1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)その4

⒉ 地主・小作関係の変化

 ① 秋収員と舎音 (下に追記あり)

 朝鮮半島における地主・小作関係を見るにあたって、「秋収員」と「舎音」という、朝鮮独特の制度を知らなければならない。今これに限って書くが、秋収員と舎音の呼び名は様々で、「収秋看」とか単に「監官」と書いているものもある。舎音(サオン、あるいはマルム)は「農幕主人」(或いは単に「農幕」)、「首作人」などとも呼ばれていたようだ。両者とも、地主と小作人の間に介在し、小作料や租税の徴収にあたるのだが、中間搾取者でもある。

 「舎音」は、小作人を指導し、小作料を取り立てて不在地主に収める監督員である。小作地のある地域に住み、複数の地主の下で働いているものが多い。

 「秋収員」は、地主のもとにいて、四季ごとに小作地に出向いて舎音を監督する。

 こういう二重の搾取段階を経るので、都市に住む地主は自分の所有する農地とそこで働く農民に対して全く関心を持たない。李朝後期、両班が没落して行くのも、こういった経営への無関心からの浪費的な生活、それにともなう田畑の切り売りが一つの原因であるようだ。

 

 舎音は小作人に対して、小作の期限を切る力があるので、絶対的優位にある。元来、朝鮮の小作は期限が定められないのが一般的であった。常識的には1年限りだが、駅屯土(旧王朝時代の官有地だが、すでに貴族・権勢家の私有地と化していた)の小作の決まりでは3年とか5年の期限もあったようだ。小作人はこのいつ土地を追われるか分からない不安定な地位のために舎音の機嫌をとり、付け届けや接待をしなければならない。「小作人は小作料、租税、公課等の負担の外に、舎音の報酬、検見の手数料、地主・舎音の饗応接待費、計量代、調整場の使用料、地主・舎音の住宅修理、掃除の手伝い、冠婚葬祭時の労働提供等の特殊な負担が存在した」(「旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程(上)」浅田喬二

 舎音の報酬は収納籾の1割、あるいは田地1反歩の無料耕作であるという。これらの特権、実入りの良さゆえに、舎音の株は高額で売り買いされたという。日本人新聞記者は「半島千余万の農民は常に精神的慰安を求むるに由なく猜疑と恐怖との裏に只これ舎音の歓心を繫ぐ事のみによって其の糊口を濡ほし、引いて農業百年の計は愚か、僅に幾年の計を以て之が改良を図る事すら不可能なる現状に逢着している」と書いている。(京城日報、1921(大正10)年、5月8・9日

 しかし、その舎音もまた秋収員に支配されていて、恣意的に任免される立場なので、これを接待し賄賂を贈らなければならない。

これらの制度は併合前、土地調査事業以前から行なわれていたもので、1918(大正7)年の土地調査事業完了以後には徐々に消えていったようだ。大正末期や昭和初期にはまだ上記のように秋収員や舎音の横暴を憂え、小作の期限を定めることの必要を訴える記事が見られる。

 ただ、舎音なくしては小作地の経営が成り立たないという一面もあり(これは苛斂誅求の下で農民が全く勤労意欲を無くし、また先の保証がない田畑では農事改良の意識も生まれようがなかった境遇が然らしめたものだ。ほとんど肥料も施さなかったようだ)、明治末期以降、日本人地主が土地を買って農場を作る場合などは舎音を雇用している。特に日本式の緻密な農業を導入し、細かな規則で小作人を使用するにあたって、従来のやり方とは一変するわけだから、農民に対する動機付けとして何らかの強制力が必要だったということかもしれない。

 昭和時代に入っても、日本人経営の農場で舎音が雇用されているが、中間搾取者の色合いは無く、経営の協力者、あるいは賃金で雇用される農業指導員のような立場に変化していたようだ。日本人農場「溝手農園」の舎音一覧の備考欄に、「従前ハ相当ノ暮シヲ成シ居タルモ、現今ニテハ普通」というような記述が複数あるのが、舎音の変化を物語っているだろう。

 

 以上、秋収員と舎音について見てきたが、気になるのは舎音の力で小作地が容易に取り上げられたという点である。小作人の立場の不安定さが強調されているが、一方で、次のような記述があるからである。

 「地主ガ自己ノ都合ニ依ルカ小作人ニ於テ背信行為無キ限リ小作ハ概ネ永年継続シタル…」(朝鮮総督府「朝鮮の小作慣行」1932)、「という報告のように、当時の小作慣習は小作農民に事実上の耕作権を保証していたのである」(「植民地権力と朝鮮農村社会」松本武祝、商経論叢第31号第2巻による。下線は筆者

 これによれば、小作人の耕作権がほぼ永小作として認められていたということであり、舎音の横暴によって任意に取り上げられたという記述と矛盾するのではないか。これは、日本が土地調査事業によって進めた「植民地支配」の中で、朝鮮農民の「耕作権を奪った」ということの前提になっているので明確にしておきたい所である。舎音の一部に悪質な者がいたというだけのことなのか、何か自分に見落としがあるのか。

 

 なお土地の所有権と耕作権(使用権)の問題はなかなか複雑である。だいたいが公地公民のような古代的土地制度から、近代的土地私有制度に推移して行く過程のことなので、日本の地租改正以上の難しさがあって当然だろう。

 次回以降考えていきたい。

 

〈参考資料〉

 朝鮮の小作制度について(一)~(四) 京城日報1922,12,13~1922年12,27

 日本人地主の植民地(朝鮮)進出―岡山県、溝手­家の事例ー森本辰昭(「土地制度史学」第82号)

 

【 追 記 】

 資料を見ていたところ、気になる部分があったので引用する。新字体・新仮名(平仮名に換えた。太字は原文では傍点、下線は筆者)

 京都大学学術情報リポジトリKURENAI「小作問題と朝鮮の小作制(下)」河田嗣郎『經濟論叢』1925)

 「所謂不在地主に至っては、小作地には舎音又は之に類似の管理人を置くを常とする。そして朝鮮には此の種の不在地主の多数なることは、前に之を述べた通りである。又此等の地主中には差人又は採傭軍なる者を自宅に常置し又は臨時に雇入れて自家の用を弁ぜしめ必要ある場合には舎音の許を巡回せしめ、又舎音と同じく小作地状況の調査や小作料の取立等のことを為さしむる者がある。又庫直と称する者を置て其任に当たらしむる者もある。そして此種の不在地主は地主として已に農事に疎く農民の利害に闇くして農事の改良を怠り又小作人を苦めることあるを免れ難きと共に、舎音其他の中間管理人が時状に無理解で、又小作人に対して誅求を之れ事とし、種々の弊害を生ずる場合多きは容易に之を睹得べき所である。尚お東拓の如きに於ては農監なる者を置きて舎音の為す任に当たらしめ、又秋収員と称して秋期地主に雇われて小作管理に従事する者もある。」

 「然し近来は地主中舎音の権限を縮小せんとする傾向が表われて来た。」

 「近事に至っては進歩せる農場や地主は漸次舎音及類似の者を廃止する方針を取るに至った。前に述べた東山農場の如きも其の廃止を断行したのである。」

 

 東拓つまり東洋拓殖株式会社では農監という者をおき、舎音と同様の役割をさせていたというのだが、次に秋収員が出てきて、一瞬これも東拓独自の役職かと読んでしまう。そこで別の論文も見てみた。

 

 (「東洋拓殖株式会社創立期の実態」北海道大学農経論叢第28集より引用)

 「次に小作人管理制度は従来の監官及び舎音といった前近代的中間搾取者を排除し、新たに主として検見、収納、優良品種の普及等の業務を補助するために朝鮮人小作農から選抜した農監をもうけ直接小作人を指導させるとともに、主要各地に出張所及び派出所を設け、社員が小作地の経営、管理にあたる一方、後に述べる如く日本人移民を農業地帯に配し、朝鮮人小作農を「励農」「刺激」し、日本式農法の普及をはかった。」

 

 『朝鮮の小作制度に就いて』京城日報1922.12、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

 「(旧来、口約束か覚書程度の文書で小作契約していたが)現今の所謂新式の小作契約書と云うものに漸次改められて行くようになったのである。試みにその一を左の例示する。

 侯爵 李完用家 農庄契約

 拙者儀貴農庄小作人と相成候に▢ては左記事項遵守可仕此段謹誓候也

 記

 一、小作料は秋収員の出到同時に相違なく納付すること

 二、水田は必ず秋耕を行い改良種を播くこと

 三、肥料は必ず二回以上を施用すること

 四、小作料を怠納し又は農耕時を失い土地を荒廃せしめたる時は小作地を

   取上げらるるも異議なかるべきこと

 五、以上の外一切舎音監督員の指揮に従うこと 以上

 年月日 小作人連名印

右は小作人より誓約を以てした侯爵家の処置に相応しい契約で期限の規定が無いが誓約第四項に違背せざる限り勿論永続である。」

 

 「農監」は東拓のもうけたものであるが、「秋収員」は別にあったものだろう。しかし、今のところ大正時代以前に「秋収員」を使用した例を見つけられていない。

 

 『東拓十年史』には、

 「小作料の収納を開始せるは明治四十二(1909)年秋にして当時に在りては在来の慣習に依り監官又は舎音なるものありて政府より出資を受けたる土地を管理し恣に小作人を変更し私利を営み収賄を為すあり。又中間小作人ありて土地を転貸し以て小作料の差益を利得するあり。且小作契約の内容区々に亙り土地の面積正確ならず量器亦一定せざりしかば小作料の調停及収納に就ては尠からざる苦心を要したり。(註一 監官及舎音は共に土地の管理其の他に就き斡旋に任ずる差配人にして其の宮庄土に於ける者は特に監官と称し其の他の土地に於ける者は通常舎音と称す)/爾来九閲年改良を要する旧慣及弊風の打破矯正に努むる所あり。監官舎音等の廃止、小作契約の改正、量器の統一、土地の実測等を行ふと共に一面に於いて土地及作物の改良、優良種子の普及、肥料の施用など農事の改善、小作人の指導及奨励に意を注ぎたる結果彼等をして土地愛護の念を生ぜしめ土地経営の成績大に挙り今や全く隔世の感あるに至れり。」

 「小作料の調停及収納は本社自ら之を行ふこと叙上の如しと雖も常時社有地に接して小作人を導き其の状況を審にし以て調停収納の正確を期せんが為には地方民中相当の信望ある者者を補助機関として利用するの必要あり。故を以て往事に於ける監官又は舎音の如き職権を与ふることなく主として検見、収納及優良種普及等の事務を幇助せしむる目的を以て信望ある鮮人を選抜して農監と名け土地経営上相当に之を利用しつつあり。然るに今や内地人農業者漸く全道に亙りて分布せられ永住の基礎を定めて地方状況に精通し人物信用共に確実なる者漸次其の数を増すの趨勢あるを以て此等をも農監として採用し鮮人農監と有無相通じ互に協力して小作人を指導せしむるは策の得たるものと信ずるを以て漸を逐ふて之を実行するの方針なり。」 (漢字を新字体に、カタカナを平仮名に直した)

 とある。