自作高校演劇脚本⑥『私の愛した白熊』


『私の愛した白熊』 作 佐藤俊一


時  現代

所  日本のある町 ある家庭 他

登場人物

   みちこ(高校二年生)

   白熊(縫いぐるみであるが、黒子として出て来る)

   みちこの母(四十才くらい)

   五十嵐先生(三十才くらい)

   アイスキャンデー屋(五十才くらい)

   あい(高校二年生、みちことは別の高校)

   はるか(高校二年生みちこの親友)

   みちこの友人A

   みちこの友人B

   象の縫いぐるみ(黒子として出てくる)

   ゴリラの縫いぐるみ(黒子として出てくる)

   小学生

   小学生の母

   子供の時のみちこ

 

 初演 2005(平成17)年 上山明新館高等学校演劇部

 

 

1場 プロローグ


   客電が落ち、音楽が入る。ややあって幕が上がる。DO

   中央に明かり。その中に白熊の縫いぐるみ。

   黒子が登場。


白熊  みっちゃんは、僕がこの家に来たとき小学一年生だった。かわいかったなー。

    小学校の入学お祝いにお父さんが買ってくれたんだ。

    僕はデパートのおもちゃ売り場の棚からみっちゃんを見下ろしていた。そした

    ら目が合って、みっちゃんと僕はじーっと見つめ合ってしまった。

    みっちゃんは大喜び。もう寝るときも一緒だった。

    さすがにお風呂にいっしょに入ろうとした時はお母さんにとめられたけど。

    子供のみちこが登場し、はしゃぎながら縫いぐるみを蹴ったり投げたりする。


   母、登場。


母   みっちゃん。みちこ。やめなさい。どうしたの?何かあったの?

みちこ たかしくんが、みっちゃんのこと好きなんだって。

母   そう。よかったね。

みちこ よくないの。みつひろくんもみっちゃんのこと好きなんだから。

母   そりゃあ困ったわねえ。でも熊さんにあたるのはやめようね。熊さん痛いでし

    ょう。

みちこ 熊さん痛いって言わないよ。

白熊  痛いです。

母   言わなくても痛いって感じてるのよ。

みちこ そうなの? 痛かった?

白熊  いえ、たいしたことは。

 

   みちこ、縫いぐるみをなでたり、抱いたりしてかわいがる。


白熊  あれから十年。大事に扱ってもらって僕は幸せだった。ただ、みっちゃんのお

    父さんは、亡くなってしまった。あの時は悲しかった。

    みっちゃんも高校生になり、僕と遊んだり、お話してくれる時間はあんまりな

    くなったけど、今でも僕はみっちゃんといっしょです。

 

2場


   舞台全体が明転

   舞台はみちこの部屋 みちこ、テーブルに勉強道具を広げてぼんやりしている。

   母親、仕事(パート)から帰ってくる。


母   ただいま。あら、帰ってたの。アイス買ってきたから、食べない?


   返事がないが、母、勝手に入ってくる。


母   クーラーかければいいのに。白熊さんも暑いでしょう。ね、白熊さん。

白熊  はい。

みちこ ピースって呼んで。

母   ピースっていうの? 名前あったんだ。

みちこ どっかの動物園で、赤ちゃんの頃から人間に育てられた白熊がいて、その名前

    がピース。

母   へえ。

みちこ これおいしい。

母   外は暑いよー。アイスクリームもいいけど、アイスキャンデーが食べたいな、

    お母さん。

みちこ 北極熊は完璧な母子家庭なんだって。だけどピースはね、お母さんに育てても

    らえなくて、飼育係の人に育てられたの。

母   ふーん。

みちこ 泳ぐのもその人に教えてもらったの。

母   白熊って泳ぎ教えてもらうんだ。

みちこ それで大人になってもその人に甘えるんだ。こんな大きな白熊が、その人の腕

    しゃぶりながら、「ササ鳴き」っていうのするんだ。ササ鳴きって、小熊が母

    熊に甘えたり、すごく満足してるときにする鳴き方なんだって。それで檻の前

    にその人が来ると、向かい合って座って、檻の外と中でずーっと顔を見合わせ

    てるんだよ。

母   ふーん、ピースにとってはその人がお母さんなんだね。こっちのピースのお母

    さんはみちこなんだ。


   白熊、うなずく。


みちこ 私? 私は子育てできないお母さん熊かなあ…。

母   (縫いぐるみを抱き上げて)かわいがると情が移るんだよね。

    お母さんも昔持ってたよ、縫いぐるみ。

みちこ 何の?

母   こんなに大きくないんだけど、パンダ。あれ、ここ破れてる。どうしたのか

    な?

みちこ あとで縫っとくから。(取り戻す)

母   この熊、お父さんが買ってきてくれたのよ。こんな大きなのじゃなくていいっ

    て言ったのに。配達も頼まないで自分で抱えて持ってきたの。すれ違う人がみ

    んな見るんだって。恥ずかしくなかったのかしら。

    …ああ、五十嵐先生から電話あったよ。

みちこ …何だって?

母   夏休みになったら、学校へ来てみないかって。夏期講習が終わって、生徒が来

    なくなった頃にって。行ってみる?

みちこ 行ってみようか…。

母   行ってみなさいよ。

みちこ うん。行ってみる。(縫いぐるみを強く抱く、というより握る)

母   じゃ、洗濯するから、何かある? 洗い物。

みちこ カゴに入れといたから。

母   そ。


   母、退場。

   みちこ、しばし縫いぐるみをつかんでじっとしているが、やがてその首をしめ

   る。白熊、苦しがる。


みちこ (少し弛緩して)あーあ、行けるわけないよー。(放り出す)


   みちこ、勉強にもどろうとするがすぐあきらめて布団に入り、寝てしまう。

   照明変化する。

   白熊が前に出て独白する。


白熊  期末テストの少し前でした。みっちゃんが学校に行かなくなったのは。

    初めの日はお腹が痛いって言って休みました。次の日もお腹が痛いと言ってい

    たのですが…

    (寝ているみちこに)、もう起きてよ。お母さんがいらいらしてるから。

みちこ お腹痛い。頭痛い。のどが痛い。背中痛い。あ、心臓ドキドキする。息がつま

    るー。

白熊  そんなことないよ。気のせいだって。

母   (声)みちこー。起きないと遅刻するよ!

白熊  ほら!

みちこ うるさい、うるさい。うるさい!


   母、登場


母   みちこ。時間よ。遅刻するよ。

みちこ 行かない。休む。

母   行きなさい!

みちこ 行けない!

母   どうして行けないの。理由を言いなさい、理由を。テスト勉強できてないの?

    先生が嫌いなの? 友達とけんかしたの?

みちこ 違ーう。そんなんじゃない。けど行けないの。

母   いったい何なの?

白熊  お母さん、理由をはっきり言えないことだってありますから。

母   理由が言えないの。じゃ、ずる休みなんじゃない!

みちこ 具合が悪いのよ。

母   うそです。昨日もそんなこと言って、元気だったじゃない。ちゃんとご飯も食

    べられたし。大体、顔見れば具合が悪いかどうかぐらい分かるわよ。


   母、部屋の中を見渡しているが、みちこの携帯を見て、


母   携帯、どうして電源切ってるの?

みちこ いらないから。

母   いらない?

みちこ もう使わないから。

母   (携帯の電源を入れて操作しながら)こんなに来てるよ。電話もメールも。

みちこ (起き上がって母から携帯を取る)見ないで!

母   どうしたの? 何があったの?

 

   みちこ、布団の上に座り込んで黙っている。

   暗転 母、退場

   白熊が前に出て独白


白熊  あれから、みっちゃんは学校へ行っていません。お母さんももう、起きろとは

    言いません。なぜみっちゃんが学校へ行けないのか、それは…。

はるか (声)みっちゃん。みっちゃん、いる?


   白熊下がり、明転 はるか、登場


はるか ノート持ってきたよ。

みちこ ありがとう。

はるか 今週はクラスマッチだったでしょ。授業二日しかなかったから、これだけ。

みちこ はるか、焼けたんじゃない?

はるか そー。意外とさ、曇りの日って焼けるんだよね。

みちこ うちのクラスどうだった?

はるか 総合三位! 卓球で一位。うち卓球経験者多いじゃない。

    みんなして五十嵐先生のおごりで、アイス食べた。

みちこ よかったね。私も行きたかったな。

はるか アイスじゃなかったら持ってきてあげたんだけどね。

みちこ 先生から、講習の後に学校来たらって電話あったんだけど。

はるか そう。講習終わったら、部活以外は人来ないからね。

みちこ お母さんも行けって言うんだけど。なんか、行けないっぽい。

はるか 行こうよ。私も一緒に行ってあげるよ。

みちこ そうね。はるちゃんといっしょなら…でも、やっぱりだめみたい。

はるか だめかなー。ま、夏休みの間に気分替えて、区切りよく二学期から行くってい

    うのがいいかも。

    …でさ、メールのことだけど、いい?

みちこ …うん。

はるか あやしいってにらんだのが、ちさとたちなの。

みちこ ええ?

はるか みちこにうらみ持ってる奴っていったら、ちさとよ。かずやにふられたの、み

    ちこのせいだと思ってるみたいだから。

みちこ 私、かずや君と、なんでもない!

はるか わかってるわかってる。わかってないのは、ちさと。でさ、みちこが休んでる

    ことで何か言ってるかどうか探ってみてるんだけど、まだ反応ないんだな。

みちこ 他の人は、このこと知ってるの?

はるか うーん、私の聞いた範囲では大体三人に一人は知ってる。

みちこ …やっぱりみんな知ってるんだ。はるかなんかと違って、私のこと知らない人

    が見たら、本当のことだと思うんじゃない?すごく怖いの。みんなが私の噂し

    てると思うと。でも、私どうしようもないじゃない。みんなにひとりずつ、あ

    れは違いますから、嘘ですからって言って回るなんて出来ないし。

はるか ひどいよね。自分の姿は隠して、あることないこと広めるなんて。絶対許せな

    い。

みちこ なんでこんなことすんの? 人の悪口すんのがそんなに面白いの?

はるか みっちゃん。みっちゃんの気持ち分かるけど、あんまり考え過ぎない方がいい

    よ。

みちこ 考えたくなんかないけど、頭から離れないよ。

はるか そんなこと言わないで、しっかりしなくちゃ。

みちこ …うん。


   先生が訪ねてくる。母といっしょにみちこの部屋に入ってくる。


母   みちこ、五十嵐先生来てくださったよ。

先生  こんにちは。

はるか・みちこ こんにちは。

先生  あら、はるかさん、来てたの?

みちこ 授業のノートとって来てくれるんです。

先生  そうだったね。ありがとう。でも今ちょっとみちこさんとお話ししたいの。

    ごめんなさいね。

はるか じゃあ、私帰ります。さようなら。

先生  さようなら。

みちこ どうもありがとう。バイバイ。

はるか バイバイ。

先生  いいお友達ね。はるかさんみたいな人もいるんだから来ればいいのに。

みちこ はい…。

先生  元気そうじゃない。

みちこ 散歩とかもしてるし。

先生  でさ、お母さんにも学校に来てもらって話したんだけどね、学校でも一応調べ

    てみたのね、匿名のアンケートとって、こんな例があるけどって、あなたのこ

    とだって分からないようにしてね。

みちこ …。

先生  で、ね。皆さ、そういうメール、チェーンメールって言うの、ずいぶんあるら

    しくて、その中に確かにあなたのことを書いたメールもあったの。大体二〇人

    くらいかな、学年で。で、送ってきた相手はバラバラで、他の学校の生徒から

    のが多いの。で、これをたどってさかのぼっていけるかっていうと、むずかし

    いんだな。

 

   母、麦茶を持ってくる。


先生  ああ、どうも。お構いなく。

    ねえ、心当たりって、本当にないかしらね?

みちこ …本当にないんです。

母   でも、もしあったって、先生に言ってもどうしようもないんじゃないですか?

    先生、その心当たりの子に聞いてみるんですか? それで、ハイ私ですって言

    うでしょうか?

先生  それはむずかしいです。たしかに。でも対象を絞った方が、解決に近づくんじ

    ゃないでしょうか。

母   解決って何ですか? もうどのくらいの間、このメールが回ってるんでしょ

    う。これどこかで止められるんですか? 名前も住所も写真も皆入ってるんで

    すよ。そこらじゅうの人から見られてるようで、町中も歩けないんです!

先生  お気持ちは分かります。でも、学校としては、限界がありますね。警察に言っ

    ても、まず…。

    ただ、こんな中傷は無視して、堂々と生きていれば、陰で指さす人もいなくな

    るんじゃないでしょうか。

母   そんなことしか言えないんですか? 学校って。

先生  そんなことって…。私たちはみちこさんのことを第一に考えてます。犯人を下

    手に刺激したら、またどんなメールを回すかも知れませんし。遠回しに、こっ

    ちは分かってるぞってメッセージを送るということもありますし。

母   先生、悔しいんです。なんでうちの子がこんな目にあわなきゃならないんでし

    ょうか。本当に悔しいです。

みちこ 先生、先生はメール見たんですか?

先生  私は見てないの。内容は大体聞いて分かってるつもりだけど。

母   私、見ましたけど、無理やりこの子の携帯見たんですけど、あんなことこの子

    がするはずないですよ。ひどい中傷です。

    先生こないだ、他の学校でもあるんだっておっしゃいましたよね。たいていは

    犯人分からずに、被害者が学校やめていくんだって。そんなばかなこと許され

    ていいんですか?学校で携帯持たせないようにできないんでしょうかね。法律

    で規制できないんでしょうか?

先生  …。

母   すみません。先生を責めてるんじゃないんです。こんな世の中がおかしいんだ

    と思います。

先生  本当に何と言ったらいいか…。いずれ校長からもお話があると思いますの

    で…。

    …じゃあ、これ予定表ね。講習が終わったら私ずっとあいてるから、好きなと

    きに来てくれたらいいから。

    授業日と違って、休業中は気分が変わるから来やすいんじゃない?

みちこ …はい。

先生  それじゃあ、失礼します。


   母、一緒に部屋を出る。みちこ、お茶を片づける。


みちこ …学校やめていくって、私もそうなるって言うの? なんで? なんで私がそ

    うなるの?(縫いぐるみをなぐる)チクショー。チクショー。


   白熊、痛がる。みちこ、縫いぐるみを振り回したり、叩きつけたりする。


みちこ あ。(縫いぐるみの一部が取れる)

白熊  ああ! イタタタッ!。(黒子の同じ部分も取れている)

みちこ (我に返って)ごめん、ピース。ごめんね。


   縫いぐるみを繕うみちこ。

   母、戻ってくる。


母   あら、お母さん縫ってあげたのに。

みちこ いい。自分でするから。

母   ずいぶん痛んでたんだね。それも古いからねー。

みちこ 晩ご飯何? 手伝うよ。

母   何かもう疲れちゃったね。ちょっと早いけど、どっか食べに行こうか?

みちこ 賛成。

母   何か食べたいものある?

みちこ うーん、なんでもいい。


   二人、退場。縫いぐるみ達、登場

 

3場


ゴリラ 大変だなーお前。

白熊  いや、大したことないから。(取れた部分が付いている)

象   大したことないって、こないだ鼻取れて、今度は耳取れてるじゃん。

白熊  ちゃんと縫いつけてくれるから。

ゴリラ 後で縫いつけるくらいなら、最初から取るなって、な。

象   しかし何で白熊にばっかりあたるんだろう。こっちのゴリラでも良さそうなの

    に。

ゴリラ よせよ。

象   やっぱり、一番古いからじゃないかな。僕は七年だし、ゴリラ君はまだ五年だ

    ろ。十年とじゃ、そりゃ一体感が違うよね。

    よく、泣きながら白熊君を抱いてたよね。何か一生懸命話しかけてさ。

ゴリラ へえ。かわいさ余って憎さ百倍ってか。

白熊  小さい頃は、悲しいこと、うれしいこと、何でも話してくれたよ。僕は何でも

    聞いてあげた。中学生くらいからかな、あんまり話さなくなったのは。

ゴリラ 俺は、そんなことしてもらったことないぞ。

象   その代わり、あたられることもないんだから。

ゴリラ そういうことか。

象   でも、苦しいからってあたられたらたまんないね。

白熊  みっちゃんの気持ち分かってあげてよ。

象   なかなか人の気持ちなんて、分からないよね。

ゴリラ 分かりたくもないね。さあ、気分転換に遊びに行こうぜ。

 

   象・ゴリラ・白熊、退場

   みちこ、登場

 

4場


みちこ (帽子をかぶっている)外、行ってくる。

母   どこまで?

みちこ 小松書店。

母   気をつけてね。

みちこ うん。


   町を歩いているみちこ。アイスキャンデー屋が来る。

   通り過ぎようとして立ち止まるみちこ。


みちこ 一本ください。

アイス はいよ。一本百両ね。

みちこ おいしい。冷たくて。

アイス アイス、あいす。我は冷たき汝を愛す。
みちこ ?
アイス 人生いろいろ。愛もいろいろ。


   あい、登場。

   みちこやや引く。

 

あい  一本ちょうだい。

アイス はいよ。一本百両ね。


   二人の少女、並んで座る形になる。


アイス あんたたち、もう高校は夏休みかい?

あい  休みじゃないけど、行ってないんだよ。

アイス ありゃ、それじゃ君たち登校拒否か。

あい  今は「不登校」って言うんだよ。

アイス はー。

みちこ 私、違います。ちゃんといってます。ちょっと具合が悪くて少し休んだけ

    ど…。

あい  あなたどこの学校?

みちこ …。

あい  私、一高。あなたはうちの学校じゃ見かけないから、二高かな。

みちこ どうして分かるの?!

あい  顔つき見れば分かるわよ。

みちこ …あなたはどうして学校行かないの。

あい  どうしてって、あんたと同じよ。ちょっと具合が悪いのよ。

    あのさ、そんなにびくびくしないで堂々としてなさいよ。何も悪いことしてい

    るわけじゃないんだからさ。

みちこ 私、どこか体が悪いんじゃなくて、ただ…。

あい  人が信じられないんでしょ。

みちこ …ええ。

あい  やっぱり同じだ。

みちこ あなた、いつから?

あい  私? もう一年半かな。時々は行ってるから何とか進級できたけどね。

    あんた、保健室も行けないの?

みちこ ていうか、高校生といっしょにいられない。どうしてか自分でも分からない。

    何でもないことなのかもしれない。知らんぷりして生きていられたら、どんな

    にいいだろう。でもダメなの。足がすくんじゃうの。

あい  人より感受性が強いんだよ。いいことじゃない。鈍感な阿呆どもとは違ってる

    んだって、優越感持てばいいんだよ。ダメなのはあいつらなんだから。

    これ私の名刺。

みちこ やました・あい、さん?

あい  平凡な名前でしょ。メールちょうだい。

みちこ 私、携帯ダメなの。

あい  ダメって、持ってないの?

みちこ 持ってるけど、触れないし、見るのも嫌。

あい  はー、インターネットできる? じゃあホームページ見てよ。そこのURL

    ね。まめに更新してるから。

みちこ 私、さとうみちこ。やっぱり平凡ね(笑)。

    こんなに気楽に話せたのひさしぶり。

    今はこうやって昼の時間に出歩けるけど、夏休みが始まったらみんな休みじゃ

    ない。どうなるんだろう?

あい  びくびくしてたらさ、かえってバカにされるんだよ。もっと自分を強くしなく

    ちゃ。もっと、あいつらにインパクト与えてやらなきゃ。相手がびびって引い

    ていくくらいにね。

みちこ ?

あい  見て。(左手首のリストバンドを取る。リストカットの痕が多数、生々しい)

みちこ !

あい  この傷見たら、たいていの奴は引くよ。

みちこ どうして、そんなことするの?

あい  どうして? あんたなら、分かるんじゃないの?

みちこ 私、分からない。…あの、もう帰らなきゃならないから。ごめんね。


   みちこ、退場。


アイス 学生さんも帰ったら?

あい  そうね。おじさん、売れてる?

アイス 売れなくてもいいの。道楽でやってんだから。それより学生さんはそんなこと

    して、親に心配かけてないかな?

あい  してるかもね、心配。だけど、私が切った手の痛み、親が感じてくれるわけじ

    ゃないんだよ。それに今時さ、親孝行なんて古いんだよ。親は親、子供は子供

    なんだから。

アイス ふうん。でもね、子供もいつかは親になって、子供の心配して、そうして年寄

    りになるんだよ。ま、おじさんもあんたぐらいの時には分からなかったけど

    な。じゃあ年寄りは帰ろう。

あい  さよなら。

アイス さようなら。


   アイスキャンデー屋、退場


あい  確かにね、切らない方がいいよね。意外と自分を切ってるようで、親を切って

    るのかも知れないからね。


   あい、退場

   後景暗転 縫いぐるみたち、登場

 

5場


ゴリラ 象くん、象くん。

象   なんだいゴリラくん。

ゴリラ 今度さ、保険に入ろうと思うんだ。

象   保険?

ゴリラ ほら、地震とか台風とか自然災害多いだろう。

象   ゴリラくん、なくして困るような物、何も持ってないだろ?

ゴリラ (バナナを取り出して)これ。これがないとダメなんだなー俺。

白熊  買ったときからセットだったもんな。

ゴリラ でさ、保険に入るのに判子いるんだよ。印鑑。

象   そうだろうね。

ゴリラ 判子作らなきゃならないんだけど、君もどう? 判子作ったら?

象   そうだねー。

ゴリラ そんで、判子って言ったらやっぱりさ。

象   やっぱり?

ゴリラ なあ、白熊くん。

白熊  え? 何?

ゴリラ 判子の材料と言えば。

白熊  翡翠かな? 琥珀かな? 水牛の角かな?

象   象牙じゃない?


   三匹、顔を見合わせる。象逃げる。ゴリラ、象を追って退場。


白熊  夏休みになっても、みっちゃんは学校に行けませんでした。

    まったく外出しないわけではありません。天気の悪い日とか、高校生の来ない

    ような所とかはなんとか出て行けるようです。


   前景明転

   雨の音

 

6場


母   みちこ、お母さん仕事だから、買い物行ってきて。買う物メモしてあるから。

みちこ いいけど。

母   雨降ってるから自転車無理だからね。牛乳とか重い物ないから歩いて行って。

みちこ うん。

母   はいお金。これ会員カード。じゃ行ってきます。

みちこ 行ってらっしゃい。


   母、退場

   みちこ、買い物のメモを見ている。


みちこ …雨降ってるからいいか。スーパーで会っちゃうかな。この時間ならいないか

    な。


   みちこ、退場

   後景に傘を差して歩いてくるみちこ。買い物の袋を下げている。

   反対側からはるかと友人達が歩いて来る。みちこ、気付いて隠れる。

   はるか達は映画の帰りのようであり、もっぱらその話をしている。


はるか ヨーダ、かっこよかったねー。

友人A でもCGじゃん。やっぱ役者でしょ。ダースベイダー、かっこいいじゃん。

友人B あ、メール。あれ、チェンメだよ。

友人A 見せて。やだ、名前入ってるし。

はるか 消しちゃえよ。

友人A 知ってる人?

友人B 知らない。誰がこんなの回すかって。

友人A でも回ってくるのって、女のことばっかじゃね?

友人B 女は怖いねー。

友人A お前だって女じゃん。

友人B だけどさ。

はるか うっさいなー。せっかくの映画の余韻がだいなしでしょー。

友人A ごめん。ってか、こいつが悪いんだろ。このメール回してくる奴が。

はるか みちこのこと思い出すの。

友人B やっぱ、うざい?

はるか うざくないけど、何言っても聞かないんだもの。こっちだって暇じゃないの

    に。

友人A あーら、冷たいのね。小学校以来の親友なんでしょ。

はるか やめてよ、そういうの。いつまでも引きずるの。


   三人通り過ぎようとする。一人が隠れているみちこに気づく。


友人A あれ? みちこじゃない?

はるか え?

友人B ねえ、今ちょうど話してたの、あなたのこと。へえ、家から出られるんだ。引

    きこもってるのかと思った。


   みちこ、動けない。


はるか みっちゃん。買い物?


   みちこ、帰ろうとする。


友人A あら、シカト? 心配してるんじゃない、ねえ。

友人B 気ィ使ってるのに。

はるか やめなよ。みっちゃんも何か言って。この子達は味方だから。

友人B はるかがノート持って行ってるのみんな知ってるのよ。少しは感謝してる?

はるか そんなのいいから。

みちこ 感謝してる。

友人A 他の人はどうでも、私たちはみちこのこと信じてあげるよ。

みちこ 無理して味方しなくていいよ。


   みちこ、小走りに去る。


はるか みっちゃん。

友人A 何あれ。

友人B おかしいんでね? あ、おかしいから不登校なのか。

はるか ちょっと、そんなこと言わないでよ!

友人B 何? 私が悪いわけ?

はるか そうじゃないけどー。…もう嫌だ!


   はるかたち、退場

   暗転 袖に白熊登場

 

7場


白熊  みっちゃんはずいぶん暗い感じで帰ってきました。そして、あの子に電話をか

    けたのです。

みちこ (声)もしもし。あ、私、みちこって言います。こないだアイスキャンデーい

    っしょに食べたの覚えてますか?突然ごめんなさい。一度お話ししたいなって

    思って。うん。うん。私の部屋で良かったら。うん。じゃあ。


   前景明転 みちこの部屋

   あいが来ている。白熊の縫いぐるみを見たり、いじったりしている。みちこ、お

   菓子など持って入ってくる。


あい  だからさ、私は引きこもりになんかならないの。カラオケで思いっきり歌って

    さ、怒鳴り散らして、とにかく外にぶつけてやるんだ。

みちこ すごいんだね。

あい  クラス全員からシカトされた時思ったんだ。負けないぞ、私の方がクラス全部

    をシカトしてるんだって考えて、胸張って歩いてた。でもね、家に帰ると、ど

    っと疲れが出てさ。何しても消えないの。

みちこ 私も自分のことがメールで回ってるって知ったときは、なんか足から地面に沈

    んで行くみたいな感じで、震えが止まらなかった。

あい  私はね、今無視されていることよりも、明日もまた、誰からも無視されてしま

    うんじゃないかって思うことの方が怖いの。でも、思ってしまう。自分で自分

    を怖がらせている。そんな自分が嫌なの。

みちこ うん、分かる。私も自分が嫌で、なんでこんなんだろうって思うの。

あい  灰皿ある?(煙草を取り出す)

みちこ え? いえ、ないけど。

あい  ちぇっ。(煙草をしまう)あんたこれからどうするの?

みちこ これから?

あい  どう考えてるの? 夏休み終わったら学校行けるの?

みちこ 何か先生みたいなこと言うのね。

あい  先公なんかどうでもいいんだよ。自分だろう、自分。ずっと学校行かないで何

    するんだよって言ってんだよ。

みちこ わからないからあなたの話聞いてるんじゃない。

あい  だから、逃げるなって言ってんだろ。怖さに負ける自分から逃げるなよ。そん

    な弱虫の自分は追い出すんだ、ってずっと言ってたんだけど。

みちこ 私が何か悪いことしてるみたいな言い方ね。

あい  あ、そんなことないから。私、言い方きついから。ごめんごめん。気にしない

    で。…私、帰る。今日は初めてなのに熱くなってごめんね。今度は好きな音楽

    の話でもしよう。あなたの好きなCD貸してくれる?

みちこ そこにあるから好きなの持ってって。

あい  ふーん。(棚のCDを手にとって見ている)

白熊  みっちゃん、僕、あの子気に入らないな。

みちこ (独白)…はるちゃんが悪いんだ。はるちゃんが私のことあんなふうに言わな

    きゃ、電話しなかったのに。

白熊  あの子と話、合う? なんか嫌な感じしない?

みちこ やな感じ。これからどうするって…。行かなきゃしょうがないじゃない。卒業

    しなきゃ。そんなん分かってるって。あんたみたいに叫んで気晴らしできたら

    簡単なんだよ。

白熊  そうだよ。

みちこ でも、学校に行けるんだから、何か私と違うとこがあるんじゃないかな。

あい  何かぴんと来ないな。全然趣味違うね。

みちこ そうお? 友達みんないいって言ってるんだけど。

あい  へー友達ねえ。友達なんてすぐ裏切るからね。あんたもさんざん嫌な目にあっ

    たんでしょ。

みちこ はるかは違う。

あい  誰だって同じだよ。

みちこ あなたの友達はそうかもしれないけど。はるかは違う。

あい  はは、そんないい友達いるんだったら、学校行きなよ。甘えてんじゃねーよ。

みちこ 勝手なこと言わないで。

あい  あんたは、私の気持ちが分かるって行ったわね。でもね、あんたには私の心の

    痛みは分からないのよ。体を傷つける痛みとどっちが痛いか…分かる?

    あんたみたいな人が一番憎いのよ。人の心の中に入ってきて、掻き回して、沈

    んでいるゴミを浮き上がらせるの。

    ここしばらくは切ってなかったのよ。でも昨日久しぶりにやっちゃった。あん

    たのこと思い出すとむかついちゃってさ。


   あい、生々しい傷跡を見せる。


みちこ …医者行ったら?

あい  バカ。リスカやって医者行くか。痛いときは薬飲むんだよ。

    もう、こんな所に来るんじゃなかった。あんたね、私をこんなに苦しませたん

    だから、謝ってよ。土下座して謝れよ。

みちこ 何で私が謝るのよ!

あい  痛みが分かるんだったら、自分でやってみろよ。やったこともなくて分かんの

    か。なんなら今ここでやってやろうか。(カミソリを取り出す)

みちこ 嫌だ、何するの!

白熊  やめろよ!

あい  ふん、こんな縫いぐるみに抱っこしてメソメソしやがって。(白熊にカミソリ

    を向ける)甘えてんじゃないよ。

みちこ やめて!

 

   あい、縫いぐるみの白熊に切りつけようとする。

   みちこ、あいを突き飛ばして縫いぐるみを抱く。


みちこ 帰って! 帰ってよ!

あい  あんたが悪いんだからね。あんたに呼ばれたから来たのよ。迷惑したのはこっ

    ちなんだから!


   あい、退場


みちこ あんな人だと思わなかった。やっぱりはるちゃんじゃないとだめなんだ。

    だけど、なんでー。なんではるかまで私を見捨てるの。

    …ごめんねはるちゃん。私が悪いんだ。私が悪いんだ。

白熊  みっちゃん、そんなに苦しまないで。落ち着いて。

みちこ どうせ甘えてるんだよ私は。そんなの分かってるんだよ! 

    バカ、バカ、バカ。バカヤロー!


   みちこ、白熊の縫いぐるみにあたる。

   みちこ、あいの残したカミソリを手にする。


みちこ みんな、みんな死んじまえ!

白熊  え? やめて、やめてよ。いや、いやだー。


   みちこ、縫いぐるみの腹を切り裂く。


白熊  あーっ!


   みちこ、さらに切り続ける。


白熊  そんなに、そんなに苦しいの?

    これで気が済むなら、僕の体はどうなってもいい。気の済むまで僕を傷つけ

    て。それでいいんだ。君の苦しみ、君の悲しみが僕には分かる。僕はそれを受

    け止めてあげる!

 

   気息奄々の白熊。みちこも疲れて、縫いぐるみに抱きついて寝てしまう。

   白熊が寄り添っている。

   ゴリラと象、登場。

 

8場


ゴリラ あのさあ、お前が痛みを引き受けても何の解決にもならないんじゃないかな。

象   そうだよ、根本的にみっちゃんを救うことはできないし。

白熊  いいんだよ。誰だって自分で自分を傷つけるのが一番苦しいんじゃないかな。

    僕を切ることで少しでも楽になってくれたらそれでいいんだよ。

ゴリラ こんなこと続いたら体が持たないだろ。

象   だいぶ中身が出ちゃったみたいだね。

白熊  今は僕がいないとみっちゃんがダメになるから。

象   犠牲的精神だね。

ゴリラ いつまでもつか…。

    縫いぐるみなんてさ、結局ボロボロにされて捨てられるものなんだよ。ちっち

    ゃい頃は、友達みたいにしててさ、大人になったらそんなことけろっと忘れて

    しまうのさ。

白熊  みっちゃんは違うよ。

ゴリラ みんな、自分だけはって思うのさ。

    けど、白熊が、これ以上切るところがなくなったらどうするのかな。

象   次は僕たちかもしれないね。

ゴリラ こりゃ、さっさと逃げ出すに越したことはないな。

象   あ、お母さんが来る。

母   入るよ。(返事がない)寝てるの?

 

   母、みちこの部屋に入ってくる。寝ているみちこを気遣うが、傷ついてボロボロ

   の縫いぐるみを見て驚く。


母   みちこ、何してるのこれ! あんたこんなことして。

みちこ …。

母   あんたは学校に行かないで何してるの!お母さんの気持ちも考えてよ。近所歩

    くのも気詰まりなんだから。お母さん、二人の生活支えていくだけで精一杯な

    んだから、よけいな心配かけないで。

みちこ 黙ってて!聞きたくない。

母   言いたいことがあったら言いなさい! 物に当たらないで! こんなひどいこ

    として、これ見て心が痛まないの?

みちこ うるさーい! 痛いんだよ。もう心なんかボロボロなんだよ! そうだよ、こ

    の白熊が私の心なんだよ!

母   やめて。お母さん、もうこんなの見たくないの!

みちこ 見たくないなら捨てろよ!(縫いぐるみを母親に投げつける)


   母、足下の縫いぐるみを見ている。


母   あなたのために買ったんだから、あなたがいらないのなら、本当に捨てるわ

    よ?

みちこ …。

白熊  みっちゃん?

母   本当にいいのね?

みちこ …いいよ。

白熊  みっちゃん!


   母、縫いぐるみを抱いて退場

   白熊、退場。ゴリラと象、それを見送る。

   音楽 暗転

   トップの中に白熊


白熊  僕はこうしてみっちゃんのもとを離れることになりました。

    お母さんは僕を大事そうにビニールで包んで、粗大ゴミ置き場に持っていきま

    した。お母さんにとっても、思い出のつまった大切な品物だったからです。そ

    れでも捨てたのは、みっちゃんに僕を切らせるのが忍びなかったからでしょ

    う。

 

9場


   白熊、歩いてゴミ捨て場に移動する。


白熊  ひとりぼっちだ…。

    野生の白熊は、親離れした後は一人で生きていくんだよな。さびしくないのか

    な? 僕はこれで親離れしたって事かな?

    みっちゃん、君には今、お母さんも友達もいる。僕がいなくなっても大丈夫だ

    よ。…僕にはもう誰もいない。


   粗大ゴミ捨て場に、ビニールで包んだ白熊の縫いぐるみが置いてある。

   みちこ、登場


白熊  みっちゃん! どうしたの? 何しに来たの? 僕を捨てたんでしょう?

    もう僕はいらないんだろう。

みちこ 本当に捨てちゃったんだ。

    私のせいだ。なんであんなにいじめたんだろう。

    ピース。私から離れて安心した? もう傷つけられることもないね。

    でも、お前はいいよ。そうやって逃げられるんだから。でも私は、どうしたっ

    て、どこにも、逃げられないの。誰にも助けてもらえないの。どうしたらいい

    の…?

    いじめて悪かったと思ってる。悪い親だったね。ごめん。さよなら。


   みちこ、去る。

   白熊、呆然として聞いている。

   小学生、登場。じっと縫いぐるみを見ているが、やがて持ち去ろうとする。

   黙って見ていた白熊、持ち去られるときになって叫ぶ。


白熊  みっちゃーん!(退場)


   しばしの時間。

   みちこが再び登場。白熊を探すがいないことを知る。


みちこ いない。ピースだけいない。

    嫌になったんだよね。こんな私のとこにいるのが。誰かに拾ってもらったんだ

    ね。そのほうがいい。そのほうが…。


   帰ろうとするところへ、母子が登場。子どもが白熊を抱えている。子どもに白熊

   を元の場所に捨てさせようとする。みちこ駆け寄る。


みちこ それ。あの。それ私が捨てたんです。だけど、やっぱり捨てないことにしよう

    って…。

母   え? こんなボロボロな熊、拾ってくるんじゃないって、怒ったんですよ。

    あなたも大事な物なら捨てなけりゃいいのに。さ、お返しなさい。


   みちこ、子どもから縫いぐるみを受け取る。

   母子、去る。

   みちこ、縫いぐるみをひしと抱きしめる。

   白熊、登場


みちこ ピース。ピース、ごめん。いらないなんて言って。もう傷つけたりしないか

    ら。約束する。

白熊  ううん、謝るのは僕の方だ。最後まで君の傍にいるべきだったのに。ごめん。


   みちこ、縫いぐるみを持って退場。白熊も移動。

   暗転 音楽

   明転 夜、はるかのノートを見ながら勉強するみちこ。

 

10場


みちこ 分からない。全然分からない。どうしたらこんなの解けるの?

    はるちゃん、私、分からないよ。

    みんな勉強してるよー。みんなに遅れちゃうよー。進学できないよー。

    はは、卒業もできないのに、進学だって、はは。

    チクショー、チクショー。


   みちこ、カミソリを取り出す。白熊、おびえる。


みちこ 自分でやってみないでわかるかって…、そうだよね。自分でやってみなくち

    ゃ。


   左手の指先を切ろうとする。なかなか切れない。


みちこ 力入らない。もっと強く切らなきゃ。


   少し切れる。


みちこ あっ!


   指先を見ている。今度は手首の内側を切ろうとするが、なかなかできない。

   その背後にあいが浮かび出る。いとも簡単に手首を切る。

   血が流れ出るが、かまわない。


白熊  やめろ、やめるんだ!


   みちこ、再び切る。今度は強く。


みちこ あーっ。


   みちこ、タオルを取り出し、自分の腕にあてる。タオルが赤く染まっていく。


白熊  そんなことしないで!自分を傷つけるんだったら、僕を切ってくれ!

    僕はもう逃げないから。君の痛みに最後までつきあうから!。


   あい、消える。

   ゴリラと象、登場。


ゴリラ もう、嫌だ。

象   もう、我慢できない。

ゴリラ こんな飼い主はごめんだ。

象   こんな友達もごめんだ。

ゴリラ なんでこんなところへ戻ってきた。

象   どうして言うことを聞かない。

白熊  何? なんなの?

象   僕を切ってくれって?

ゴリラ 君の痛みにつきあうって?

白熊  そうだよ。だって見ちゃいられないだろ?

ゴリラ 自分のせいだろ、そんなの。

象   ちょっと噂立てられたくらいで逃げてるから、こうなるんだ。

白熊  ちょっとって、…ひどいな。

象   甘やかすからだめなんだ。

ゴリラ 回りがどんどんだめにしているんだよ。

白熊  回りって、僕のこと?

象   みんなだよ、みんな。

ゴリラ 親切めかした友達も、我が身大事の先生も、世間体気にしィの母親も、エゴイ

    ストのリストカッターも。

象   人のこと本気で心配する奴なんかいない。うらやましくてねたましいから足引

    っ張るか、うざくてきもいからいじめてやるか、どっちかしかないんだよ。

白熊  違うよ。そんなことない。

ゴリラ いい子ちゃんじゃ生きていけないって。いい加減分かれよ。

象   代わりに切られても切られなくても、同じだっただろ。関係ないんだよそんな

    こと。ただの自己満足なんだよ。

白熊  なんてこと、言うんだ。そんなこと考えてるのか。

    君たちなんか友達じゃない!

ゴリラ・象 この世に「友達」なんていないんだよ!

    そんなことも知らなかったのか! ばーか。ハハハ…。


   ゴリラと象、退場。白熊、闇の中に取り残される。

   次第に朝になる。

   母、登場。白熊の縫いぐるみがあることに気づく。

 

11場


母   戻ってきてる…。


   母、みちこの腕の血染めのタオルに気づく。タオルを取り、傷を見て驚く。

   みちこ、痛みで目を覚ます。


母   みちこ。まさかこれ、自分でしたの?

みちこ …。

母   なんでこんなことするの。お医者さん行かなくちゃ。

みちこ 医者に行くのはバカだって。

母   え?

みちこ リストカットやって、医者に行くバカいないって。もう、こんな自分が嫌な

    の。もう、死んだっていいの。


   母、みちこを平手で打つ。


母   みちこ! 良く聞きなさい! 母さんね、あなたを赤ちゃんの時から、けがし

    ないように、病気しないように、心を込めて育ててきたの。だから自分を大事

    にして!

みちこ …だって、みんな、私から離れていくんだもの。

母   お母さんは離れないよ。いくら喧嘩したって、愚痴を言ったって、離れたりで

    きないよ。親子だもの。あなただってピースを連れて帰ったじゃない。

みちこ ピースは仕方なく私についてるんじゃない? 他にお母さんがいないんだも

    の。めんどうみてくれれば、飼育係の人にだってなつくじゃない。

母   ピースは、誰が飼育係でも同じようになついたかな?その人がピースを愛した

    からでしょう?

    …ね、その傷、深そうだから、医者に行こう。跡が残らないように。

みちこ …うん。


   母、みちこを連れて部屋を出る。

   白熊が残る。ゴリラと象の縫いぐるみを見るが黒子は現れない。


白熊  象君。ゴリラ君。

    …いないの? そうか。僕ももう行かなければ…。

    みっちゃん、長い間本当にありがとう! 君と一緒で僕は幸せだった!


   短い暗転 SE

   その間に白熊が消え、みちこが登場している。左手に包帯が巻いてある。

   はるかがやってくる。


はるか みっちゃん。入っていい?


   無言を黙認と見て、みちこの部屋に入る。


はるか みっちゃん。私のこと、怒ってるの? みっちゃんのこと忘れてみんなと楽し

    そうにしてたから?

みちこ 違うの。違うからいいの。

はるか これ、ノート。講習の分。

みちこ ありがとう。でも、それ見ても分からないから…。(受け取らない)

はるか …。


   みちこも黙っている。


はるか みっちゃん! 私こんなのいやだ! 前みたいに、話しして。こんな、ぐじゃ

    ぐじゃしたのいやだ。前は二人で何でも話してたじゃない。

みちこ 話したい。けど、できない。

はるか 何言ってるの。こんなみちこの方がだめでしょう。

みちこ お願い、今はだめ。

はるか みっちゃん、白熊の話してくれたよね。ピースの話。お母さん熊に見捨てられ

    たピースの気持ち、今の私の気持ちだよ。

    でもピースのお母さんも、今のみっちゃんみたいに、自分のことで精一杯だっ

    たんじゃないかな。だから白熊のお母さんもかわいそう。

    だけどね、みっちゃん、ここでくじけたら、ピースみたいに一生動物園の檻の

    中で暮らすしかないんだよ。わかる?

    …私、もう来ないから。みっちゃん、二学期になったら学校来てね。学校で会

    おうね。きっとね。待ってるから。


   みちこ、かすかにうなずく。はるか、去る。


みちこ 私、いろんなものを失くした。大切なものや、ほんとはいらなかったものを。

    今、私に何があるだろう? ボロボロな私の心。ボロボロなおまえ。


   音楽入る。ホリゾントに流れ雲

   奥に白熊が現れる。(少し様子が違って見える)


白熊  みっちゃん。見て、僕のいる所。ほら、こんなに広いよ。みっちゃんもそこか

    ら出てごらんよ。


   みちこ、立ち上がり、前に出、縫いぐるみを抱いて独白。


みちこ 私は、この汚れた傷ついた白熊を愛しています。この白熊だけが私の苦しみを

    わかってくれたから。私の苦しみを分かち合ってくれたから。

    私はこの子を傷つけてしまったけれど、捨てたりしたけれど、この子はこんな

    私を、ずっと黙って見ていてくれたから。

    私はこの小さな愛から歩き出そうと思います。


   白熊、みちこを見送る。

   音楽高まり、幕