右傾化し自衛隊のヘリが都会上空を飛び回るラストシーン。この、二兎社の雰囲気とは異質な、あまりに偏った政治的認識に閉口して、ver.2を観る気が失せたのだった。

 今回はアリーナへの寄付の見返りだし、せっかくの機会だから観に行った。

 ver.1の木場勝己の役に近いのが佐藤B作だが、今回は政府批判的立場から転向した御用コメンテーターという設定。柿崎明二氏や田崎史郎氏を思い浮かべさせる。最近の事例をなぞっている部分が多い。これは政治風刺としてはあって当然というものだが、報道する側の自己規制する(空気)を問題にしているわりに、自分たちが本当に公平で国民のためになる報道をしているのかという反省は棚上げされている。報道側においても「やらせ」が横行し、不正確な情報提示をしたり、世界の主たる論調から外れた立場(チベットウイグルの問題に時間を割かない等々)だったりすることは語られない。民放におけるスポンサーの影響力についても触れられていない。

 作品中では無条件に報道人は正義の味方であり被害者、政府や保守側は悪役という前提である。「なぜ世論が政府批判に動かないかというと、それは報道が伝えていないからだ。もっと伝えなければ」と言う時、あれほど森加計桜で安倍首相批判を報道し続けたのは誰だったかという問いが浮かぶだろう。国民が大手新聞やテレビ報道番組から離れていくのはなぜかについては知らぬ振りなのか…というような個人的な疑問が湧いてきてあまり素直に拍手できなかった。役者さんの所為ではない。

 

 

 

 

 

演劇ユニット 弐十壱鶴堂 ~参ノ鶴~

『どるヲバ ~50歳でアイドルはじめました~

 企画・原案 鶴 英里子  脚本・演出 原田 和真

2021(令和3)年2月20日(土) 17:00開場 18:00開演 20:?終演

東ソーアリーナ ホール

 

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 主宰の鶴氏が「自分のやりたいことをやりたい人と思いっきりやる!!」をコンセプトに立ち上げたという個人演劇ユニット。

 平凡な主婦がアイドルになろうと決意し、実行し、デビューしてしまうというお話。それをド直球に描いているわけだが、本職のシンガー、ダンサーも登場し、ミュージカルっぽい仕立てになって劇場内を盛り上げる。この音楽系の作り方がこの劇団の特徴である。

 集客力もあり、宣伝もしっかり行き届いて主宰者の人脈の広さをうかがわせる。衣装や装置はしっかりしている。装置・小道具は、いちろう舞台さんが全面的に支えている。間口一杯に高いパネルを立て、手前に小さなステージを作っている。最後に大掛かりな転換が(前々作にも)あって、一つの見せ場になっている。ただ照明は年寄りには眩しすぎた。

 

 セミプロの役者もいて、それなりの芝居をしているのだが、少し空回りの感なきにしもあらず。これは、三人の主婦がいきなりアイドル選手権のような企画に参加してしまうという、強引な筋立てが、ギャグなのかリアルなのか観客の受け止め方に迷いがあったからではないか。

 ミュージカル「ベイブス・イン・アームス」は田舎の劇場の空き時間を借りて自分たちの芝居の稽古に励む若者たちが、認められて都市に出るという話だし、映画「スイング・ガールズ」は、山形県高畠のジャズに目覚めた女子高校生たちが、馬鹿をしながらもジャズ愛につき動かされ、遂に音楽祭に参加するというストーリーである。これらの成功譚と比較するのも何だが、主婦の同級生にプロデューサーがいて、その旧悪を押さえているため彼の力で練習もでき、デビューもできるという、まことにご都合主義の展開。ちょっとまともでないオタクの心をとらえたり、持ち歌を他のアイドルが先に歌ってしまうというハプニングが同情を誘ったり、youtubeで拡散されると反対していた娘もコロッと態度を変えるという流れ。生身の平凡な主婦が、若かりし頃の願望(夢)を叶えるには相応の仕掛けが必要だろう。今回は少し甘かったのではないか。本当は「のど自慢」くらいが良いところなのだろうが、いきなり「アイドル選手権」では、「ひみつのアッコちゃん」くらいの変身力(魔法)がないと無理なんじゃないか。そこの飛躍が上手く処理された脚本なら、もっと受け入れやすかっただろうと思う。

 でもやりたいことを思いっきりやるのは(やれるのは)とても貴重で幸せなことだし、多くの人が公演を観て楽しんでいるのだから、こんなことをグダグダ言うのも無粋なことなのでしょう。