自作高校演劇脚本⑧『中庭のダイコン』

 

『中庭のダイコン』作・佐藤俊一

 

時  現代の秋 修学旅行後、一週間ほどの間の出来事

所  山形市にある某女子高校の中庭

登場人物 

   鈴木ひとみ(高校二年生)
   高橋かおり(高校二年生)
   佐藤あきこ(高校二年生)

 

1幕7場

初演 2008(平成20)年 山形西高等学校演劇部

 

 


   音楽
   幕開き(LO)

 

1場

 

   昼休みの中庭。一段高い植え込みの前に石のベンチがある。

   下手から弁当を持った制服の生徒が三人、楽しそうに入ってくる。

   二人が石のベンチに腰掛け、一人ははしゃいだ様子で枯葉をかき集めている。


ひとみ 葉っぱがいっぱいだー。


   ひとみ、立て掛けてあった竹箒で枯葉を掃く。石の上も。


かおり すごいねー。

あきこ 京都に行ってる間に、こんなに落ちたんだね。

かおり 京都は、まだ山、紅葉してたけど、こっちはもう枯れちゃってるもんね。

あきこ これさー、堆肥にしてなかった?小学校で。

かおり 花壇とか作ってたよね。高校は何もないから、堆肥つくってもしょうがないん

    だよね、きっと。

あきこ 「おたべ」、もう配った?

かおり ん、大体。「おたべ」じゃなくて「夕子」だけど。

あきこ あれ、中身おんなじだよね。


   植え込みの上で落ち葉をかき分けていたひとみが、何かを見つけた様子。

   枯葉の塊を抱えて下の二人に投げかける。


二人  わー! 何よ、これ!

ひとみ あはは!

かおり 笑ってんじゃなーい!


   二人も枯葉をすくってはひとみに向かって投げ上げるが、上と下では相手になら

   ないので植え込みに上がって行く。落ち葉掛合い戦争。


あきこ こーら!

ひとみ ごめんごめん! かんべんして!

かおり 何はしゃいでんのよ、もう。

ひとみ …だって、ここ来るの久し振りなんだもの。

あきこ たった一週間でしょ。

かおり さあ、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ。


   三人、下りてきてベンチに座り、弁当を開く。


三人  いただきます。

かおり でも、ほんと久し振りって感じだね。

ひとみ 寒くなってきたし。草も勢いなくなったね。

あきこ もう虫除けスプレーもいらないかな。

かおり 中庭のランチもあとどのくらい続けられるか。

ひとみ 楽しかった。

かおり 来年もやろうね。

ひとみ うん。また同じクラスになるといいね。

あきこ このカボチャ、おばあちゃんが煮たの。(と自分の弁当を差し出す)

かおり (箸でつまんで口に入れる)おいしいね。お袋の味だね。

あきこ おばあちゃんもね、頭はっきりしてるときは良いんだけどね。

    ダメなときは鍋焦がすし、危なくって。

かおり 大丈夫な内に、お袋の味教わっておいたら?

あきこ それはまずお母さんが受け継いでおくべきだよね。順序から言って。だけどう

    ちの母さん、習おうなんて思っちゃいないからね。

かおり だから言ってるのよ。あ、この卵焼き食べてみて。

ひとみ ありがとう。

かおり しっかしよく落ちたね、この葉っぱ。

あきこ この中庭、掃除しないし。

ひとみ 外掃除の割り当てないんだよね、ここ。

かおり 除草剤も撒かないもんね。

ひとみ 撒かない方が良いよ。自然のままで。

あきこ でも虫とか来るし。私ばっか、くわれるんだから。

ひとみ この辺は舗装してあるじゃない。

あきこ レンガの間から雑草生え放題だったでしょ。夏の間。

    二組さ、焼き芋するんだって、こんどのロングで。グランドで。

かおり 阿部先生いいよね。やってくれるから。

ひとみ うちのクラスだめだよね。まじめすぎだよ。

あきこ 話し合いばっかだもん。修学旅行の班決めだって、あんなに何回も話し合いし

    なくてよかったよね。

    もう、好きな人同士で勝手に班作って終わりなんだってよ。うちなんか、出席

    番号で分けようなんて言う奴までいたからね。

かおり 班の人数、みんな同じにしようとするからよ。二組なんか五人から一〇人まで

    あったんだから。

あきこ どうしたって余る人出るんだからさ、余りの班作るしかないじゃない。ね。

かおり それって、私たちのこと?

あきこ 三人はないか、やっぱり。


   SE カラスの鳴き声


かおり あ、来てる。留守の間、どうしてたのかな。


   かおり、上手に移動してカラスに弁当の残りを与える様子。


かおり ほら、ハシボソはああやって歩くんだよ。ハシブトは、スズメみたいにぴょん

    ぴょんはねるんだけど。鳴き声はハシブトの方がきれいだけどね。

あきこ ねえ。ねえ! カラス餌付けしてどうするの?

かおり かわいいじゃん。

あきこ え? どこが。あのカラス、こないだ雀を追い回していじめてたよ。かわいそ

    うじゃん。だいたいカラスなんて、ゴミ袋破いて散らかすし、朝から鳴いてう

    るさいし、真っ黒で気持ち悪いし…

かおり それって差別!

あきこ はあ?

かおり 偏見よ。黒いのがダメなら、パンダだってダメでしょ。

あきこ いやパンダは、いいでしょ。半分白いし。真っ黒だったらただの熊だけど。

    でも、なんでそんなにカラスにこだわるかな。

ひとみ 私も思ってた。なんで?

かおり 私、カラスになったことあるの。

二人  ええ?

かおり 夢の中で。

二人  あー。

かおり 空から、高いところから見てた。人が小さく見えて、何か…。

    人間だった自分がちっぽけでつまんない感じがした。

    カラスのときは、すぐ横に友達、っていうか身内っていうか、いつもいて、寂

    しくなかった。カラスはみんな強く結びついてる。そういうことが、よく分か

    ったの。

あきこ そうですか。前世はカラスだったんでしょうね、きっと。

かおり そうかもしれない。

あきこ まじかよ。

 

   ひとみ食べ終わって、ボトルからお茶を飲んでいる。

   植え込みに上るひとみ、空を見ている。


ひとみ あ、でてる。今日のはすごく長いなー。

あきこ 好きだよねー。

かおり それ、何が面白いの。

あきこ カラスよりはましじゃない。白いし。

ひとみ 好きなんだなー、飛行機雲。晴れてたら大抵見られるよ。すぐに消えちゃうの

    もあるけど、今日みたいに長いのはずーっと残ってて、だんだん幅広くなっ

    て、薄くなって、いつのまにか消えちゃう。

かおり へー。

ひとみ いっぺんに三本くらい見えることもあるし、最高は五本、見たことがある。

あきこ へー。

ひとみ それがさ、みんな、まるで別々の方角に伸びていって、出会うこともなくて、

    消えて行く…まるで、私たちの人生みたい。

二人  はー。


   二人も植え込みに登って来て空を見る。

   ひとみ、二人に場所を譲り、今度はしゃがんで地面を見ている。


あきこ わかる?

かおり 消えていくねー。…人生が。

あきこ あれ、それ何?

ひとみ え? 何?

あきこ あんたが見てるそれ、タンポポとかじゃないよね。何か白いの見える。

かおり 大根か、これ。石の間に挟まってるの。

あきこ ダイコン?

ひとみ …大根だね。

あきこ なになに、なんで大根生えてんの?

ひとみ あれ、ほら、よくあるやつじゃない。

かおり ど根性大根ってあったじゃない。

あきこ あったあった。

ひとみ アスファルトの隙間に生えてたの。

かおり なんでそんな所に生えたかな?

あきこ みんなで応援してたよね。「だいちゃん」て名前じゃなかった?

かおり そう、「だいちゃん」。あれ、誰か折ったじゃない。

あきこ そういう奴っているよねー。まじひどい。

かおり それで残った部分から培養してたんだよね。あれどうなったのかなー。

ひとみ それ、その大根折った人って、どんな気持ちだったのかな?

あきこ えー、ひねくれ者よ。皆にもてはやされるのをねたんで、自分が受けないのを

    憂さ晴らしすんのよ。

ひとみ そうかな?

あきこ じゃ何よ?

かおり もしさ、雑草が生えてんだったら、皆、抜くよね。

あきこ ていうか、気にしないし。

かおり 抜いても誰も悪く言わないよね。それが大根だと非難される。

あきこ 大根は雑草じゃないから。

かおり 差別よ! これは。雑草差別!

あきこ いや、あのね。雑草は無駄。邪魔だから。

かおり それが差別でしょ。

あきこ 大根は野菜で食べれるし、

かおり だったら、大根折って、煮て、食べてもいいことになるじゃん。

あきこ ええ?

かおり きっとさ、そういう、差別に敏感な人が折ったような気がするんだ、私。

    『なぜ大根だけをもてはやすんだ、雑草をバカにするなー!』ポキッ!

あきこ それひどいじゃん。大根に罪ないし。大根かわいそー。やっぱ、ただのバカじ

    ゃん、それ。

ひとみ んー、やっぱり折っちゃいけないよね…。

かおり ま、たかが大根ってことで。ひとみさ、第一発見者なんだから名前つけなよ。

ひとみ 名前?

あきこ そうね。「だいちゃん」に負けないの…。「ダイコング」なんて強そうじゃな

    い。

かおり 「おーね君」て、どう? 古文で読まなかった?「大根の恩返し」だっけ?

あきこ 「君」ってつくと、「せんと君」連想するなー。(枯れ枝で鹿の角を表現)

ひとみ いいよ、なんでも。それより、このこと、誰にも言わないでいよう。

かおり どうして?

ひとみ だってさ、教えたらみんな見に来るじゃん。

かおり 来て悪い?

ひとみ 来たら私たち、ゆっくりランチできないよ。

あきこ ちょっとの間でしょ。太くなったら抜いて食べちゃうし。

ひとみ 食べるの!

あきこ いや、ほっといたら腐るだけでしょ。野菜は食べなきゃ。

かおり おいしい野菜には虫がつくんだよね。虫が。

あきこ じゃこれ。


   あきこ、ポケットから小さなスプレーを出してダイコンに吹きかける。


あきこ 虫除け。

かおり なるほど。でも、ドク野菜になっちゃうような…。

ひとみ これさ、私たちだけの秘密にしようよ。

あきこ 私はいいけど。

かおり 私もいいわよ。誰かに引っこ抜かれたりしたら嫌だし。

ひとみ じゃ、三人で見守ろう。

二人  うん。


   午後の授業の予鈴が鳴る。


かおり 次の授業、誰だっけ?

あきこ 阿部先生。


   三人あわてて弁当を持ち、退場

   暗転


2場


   明転

   数日後、昼休みの中庭

   三人登場落ち葉を払って座る。いずれも疲れた様子。


かおり あーあ、疲れた。まだ月曜日だっていうのに。今週もたねーよ。

    ねえ、修学旅行のすぐ後の土曜日に模擬試験なんてあり得ないよね。

あきこ 当然のように、全然できんかった。はっはー。ひとみ、模試何で休んだの?

ひとみ 法事。

あきこ ほーじ?

ひとみ 弟の七回忌。命日は少し先なんだけど。

あきこ 弟、いたんだ。

かおり ひとみの四つ下だから、生きてたら十三歳。中一かー。

あきこ かおりは、ひとみと中学校、いっしょだったよね。

かおり 小学校から。一年生の時、ひとみが雨の中ずぶ濡れで歩いてるのを傘に入れて

    やって、家まで送って行ったの。

ひとみ かおりも半分濡れちゃって、家でお風呂に入っていったんだよね。

かおり そうそう。…たかしちゃん、ひとみの弟は、小学校入る前に亡くなっちゃった 

    から、私は会ってないんだけど。

あきこ 亡くなったの? なんで?

ひとみ 風邪ひいてさ、こじらして。っていうか、医者が悪いんだと思う。

    初め、風邪だって言って薬くれたんだけど、飲ましても良くならなくて、何

    か、うわごと言い出したりして。親が驚いてさ、おんぶして医者へ行ったら、

    「これはインフルエンザだ」って。

あきこ ええー。それはないでしょ。

ひとみ お父さんも怒ったよ。「なんで初めに検査しなかったんだ!」って。

    でも、弟、熱のでない質だったんだよね。初めは八度ぎりぎりくらいにしかな

    らなくて…普通インフルエンザだったら、ぱーって四〇度とか出るでしょ。

    県立病院に運ばれて、なんかいろいろやってもらったんだけど、死んじゃっ

    た。

あきこ ふーん、そんなこともあるんだ。かわいそうにね…。

    うちの弟なんか、あれ、あれ? なんだっけ、中国で流行った風邪みたいな

    の。

かおり 風邪みたいなの?

ひとみ 鳥インフル

あきこ あー、SARSだ、サーズにかかってもうちの弟、死なないと思うな。

かおり すごいね。不死身だね。

あきこ 毎日泥だらけ砂だらけで帰って来て、ガツガツ飯くって寝るからね。

ひとみ 野球部だもんね。強豪校だし。

あきこ 強豪校っていっても、なかなか甲子園行けないからねー。

かおり あきこ、弟と仲いいの?

あきこ ええ? あんな奴、人の大事にとってたアイス食べるし、喧嘩ばっかり。

かおり 仲良いんだね。ひとみの弟、可愛かった? 仲、良かった?

ひとみ …何だろ? ほとんど無関心だったって言うか、私自分のことでいっぱいで、

    弟のことなんか一つも考えてなくて、…姉らしいことも何もしなかったな。

あきこ 弟なんて、人生で最初に出会う他人だからね。

かおり え、そうなの! 私、弟いねからわかんね。

あきこ 「兄弟は他人の始まり」…「従姉妹はとこは」だったかな?

ひとみ 他人の始まり?

あきこ 兄弟は他人の始まり。でも、親子の関係は切っても切れない。

    嫁と姑はそもそも他人だから、表面では「おかあさん、おかあさん」とか言っ

    てても、陰では悪口の言い合い。

ひとみ それも怖いな。

かおり おっと、大根、大根。


   三人、植え込みに上る


ひとみ 無事に育ってるみたいね。

かおり でもどうしてこんな所に生えたんだろう?

ひとみ 鳥が運んで来たんじゃない?

かおり そうか、「権兵衛が種蒔きゃカラスがほじくる」ってか。

あきこ 私、これ持ってきたよ。

かおり CD? 英単語かー。何すんの?

あきこ カラスが突っつくといけないから、これぶら下げてさ、追い払うの。

かおり あんた、本当に、カラスに偏見持ってるね。

あきこ 塩も持ってきたよ。(大根の周りに分厚く撒く)

かおり 何? 魔除け?

あきこ ナメクジ除け。周りにまいといたら、ナメクジ来ても溶けちゃうでしょ?

かおり ははは、それいいかも。でも、大根、塩味になるんでね?

あきこ で、これが液体肥料アンプル。

かおり 買ってきたの?

ひとみ あんまりさ、余計なことしない方が良いんじゃない?

あきこ 余計なこと?

ひとみ 自然に任せておけば良いんじゃない?

あきこ 虫に食われたり、ナメクジに嘗められたり、カラスに突かれたりしても良い

    の?

ひとみ それがこの大根の運命だったらしょうがないじゃない。

あきこ しょうがないって…そんなこと言ってたら、農業成り立たないでしょ。野菜は

    人間が野生の植物を改良して作り出したものなんだから。

ひとみ 見守るだけでいいのに。変なことばっかりして。

あきこ 変なことって何よ、変なことって。


   たじろぐひとみ。


かおり まあまあ、まずランチにしようよ。


   三人、弁当を開く。いつものようにおかずのやりとり。


あきこ おばあちゃん、最近怖いんだよ。私のこと恐ろしい顔して睨むの。ちょっと

    さ、注意しただけなのに。「今日は新聞来ないね。忘れたんじゃないかー」っ

    て心配するからさ、「今日は新聞休刊日じゃない。忘れたの」って言ったの。

    昨日さ、おばあちゃん、自分で、「明日は休刊日だね、明日は休刊日だね」っ

    て言ってたのよ。

かおり まだらボケっていうの? それ。

あきこ 私のこと、殺してやりたいってくらいに、目がこんなにつり上がって。

    怖かった!

    あんなに優しくして可愛がってくれたのに、私のこと忘れてしまって…。

ひとみ …。

あきこ そん時はお母さんのことも分かんなくなってね。でもさ、お母さんは最初っか

    ら他人だから、おばあちゃんから忘れられても、悲しく感じないみたい。

ひとみ そうなの?

あきこ 血のつながった家族でもさ、あんなになるなんて…嫌だな。

かおり 誰でも年取ったらそうなるんだよ。

あきこ 私、あんなにならない。

かおり あきこのおばあちゃんだって、なる気でなったわけじゃないでしょ。

あきこ あんたらさ、自分でそういう目に遭ってみないと、私の気持ち分からないよ。

かおり そんなこと言わないでよ、もう。


   三人、弁当を食べ始める。おかずの交換。

   上から紙切れが落ちてくる(あるいは地面に落ちている)


あきこ 何? これ。誰?

ひとみ 上の理科室から落としたんじゃない?

あきこ (開いて読む)もしかして、カンペ?

かおり これ課題テストのじゃない?

ひとみ テスト前にまとめたんでしょ。いるんだねー、カンニングする子。

あきこ カンペって言えばー、中学のとき、見つかって口に入れて呑み込んだ奴いたっ

    けよ。男子で。

ひとみ えー、食べたの! 紙。

あきこ でも職員室連れてかれて、泣いてあやまったんだって。親も呼ばれてさ、ばか

    だねー。

かおり これ、こんな所に落としたらバレるじゃんねー。

あきこ 筆跡で? わからんでしょー。

ひとみ こんなの作る時間あったら、その分勉強すればいいのにね。

あきこ それ正論。だけどね、勉強しても分かんないから作るんでしょ。私だって作っ

    たことあるもの。

ひとみ 作ったの!

あきこ 作ったけどポケットから出せなくて。テストも赤点。あんな嫌な気分になるん

    だったら、堂々と0点とった方が気持ちいいわ。

かおり 「堂々と0点」か。(笑)


   SE 午後の授業の予鈴


かおり おーし、中村の英語だ。

あきこ あ、単語テスト、全然見てね。

かおり 気持ちよく0点!

あきこ いや、それは中村が許さんでしょ。


   三人退場

   暗転


3場


   明転

   翌日、昼休みの中庭

   ひとみ、登場。植え込みに上って大根を抜こうとする。

   あきこ、登場。


あきこ ひとみー、今日は飛行機雲見ないの。…何してるの?


   ひとみ、慌てて、CDを取る。


ひとみ これさ、いらないでしょ。目立つし、カラス来ないし。

あきこ 何勝手なことしてんのよ。

ひとみ 自然のままにしておこうよ。

あきこ だから自然のままで生き残れると思うの?私が虫除けしたり、肥料やったりし

    てるから残ってるんでしょ。

ひとみ 何もしないでほしいの。

あきこ はあ? もうわけわかんね。


   かおり遅れてくる。ひとみとあきこ、自然に座って弁当を開く。


かおり ごめん、遅くなって。部活のことで呼ばれちゃって。

ひとみ 昼休みに集めるのやめてほしいよね。

かおり しょうがないよ。

ひとみ かおりは私らと違って部活一生懸命だもんね。

かおり 一生懸命、か。試合も出られないのに。

ひとみ レギュラーなれそうだったんじゃないの?

かおり レギュラーなんて…。二年生なのに万年補欠、二年生で役付きでないの私だけ

    だし…。

あきこ 会計だったけどね。

ひとみ あきこ。

かおり …会計だったけど、お金無くしちゃってやめたし。

あきこ 盗まれたってはっきり言えばよかったのに。

かおり 置きっぱなしにした私が悪いんだから。

あきこ みんな、あんたを疑ってたじゃない。

ひとみ やめようよ。

あきこ あいまいな態度とるのが、一番良くないんだよ。

ひとみ かおりが悪いの?

あきこ そんなこと言ってないから。

かおり 今さ、私だけ呼び出されて、次から一年生でエントリーするって言い渡されち

    ゃった。

ひとみ えー。

あきこ やめちゃいなよ。部活がなんだっていうの。

かおり 気楽に言わないでよ。

あきこ あんなの、やりたい奴だけ、やりたいようにやってりゃいいんだよ。変に実力

    でレギュラー取ろうとか考えるから難しくなんの。

かおり あんたは実力あったのにさっさとやめたもんね。

あきこ 実力あったとしてもだめなの。人間関係なんだから。

    チームメイトが誰も私と練習したがらなくなったらどうする?

    やめるしかないでしょ?

かおり あんたんとこの部とは違うよ。

あきこ おんなじよ。

ひとみ やめようよ、もう。二人とも傷ついてるのにそんな言い合いしないで。


   少しの間、三人黙って弁当を食べている。おかずの交換はない。

   あきこ、その沈黙に耐えられないように立って植え込みに上り、大根の周りの草

   を抜きはじめる。


あきこ 抜いても抜いても生えてくる。きりがないんだから。私に意地悪してるんじゃ

    ないか、お前ら。

かおり あきこ、やめなよ。

あきこ 雑草、雑草。

かおり やめなよ!

あきこ 何よ。

かおり こないだ言ったでしょ。何で雑草は抜いて大根は大事にするの。

あきこ 大根が育たなくなるのよ。雑草育てて何になるの? カラスに餌やんのと同じ

    で意味無いでしょそんなの。

かおり たかが大根じゃない。ここは中庭で、あんたの畑じゃないの! 何やってんの

    よ、肥料やったりして。あんたこそ牛や豚かわいがって育てて、結局殺して食

    べるのと同じじゃない!何良い子ぶってるの? そんなの気持ち悪くって見て

    らんない。

あきこ ずいぶん言うわね。あんた、ほんとに大根と雑草の違いも分かんないの?

かおり …分かってるよ。成績の良いのが大根で、勉強できないのが雑草。

    部活のレギュラーが大根で補欠が雑草。

    美人が大根でブスは雑草!

    私は、雑草!

あきこ …。

ひとみ 「雑草という草はありません」!

かおり え?

ひとみ 「どんな草にも名前があり、精一杯生きているのです」…昭和天皇の言葉。

    ね、この大根のことでけんかしないでよ。私、悲しくなる。

あきこ (下りてくる)ごめんごめん。私がイライラしてたから。向きになっちゃっ

    た。かおり、ごめんね。

かおり 私もごめん。やだ、変なこと言って恥ずかしい。

ひとみ 大丈夫、大丈夫。

あきこ 雑草だって精一杯生きている、か。そりゃね、雑草の方が生命力強いからね。


   三人再び弁当を食べ始める。おかずの交換。


かおり あ、そうだ。明日から雪囲い作業で、中庭入れないんだよね。

ひとみ お弁当、教室で食べるのかー。

あきこ あ! 大根、どうしよう。

かおり どうって?

あきこ 作業の人来て、見つけるんじゃない。そうしたら…。


   あきこ、枯れ枝で大根の周りを囲い、メモを作る。


あきこ 「この大根、ラディー君は、生徒たちが育てています。決して取らないで下さ

    い」これでよし。

ひとみ 「ラディー君」って?

あきこ ひとみが付けないから私が付けてあげたの。ラディッシュからとったの。

    どう?

ひとみ 名前がどうとかじゃなくて…。


   SE 午後の授業の予鈴


あきこ あー、まだ食べ終わってないのに。

かおり ごめーん。


   あきことかおりの二人、急いで弁当を掻き込む。


ひとみ (二人の様子に焦って)次、中村先生だよ!

二人  「いやー。」(口がいっぱいでよくしゃべれない)


   三人、慌てて退場

   暗転


4場


   明転

   三日後、昼休みの中庭

   三人が入ってくる。少し遅れて入ってくるひとみの様子がおかしい。


あきこ あれー? どこ、雪囲いしたんだ?

かおり ここ、しないんだ!西側の中庭、あんなにがっちり雪囲いしたのに。

あきこ ほんとに見捨てられてるのね、ここ。

ひとみ あーあ、この二日、教室で食べるのしんどかったー。

かおり こんな、人々に忘れられた中庭でも、私たちにとっては掛け替えのない、憩い

    の場所だものね。

あきこ 私は別に教室でもいいんだけど。

かおり そうなんだ。

あきこ 私の愚痴を聞いてくれる人がいるからここに来てるのよ。

かおり はいはい。


   三人、弁当を食べ始める。


あきこ おばあちゃん、カラスに頭つつかれたって騒ぐの。もう、ぎゃあぎゃあ泣き喚

    いてさ。お母さんが頭見ても、傷も何もないのに。

ひとみ でもカラスに攻撃されるってよく聞くけど。

かおり それはね、子育てしてる巣の下を通ったりするとね威嚇するけど、今はそんな

    時期じゃないし、第一、飛んできて嘴でつつくなんてあり得ないから。

ひとみ 映画でさ、カラスが人間を襲うのあったじゃない?

かおり あれはカモメ。ヒッチコックの「鳥」でしょ?

あきこ 映画っていえばさ、私ビデオ撮ってるの。おばあちゃんの。

かおり 何で?

あきこ 元気なときのおばあちゃん、残しておこうかなって。

かおり それ、いいよ!

あきこ いつか、これ見て、ああ、おばあちゃんってこんなだったんだって、しみじみ

    したりするんだろうなー。なんか不思議な気がする。

    でも、どんなに変わっちゃっても、おばあちゃんはおばあちゃん。だよね?

かおり うん。

ひとみ (独白のように)ビデオって、昔のままで残るんだから不思議だよね…。

    こないだ、捜し物してたら、押入からビデオ出てきたの。

あきこ 何? 押入から? それって呪いのビデオ?

かおり あきこ、ヨウツベ見過ぎ!

ひとみ 昔お父さんが撮った家族のビデオ。

あきこ なんだ。

ひとみ 私の七五三とかピアノの発表会とか映ってるらしいんだけど。

かおり らしいって、見てないの?

ひとみ 親もずーっと見ないで放っておいたんだね。きっと弟が映ってるからじゃない

    かな。私も、なんか見れなくて、机の引き出しに入れてあるの。

かおり 親も亡くした子ども思い出すとつらいのかなあ。

あきこ あ、ラディー忘れてた。ラディーちゃーん。そろそろ抜きますよー。


   あきこ、植え込みに上る。ひとみも立ち上がる。


あきこ あれ?あー、折れてるっ、てか折られてる!


   二人も植え込みに上る。


かおり ああっ! 葉っぱがむしられてる。

あきこ 誰だーこんなにしたの。くっそー。カラス!カラスよカラス。

かおり 違うよ。これ、人間が取ろうとしたんだよ。見れば分かるでしょ。

あきこ 雪囲いの人かな。取るななんて注意書きしたのが、まずかったかな。

かおり 雪囲いの人来てないから。

あきこ かおり…。あんた、雑草の味方してたよね。

かおり はあ?

あきこ 自分が雑草で、大根を恨んでたでしょ。

かおり またそんなこと言い出すの?

    そうよ、こんな大根なんか消えて欲しかったわよ! 

    だけど、私がやったんじゃない! ね、ひとみ。…ひとみ?

    よくそんな落ち着いてられるわね。大根が折られてるのよ。

ひとみ 私。

かおり え?

ひとみ 私が折ったの、この大根。

かおり え? 何?

あきこ どういうこと。

ひとみ 私が、きのう、ここに来て、この大根を抜いたの。でもうまく抜けなくて、途

    中で折れちゃった。

かおり ひとみ。

あきこ だから、どうしてこんなことしたかって聞いてるの! せっかくここまで育て

    たのに!

ひとみ この大根はね、私がここに種蒔いたの。それが芽を出して育ったの。

かおり そんなこと初めて聞いた。どうして言ってくれなかったの?

あきこ 自分で蒔いて、自分で折るって、何それ?

ひとみ これ私の大根だから。私の好きなようにするの。

かおり ひとみ。

あきこ 私にあてつけてるの?

ひとみ 違う。

あきこ 私が大根の世話しているの見て、心の中で笑ってたのね。何が、ど根性大根

    あんたが一番、根性腐ってるのよ!

ひとみ …そうかも知れない。

あきこ 私の頑張りなんか、誰も認めてくれないんだ。もうやだ!

 

   あきこ、むちゃくちゃに弁当をしまう。


かおり あきこ!


   あきこ、走って退場

   ひとみも黙々と弁当をしまい始める。


かおり どうして? 何が起きたの?

ひとみ ごめんね。一番悪いのは私だから。


   ひとみ、退場


かおり  わかんねーよー!


   短い暗転


5場


   明転

   次の週、昼休みの中庭

   かおりとあきこ、二人だけで寒そうに弁当を食べている。

   マフラーなどしている。

   どちらからともなく植え込みに上る。


かおり 大根、黒くなっちゃったね。

あきこ もうだめかな。水かけてもだめかな。

かおり だめだね、もう。

あきこ 来年、また出て来ないの?

かおり 無理でしょ、芋じゃないんだから。

あきこ このまま腐っちゃうの?

かおり しかた無いでしょ。土に帰るってことよ。

あきこ こんな所に蒔かれなかったら、みんなと一緒にちゃんと畑で育って、スーパー

    の棚に並んでたんだろうね。

かおり でも君は立派に生きたよ。生きようとしていたよ。ここでもっと生きられた

    ら、きっと花を咲かせて種を作って…

    その種はまた鳥や風に運ばれて、遠い遠い所まで飛んでいったんだろうね。

    この世に大根が生まれてからこのかた、何千年だか知らないけど、この大根は

    その子孫で、何千世代という大根の命に連なっている。

    でも、君の命はここで絶たれてしまった。もう続いては行かない。君の子孫は

    もう生まれない。

あきこ かおり…。

かおり あ、私、変なこと言った?

あきこ んーん、違くて。かおり、大根のことすごく考えてるんだ。私、そんなふうに

    考えたことなかった。そうだよね、大根は種残すんだ。残さなきゃ大根絶滅す

    るよね。雑草だって同じだ。…人間も同じだ。

かおり みんな生きてることに変わりない。


   二人、もどって石のベンチに座る。


あきこ …ひとみ、来ないね。

かおり 教室でもしゃべらないし。なんか、お弁当、自習室で食べてるみたい。

あきこ 暗い奴だよねー。

かおり そんなのずっと前から分かってるじゃない。

    でもさ、ひとみは自分で思ってるほど暗くないし、優しい子なんだよ。分かる

    のに時間かかるけどね。

あきこ 私さー、たかが大根のことで言い過ぎたかなー。

かおり 「たかが大根」ですか。

あきこ うん。今思うと、何であんなに大根にかまってたのかな。自分でも不思議。

    「自分は大根だ」って、「自分は雑草と違うんだ」って思いこんでたのかな。

    大根か雑草かなんて、そんなのたいして違いがないのに…。

    かおり、ひとみなんとかして。連れてきてよ。

かおり どうするの?

あきこ 謝るっていうか…私が悪いわけじゃないからゆるすっていうか…でも何をゆる

    すんだっけ?

かおり あきこが育ててた大根を折ったことでしょ?

あきこ そう、それ。だけど、ひとみが種蒔いたのなら、あれはひとみの大根で、そし

    たら私は余計なことっていうか、ひとみに悪いことしてたのかも知れない。

かおり ひとみが何考えて大根の種蒔いたのか、それが分からないよね。

あきこ 大根のことはもういい。要するに仲直りしたいのよ。ひとみのこと放っておけ

    ないじゃない。

かおり 放っておけないよね。なんか、自分のことより気になるよね。私もなんだ。

あきこ そうだよねー。…ああ、それで私たち「中庭のランチ」してたのか。


   二人、顔を見合わせて笑う。

   暗転

   SE 雨音


6場


   別の日の放課後、雨の中庭

   ひとみ、中庭に来ている(外履きでコートを着、バッグを持っている)。

   傘(透明)をさして大根の所まで行く。大根を見ているひとみ。

   かおりとあきこ、同様にコートを着、カバンと傘を持って中庭への出口に登場


かおり ひとみ。…ひとみ。

あきこ ひとみちゃん!

ひとみ ?

かおり 何してるの。

ひとみ 別に…。

かおり もう、それ、生き返らないよ。

ひとみ 分かってるよ。

かおり あんまり引きずらない方が良いよ。

ひとみ 分かってるってば。

あきこ 私も言い過ぎたから。ごめん。

ひとみ …もういいから。

かおり 寒いでしょ。こっち入りなさいよ。

ひとみ いいから。

かおり 風邪ひくよ。

ひとみ …そうじゃなくて。ねえ、一人にしておいて欲しいの。分からない? 分から

    ないよね。人間なんてさ、人のこと本当は分からないんだ。分かってもらえな

    いんだ。

かおり ひとみだって、私の気持ち、分かってなかった!あきこの気持ちも。

ひとみ ! …そうだね。

かおり でも私、ひとみから離れようとは思わない。話せばきっと分かるから。


   かおり、中庭に出て来る。濡れながら、ゆっくりと、ひとみに近づく。

   SE 雨音、この間少し高まる。

   ひとみ、かおりに気づいて、驚きながらも傘を差し出す。二人、傘の中に入る。


ひとみ 風邪ひくよ。


   二人、微笑む。あきこ、傘をさして中庭に出て来て、二人を見ている。


かおり ねえ、大根抜いたの、なんで?三人で見守ろうって言ったよね?

ひとみ あんなふうに手をかけて育てるつもりじゃなかったから…。

かおり それでも、私たちに黙って抜くこと無いじゃない?

ひとみ たかしがね…。

かおり え?

ひとみ たかしが、近所の空き地の隅っこで大根見つけたの。喜んでさ、いっつも見て

    たの。その大根もやっぱり石の間に挟まってた。

かおり へえ。

ひとみ だんだん大きくなって本当なら抜いて食べるくらいになって、たかしが私に抜

    いてって言ったの。

かおり …。

ひとみ でもおっきな石の下にあるから抜けなくて。私、めんどくさくて、もう無理や

    り引っ張ったら、折れちゃって。

    たかし、大泣きしてね。でも私も気分悪くてさ、放っといたの。後で親からす

    っごく怒られた。

    その後すぐ、たかし、死んじゃった。

かおり ひとみ…。

ひとみ うわごとでね、「お姉ちゃん…」って言うの。それが私、「お姉ちゃん折らな

    いで」って聞こえて…。

かおり やめて。もういい。

ひとみ あんな所に大根が生えてひとりで大きくなるなんて奇跡。…たかしの奇跡を私

    がつぶしちゃった。

    その辺に種蒔いてもさ、全然生えてこないのが多いし、芽、出しても、虫に食

    われたり、病気になったりで、なくなっちゃう。もう一回、自然にあんな大根

    ができたら、今度こそたかしにやろうって、あちこちに種蒔いてたんだ。

あきこ たかしにやるって…。

ひとみ 一度くらい、姉らしいことしたかった。

    初めて大根育って、もううれしかったんだ。この中庭で奇跡が起きたんだっ

    て。でも、あきこやかおりには言えなかった。

あきこ どうして?

ひとみ たかしと私の問題だから、誰にも入ってきてほしくなかった。

    誰も知らないうちに、うまく終わってほしかった。

    でもやっぱりだめだった。やっぱり私にはできなかった。

    あのビデオも、ほんとは見るのが怖いんだ。

あきこ 何が?

ひとみ 私が、弟に無関心で、姉らしくないのが見せつけられそうで…。

    たかしがそんな私を嫌ってたらどうしようって…。

あきこ そんなこと考えてたの?たとえそうでも、もう過去は変えようがないんだから

    しょうがないでしょ。

ひとみ そう思うよ。思うけど…。

かおり ね、そのビデオ見よう。私たち、いっしょに見てあげるよ。

ひとみ え?

かおり 逃げていても、何にも変わらないんだよ。

ひとみ でも…。

かおり そうしよ。

ひとみ うん…。


   音楽

   暗転


7場


   ビデオが背景に映る。幼い姉弟がシャボン玉を飛ばしている場面。

   明転

   ひとみの部屋

   それを見ている三人


かおり これ、ひとみ?

ひとみ うわ、恥ずかしー。

かおり 何歳?

ひとみ 5歳くらいかな?

ひとみ クマのシャボン玉!これ、あったなー。

あきこ なんか奥の方に黒いのいるよ。何かの霊?

かおり あ、あれ、たかしちゃん? うわー、かわいいー。何見てんの?

    ほら、こっち、シャボン玉。

あきこ あはは! なんか面白い。


   しばしビデオに見入る三人。かおりとあきこの会話。

   ひとみ、涙ぐみ始める。


かおり (それに気づいて)ひとみ、どうしたの?やっぱり、見ない方が良かった?

ひとみ ううん! 見て良かった。ほんとに。見て良かった。


   ひとみ、泣き続ける。

   画面の中の弟は無心に遊んでいる。

   優しい音楽

   ゆっくりと暗転

   ビデオ、フェードアウト


8場(エピローグ)


   明転

   昼休みの中庭

   中庭にかおりとあきこがいる。

   二人ともコートを着、マフラーや手袋をしている。


あきこ 寒!

かおり 何だろね、中庭で遊ぼうって。

あきこ 体動かして暖まろうってか。

かおり ひとみも早弁してたのに、遅いね。

あきこ あ、そこの、レンガの剥がれてるところ良いかな。

かおり 何が?

あきこ 来年、三年生になったら、大根蒔くのよ。今度はちゃんと育てて収穫するぞ。

かおり まじで?

あきこ そこなら、五、六本できそうじゃない。

かおり それで? また塩撒いたり、虫除けスプレーしたりするのか?

あきこ 今度はちゃんと農業するから。カラスに突っつかないように言っといてよ。

 

   ひとみ、登場。


ひとみ あ、待たせてごめん。(熊型のプラスチック容器を出す)

    これ、やろうと思って。

二人  あ、それ。

ひとみ ほら。


   ひとみ、容器を両手でもって吹く。シャボン玉が飛び出す。


二人 わあ!


   三人、代わる代わるシャボン玉を飛ばす。

   ひとみ、二人の仲良く遊ぶ様子を見ながら植え込みに上る。大根の跡を見下ろ

   す。かおり、その姿に気づき、


かおり ひとみー、今日は飛行機雲出てる?

ひとみ (空を見るのは何日ぶりだろう!)あ! 蔵王が白くなってる!


   二人も急いで植え込みに上る。三人、押しくらまんじゅうのように体を寄せる。


かおり 雪だー。

あきこ 雪だ雪。冬だねー。


   音楽高まって

   幕

『悟浄』 漢劇WARRIORS

 

 

 

令和2年度文翔館創作公演事業

漢劇WARRIORS

 悟 浄 中島敦悟浄出世」「悟浄歎異」によるー

 山形県・公益財団法人山形県生涯学習文化財団主催/山形県芸術文化協会主管

 

 令和3年3月14日(日) 13:30開場 14:00開演 15:30頃終演

 入場料 1,100円  入場数 ざっと見120人くらい?

 

 

 中島敦の「悟浄出世」と「悟浄歎異~沙門悟浄の手記~」を舞台化したというので、一体どのようにしたのだろうと興味津々だった。原作には、映画やテレビの西遊記物のようなドラマは無いからだ(悟空の戦いの描写はあるが)。延々と語り手悟浄の独白と内面の吐露、自我についての思索が書かれているだけなのだ。それを身体的パフォーマンスを特徴にしている劇団が、どのようにこの作品を仕上げたのか。実に興味深いではないか。

 悟浄は妖怪のくせに字も読めるが気弱で、自分が何者であるかがわからない。天界では捲簾大将だったとも言われるが、その記憶は無い。悩んだ末に観世音菩薩の諭しにより、玄奘三蔵の力で水から出て人間となり、仏弟子となる。個性的な仲間たちとの旅は少しずつ孤独だった悟浄を変えていく。

 

 良くできていた。スタッフ面の充実が感じられたが、これは県の事業ということで受付などの係員も付き、予算面で補助が出たせいでしょうか。芝居についても、文学作品を土台にするという今までに無いやり方だったが、スマートで一応の成功を見せていると感じた。(一応というのはこれから下に書くようなことを考えたせいである)

 良くできていたのに、最後の幕が下りるとき、観客の拍手がすぐには起きず、ためらいがあったように感じられたのはなぜか。

 思うに、観客を舞台上の芝居に引き込む力、言ってしまえば「感情移入」の度合いの問題だろう。観客を「乗せる」と言っても良い。まあ、原作が地味と言えば地味なので、観客もなかなかついて行きづらいのだろうが、次第に引き込まれ登場人物に共感し(同化し)、心動かされるという、芝居の持つ効能?の部分では今一つだったかということだろう。

 悟浄の悩み、自分は何者であるかという疑問に、「我は捲簾大将なり」という解答を与えて解決しているようだが(失われた自我の回復?)、原作の本質は其処ではない。この芝居でも、進行していくうちに、どこかボタンの掛け違いがあるような微妙な違和感を覚えたのは、悟浄の本質である「自我の病」を癒やすのは悟空なのか玄奘なのかという本来の設定が、悟空の強さに憧れるという側面に傾きすぎたせいなのではないかと感じた。まあ個人的な感想に過ぎないが。

 

 舞台装置はシンプルに開帳場だけ。4×6の平台を6枚使い、幅4間、斜面1間、奥の高さ2尺1寸になっているようだ(上下に3段の階段が作ってある)。全面に灰色の布が掛けてある。この、平台で開帳場を作る場合の斜めに固定する方法はやったことがないので良く分からない。奥には幅2尺の平台があり、間口全体を歩けるようになっている。大道具は山形綜合舞台サービスが担当。

 この舞台は間口が狭く、奥行きも無く袖も狭いので、出入りが上下の第一袖幕になる。そのため単調な出入りになってしまうのは如何ともし難い。それ以外は開帳場とその前の空間を上手く使っていたと思う。4人が旅するシーンなど良かった。

 照明はさすがにプロがやると違う。シーン毎のライティングは良く状景を表現している。また、LED照明になって電力に余裕ができたせいか(知らんけど)灯体数も多く使っているようだった。色合いも違う。フォローも使っていた。

 このホールは、大臣柱から客席側への壁が大理石でピカピカなので、客席からは舞台がきれいに写って見える。気になるのだろう、黒幕で覆ってあった。

 第一部(「悟浄出世」の部分)の舞台は流沙河の底。大黒幕を引き、暗い照明とスモーク。青野耕平が一人芝居で妖怪たちを演じ分ける。一部、黒子(歌舞伎の黒子そのまま)二人が悟浄の心象表現をしているようだった。

 第二部(「悟浄歎異」の部分)は、ホリゾントを見せ、明るい舞台。空の表現、流れ雲あり。悟浄は第二部では一人のキャラクターを演じるので衣装を換える。もっと劇的に換えてもよかったかもしれない。第一部をモノトーンにするとか。登場人物はお馴染みの衣装で、小道具も含め良く作ってあり、違和感が無い。(八戒の背負うのは柳行李だっけ?)

 

 悟浄はもっと陰気な奴かと思っていたが、読み直してみると原作でも意外に太い?ところがある。虚無的になりきれない、人の良さが感じられる。ただ、20㎏の減量が必要だったように、青野の福々しい体型と人の良さ丸出しの面相はちょっとズレている気がしないでもない。第一部はもっと険しく内省的で孤独な感じで、第二部は仲間と師を得て落ち着き、笑えるようになる、というような変化がもっと感じられたら良かったかも知れない。

 悟浄は、孫悟空の、世界と隙なく一致して何の迷いも無い純粋な存在であることと、玄奘三蔵の全く無防備ながら内面に持つ清浄かつ柔和な強さと悲劇性に惹かれている。

 今回の舞台では悟空(佐藤陽介)の造形は良くできていて、悟空とは斯くもありなんというくらいだった。ただ玄奘についてはその弱さ、優しさそして強さが表現しきれなかった感がある。第一部最後での観音様の台詞を玄奘に再び言わせてしまったのは、まあしょうがないにしても、若くてカッコいい王子様みたいに見えてしまった。これは脚色・演出上のことで役者のことではない。

 悟空がアクションを見せる時間を、玄奘の遭難エピソードに割いて、もっとその弱さと優しさの表現に用いたなら、悟空とのバランスが取れたかも知れない(妖怪たちに襲われている場面で、悟浄にばかり目が行って、玄奘に注目できなかった所為もあるだろうが)。悟浄は、悟空から学びはしても悟空そのものになりたいのではなく、己を捨てて玄奘に従うことにこそ生きる道を見出したのだから(劇中で「俺はお前になりたいのだ」と言わせてしまったけれどね)。

 悟浄が食った九人の僧侶が玄奘の前世だったというエピソードは原作には無い。そもそもの「西遊記」にはあったものか、或は脚色者が加えたものか? 後者であれば、悟浄の内省にそこまで因縁を持たせなくても良かったかも知れない。

 悟能八戒についてはダブルキャストで、自分が観たのは高橋だが、達者だった。ただ食いしん坊の表現の中に、妖怪の不気味さが垣間見られたら(原作でもちょっと触れている)もっと引き立ったかも知れない。

 

 と、いろいろ書いたが、総じて良くできていた。結成以来13年目の漢劇WARRIORS、ずっと観ているが、時代劇から現代劇まで、コメディーからシリアスまでこなせる力量を備えている。だんだん年取るけれど、その時の自分に相応の芝居をしていってほしい。 

 お疲れ様でした。

1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)番外 4

 『旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程』(浅田喬二1965)を読んでいてギョッとした所がある。

 

 引用開始

(二)「日韓併合」後における日本人の地主化過程

 2 日本人地主化の社会経済的背景

 この「土地調査事業」の内容は、(ィ)土地所有権の調査、()土地価格の調査、()地形地貌の調査の三つであるが、このうち、主要なそして緊急な調査は申告主義を基調とする土地所有権の調査であった。土地所有権の確定調査は従来収租権の保有者であった朝鮮の貴族・官僚の封建的な占有地を私有地として法的に確認し、これらの階級を日本帝国主義の支柱としたのであり、さらに宮庄土・駅屯土・未墾地・干潟地・旧公田の大部分八百八〇万町歩を「国有地」に編入した

 引用終了

 

 「八百八〇万町歩」とは!  朴慶植の「公田一〇〇万町歩」に驚くどころではない。

 すでに「1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)その7 - 晩鶯余録」で書いたように、朝鮮の国土面積は2,225万5,160町歩、所有者確定の総耕地面積は487万町歩、その内耕作面積は450万町歩であり、国有地は27万町歩だったのだから「880万町歩」(国土面積の39%)などあり得ない。

 根拠となる引用元を見ると『朝鮮民族解放闘争史』(朝鮮歴史編纂委員会編、昭和27年)とあるが、今のところ読むことができないので、どんな一次資料に拠ったか不明である。転記の誤りではないようで、相当に実証的な論文なのに、このように検証しないままの不注意な引用があったのは残念である。

 後日追記 2024年2月8日

 国立国会図書館デジタルコレクションで読めた。『朝鮮民族解放闘争史』第四章第一節「日帝植民地統治の第一期」(金承化)である。引用してみる。

 「日帝はこの土地掠奪過程において、宮庄土・駅屯土・未開墾地・干潟地・旧公田の大部分すなわち八、〇八〇一、五一三町歩をいわゆる「国有地」にし、その外軍用地・鉄道用地・または住所不明地・其他各種の名目をつけ夥しい土地を直接掠奪した。」

 根拠となる資料は示されていなかった。

 

1945年8月15日以降における韓国の農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)番外 3

 そろそろ土地調査事業の結果生じた「朝鮮農村の変化」について書き、1945年以降に移りたいのだが、ちょっと触れておきたいことがある。

 東洋拓殖株式会社から日本人入植者に渡った土地(農地)はどれ程だったかをまとめておこう。

 主として『東洋拓殖株式会社創立期の実態』(大鎌邦雄1972)に拠った。

 

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                紛争地調査の様子 「総督府土地調査事業報告書」より 

 

 東洋拓殖株式会社の設立は1908(明治41)年。出資者は日韓両政府、皇室や韓国帝室が主であった。旧韓国政府からは6,000株、300万円の出資があり。これを田畑各5,700町歩(計1万1400町歩)の現物で出資することになった。これは駅屯土の収入の17倍半で算定したという。17年半分の小作料収入相当額ということだ。日本の地租改正による地価は年収の8.5年分だから、その倍以上に査定したことになる。

 1908(明治42)年、第1回払込額75万円を「駅屯土宮庄土十万町歩ノ中二就キ将来事業経営上最有利ニシテ且優良ナル部分ヲ選定シ田畑各一千四百二十五町歩ノ引渡ヲ受」けた。下線部は当時の等級として上田を選んだということか、あるいは下田でも日本人の観点から将来性を判断したということか。

 第2回以降の分は、払入期日まで「小作料実収額ノ八割」で貸借することになった。

 

 実地調査の結果、畑は管理上不便ということで(何が不便か良く分からないが)水田に交換。結果、田7137.8町歩、畑2793.8町歩、合計9,931.7町歩(若干減)となった。
 ところが、その後の土地調査での実測により、正確な面積を算定したところ、水田1万2522.8町歩、畑4,908.7町歩、雑種地282.4町歩、合計1万7714町歩となった。

 全体的に言えることだが、量案上、斗落・日耕という単位で計測したものには相当の誤差があったこと、隠結が多かったことによる増加である。土地調査事業着手当初、全国で272万余町歩と予想された耕地面積が、実測の結果433万余町歩となった(59%増)のに比べれば、78%の増はかなり多いが、特に駅屯土には隠結が多かったということかもしれない。結果的に東洋拓殖側がずいぶん得したことになる。

 

 この他に、東洋拓殖が自前で買収した土地があり、1909(明治42)年に3,248町歩、翌年6,220町歩、翌々年1万4475町歩を入手し、社有田は1万8763町歩になった。しかし地価が3.7倍に急騰したこと、土地略奪という浮説の流布から東拓の非難もあり、土地買収は1913(大正2)年に中止された。累計4万7148町歩になっていた。

 これらを合わせ、1913(大正2)年の社有田は4万7000町歩社有地は6万5000町歩あった(田畑の他に宅地、山林、雑種地を含む)。次第に土地が増え、1931(昭和6)年には社有田6万3473町歩社有地12万3565町歩になっている。

 東拓が地主である土地を耕作していた小作人は、1918(大正7)年には15万人(社有田5万町歩、単純平均3反3畝)、1937(昭和12)年で7万8667人とあるから、単純に昭和期の東拓所有田を7万町歩とすれば一人当り9反近くになる。(駅屯土時代の小作人数で単純計算した4反の倍以上、大正期の2倍以上である。不良小作人を排除するなどして小作人が相対的に減ったせいか?)小作料は物納(籾)で、定租と執租であった。

 

 一方で1910(明治43)年から、内地からの農業移住者を斡旋、1917(大正6)年までで累計3,021戸が入植した。自作農を主としそれぞれ2町歩以内の農地を年利6分、25年の償還で貸付けたが、戦後まで耕地の所有名義が東拓だった者もいるようで、償還を終え完全に自分の物にするのは大変だったようだ。日本人に売る土地の価格が高いという点も、募集に対する応募者の少なさ(半分から4分の1)の原因だった。途中で帰国してしまう場合もあった。2町歩を3,000戸で単純計算すれば6,000町歩になり、これが移住事業で日本人に与えられた土地となる。『東拓十年史』には「六千二百六十四町歩二達セリ」と記してある。田5,633町歩、畑630町歩という内訳である。

 日本人移住者自体は1910(明治43)年で14万人、1917(大正6)年で33万人だったから、他の業種に比べて農業従事者が少なかった(1924(大正13)年で11.3%)のだ。ただ、自作農でなく地主となって農場経営をする場合もあった。彼らは各自土地売買によって地主となった。日本に比べ田畑の地価が安く、得だったからだ。多くは金貸し業で借金の形に手に入れた場合が多かったようだ。

 

 『東洋拓殖による農業入植者地の立地特性』(轟 博志 2010)によると、

 「2町歩の所有のまま終戦まで推移する場合はむしろ少数で、個別に多様な変化を見せる。周辺の土地を買収して規模を拡大する場合、さらに大地主となって小作人を雇い「農場」を形成する場合、現状維持とする場合、土地台帳から名義が消えて「消滅」する場合など、たとえ同じ出身地から同じ団体を結成して移住した場合でも、土地所有の変遷は十人十色である。」「東洋拓殖では入植者が耕作規模を拡大する場合に融資や社有地の斡旋を行っていた。通常入植地周辺には東洋拓殖の所有のまま地元農民と小作契約を続けていた農地が豊富に存在したため、そうした土地が対象となった。また、一部の入植者は地元の朝鮮人や日本人からも直接土地を譲受していた。」「彼らの中にはソウル(京城)など大都市に転居し、不在地主となった場合もある。一方で「消滅」した場合は、何らかの事情で内地に戻ったり、都市部などに転居・転業した場合と考えられる。」

 

 こうして東洋拓殖が行った拓殖移住事業は挫折し、日本人入植者に与えた農地は意外に少ない面積でしかなかった。もっとも最初に駅屯土を出資金として譲られたときも、そこで代々耕作する小作人がいたわけで、彼らとの契約を打ち切らなければ日本人に売り渡すこともできなかった。日本人入植者は荒蕪地を開拓するより、すぐに耕作可能な土地を希望した。

 品種改良、農地改良に貢献した東洋拓殖だが、この後、金融面に事業を移して行く。

 

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      上は第4回移住民の釜山港上陸、下は全羅南道の第2回移住民の家 「東拓十年史」より

 

 日本人の土地収奪という根拠には、土地調査事業中に地主からの申告が無く、無主地として接収した土地が2万数千町歩あり、これを総督府が日本人に払下げたため、30万人の朝鮮人が土地の所有権、耕作権を失ったということがある。これが後々まで恨まれる原因となったということだ。なぜ申告しなかったか。理由は様々だろうが、彼ら地主(両班層)が文盲だからできなかったというわけではないだろう。

 

 終戦時、米軍によって東洋拓殖会社は解散させられ、新に設立された「新韓公社」がその土地を管理した。直ちに農地解放はせず、小作料を3割に下げて地主制度を継続した。米軍が接収した土地は32万町歩とも38万町歩ともいう1942(昭和17)年に日本人が所有していた土地は41万7094町歩というから、終戦直後、米軍進駐までの3週間に朝鮮人に投げ売りした土地が多いと思われる。この辺も「親日派の財産」ということになるのだろうか。

自作高校演劇脚本⑦『チョコと洋燈と池の鯉』

 


『チョコと洋燈と池の鯉』 作・佐藤俊一


時    現代。季節は秋。十~十一月頃

所    日本のある町のある家庭・学校・病院

登場人物 佐藤ユキ(高校二年生)
     佐藤サエ(その母 四十歳)
     ウタ(その伯母 四十二歳)
     マイ(その友人高校二年生)
     アヤ(その友人高校二年生)
     看護師(二十代)
     菅井(先生 三十歳)

一幕十場

 初演 2007(平成平成19)年 山形西高校演劇部

 

 


Ⅰ場


    客電落ち、音楽が入る。(SEめざまし)

    幕上がる。(LO)舞台上は普通の家庭。

    早朝である。ユキが目を覚まし、起きてくる。


ユキ  …あ、チョコ、いないんだっけ。


   近くにあった犬の首輪と綱を手に取る。

   匂いをかいでみたりする。


ユキ  チョコの匂いがする。


   自分の足首に首輪をはめてみる。


ユキ  チョコ、いないんだ…。


   そのまま首輪の紐を手にしながら茶の間に歩いていく。

   犬を散歩させているような感じ。

   茶の間には食卓(坐卓)があり、朝食の用意が半ばできている。

   台所にサエがいる。

 

サエ  起きたの?

ユキ  うん。…いつも散歩してた時間に目が覚めちゃった。

サエ  (ユキの足の首輪に気付いて)何、それ。どうしたの?

ユキ  なんとなく。

サエ  大丈夫?

ユキ  何が?

サエ  ペット・ロス。

ユキ  ああ、どうかなー。私、ペットロスかー。ほとんど家族だったもんなー。

    家で生まれたんだよね、チョコ。

サエ  五匹生まれて、他はもらわれてって、チョコだけ残っちゃった。母犬がすぐ死

    んじゃったから、母さんが育てたの。あんたの弟みたいなものよ。

ユキ  弟って言うか、もう、おじいちゃんだったけどね。十二歳。

サエ  最近は年のせいもあったんだろうけど元気なかったね。でもね、母さんが買い

    物に行くのについてこようとするんだよ。寂しかったんじゃないかな。あなた

    が小学生の頃は早く帰ってきて遊んでくれたんだけどね。

ユキ  高校に入っても、朝、ちゃんと散歩に連れて行ってたでしょ。帰りが遅いのは

    部活なんだからしょうがないじゃん。できるだけいっしょにいてやったつもり

    だけど。

サエ  チョコの方があなたといっしょにいてくれてたんじゃないの?

ユキ  ええー、どうかな。

サエ  ご飯にするから、顔洗ってきなさい。


   ユキ、洗面所で顔を洗ってきた様子。足の首輪を外して元の場所に置きに行く。


ユキ  でもさあ、ペット火葬って、車で焼くのもあるんだね。火葬の出前があるって

    初めて分かった。


   ユキ、小さな箱を手にとってもどる。


サエ  チョコの母犬のときはゴミ処理場に持って行って、ペット用の焼却炉で灰にし

    てもらったんだけどね。

ユキ  (箱を開けて)こんな白い灰になっちゃうんだ。

サエ  どうする? やっぱり庭に埋める?

ユキ  うん。チョコのお母さんといっしょにしてあげようよ。

サエ  そうね。…あそこ掘り返したら、灰残ってるかしら?

ユキ  お父さんのお骨って、仙台のお墓に入れたんだよね。

サエ  お父さんの実家だもの。さあ、これ持ってって。

ユキ  (箱を戻し、朝食の配膳を手伝いながら)私たちはどこのお墓に入るの?

サエ  母さんの実家のお墓は、ウタちゃんが墓守りしてるから、母さんはそこに入れ

    てもらうつもり。けど、ウタちゃんも独身で子どもいないし、ゆくゆくはどう

    なるのかな。

ユキ  どうなるって?

サエ  あなたは結婚して、死んだら、旦那様のお墓に入るでしょ、私と違って。そし

    たら実家のお墓見る人がいなくなっちゃうじゃない。

ユキ  両方見たら?

サエ  いろいろ大変なのよ。


   このへんで朝食の支度が出来、二人、座って食べ始める。


ユキ  私が死んだら、お母さんが私を焼いて骨にしてお墓に入れるのね。

サエ  何、バカ言ってるの。

ユキ  それとも…。

サエ  これから手術するのに嫌なこと言わないの! 人間死ぬときは死ぬ。それだけ

    のことよ。死んだら自動的に進んで、火葬場も流れ作業ですぐに終わっちゃ

    うの。お父さんの時もそうだったでしょ。

ユキ  そうだっけ? あの頃のことよく覚えてない。

サエ  母さんの実家にいたからでしょ。母さん、お父さんの入院に付き添ってて、か

    まってやれなかったから。

ユキ  それは覚えてるよ。

サエ  寂しい思いさせたんだね。

ユキ  おばあちゃんが優しかったからそうでもなかったよ。ウタさんもいたけど、勤

    めてたから帰りが遅かったんであんまり話したりしなかったけど。

サエ  ウタちゃんね、母さんの入院中、家に来てくれるから。

ユキ  え? 来るって、何しに?

サエ  何しにって、あなた一人じゃやってけないでしょ。

ユキ  えー、やだなー。

サエ  部活して家の事してたら、勉強する時間なんてないんだから。お母さんが一週

    間検査入院しただけで、中間テストあの結果でしょー。だからウタちゃんに手

    伝ってもらうのよ。

ユキ  ウタさん、変わってるから話しづらい。毎日通ってくるのも大変じゃん。

サエ  家に泊まってもらうの。

ユキ  えー、やだー。せっかく一人でいられると思ったのに。

サエ  母さんの部屋に寝てもらうから。

    ご飯とか洗濯とかみんなしてもらうから安心よ。

ユキ  ヘルパーみたいじゃん。自分のものくらい自分で洗濯するよ。

サエ  あら、いつもは嫌がってしないくせに。ゴミ出しの曜日とか細かいことは、あ

    なたから教えてあげて。一回来てもらって私から教えるのがいいんだろうけど

    今、旅行中だから。

ユキ  また?

サエ  二十年以上勤めてたんだから、いいじゃない。ずっと忙しかったし。

ユキ  今度はどこ?

サエ  北海道。

ユキ  修学旅行で行くとこじゃん。話聞いて事前学習にしようかな。

サエ  いいんじゃない。


   少しの間、無言の食事が続く。


ユキ  ねえ、入院って、一ヶ月だっけ。修学旅行と県大会と重なるかな。

サエ  検査と準備で一週間、手術後が二~三週間。経過が良ければひと月で退院。修

    学旅行中はまだ病院ね。病院にいた方が、家にいるよりゆっくり出来るかな。

ユキ  …ガン、取っちゃったら治るんだよね。

サエ  治すために取るんでしょ。

ユキ  そうだよね。

サエ  母さんの部屋のさ、タンスの抽斗に、通帳とか判子とか、大事なものあるか

    ら、あとで教えるね。

ユキ  大事なものって?

サエ  家の権利書とか保険の証書とか。

ユキ  いいよそんなの。

サエ  よくないでしょ。母さんの留守中はあなたがこの家を守るんだからね。

ユキ  いないの一月だけでしょ。

サエ  お母さんに何かあったら、家のこと何にも分からないでしょう。

ユキ  あ、心配してるんだ。やっぱり。

サエ  万一ってこともあるから言ってるの。まじめに聞きなさい。

ユキ  まじめに聞いてるよ。でも、万一なんて言わないで。絶対上手くいくよ。

サエ  あんまり子ども扱いし過ぎたかな。もっと早くからいろいろ教えておかなきゃ

    いけなかったのかな。

ユキ  治ったら教えてもらうから、今はいいって。ごちそうさま。

    (と片づけはじめる)


   二人、食器を片づける。

   暗転


Ⅱ場


   下手のみ明転。朝、学校の場面(机と椅子)。

   マイとアヤが話しているところに菅井先生がやってくる。


マイ・アヤ おはようございます。

先生  おはよう。マイさん、班長だったわね。修学旅行の班別行動、計画書、今日中

    に出してね。

マイ  はい。

先生  もう旅行の栞の印刷、間に合わなくなっちゃうから。

アヤ  研修係が放課後すぐ帰るから、話し合いできなくて。

マイ  アヤだって休んでたじゃん。ユキが研修係なんです。

先生  ユキさんか。お家でいろいろあったからね。でも班長さんの責任でお願いしま

    す。よーく考えて、今日中ね。

マイ  はい。

先生  それから、アヤさん。中間テストの答案、取りに来て。職員室。

アヤ  は~い。


   菅井先生去る。下手よりユキが登場。


ユキ  おはよう。

マイ・アヤ おはよう。

マイ  班別行動の計画さ、こんなので出そうと思うんだけど。

ユキ  あ、いいよ、それで。

マイ  見てよー。(と、紙をユキに押しつける)

アヤ  小樽のさ、見学、長過ぎない? 札幌いたほうがいいんでない?

マイ  札幌はホテルに泊まってるんだから、ちょこっと行けるでしょ、どこでも。

ユキ  小樽、早めに切り上げて札幌に戻るのもありじゃない?

マイ  電車がうまくあればね。じゃあ、小樽飽きたら臨機応変で対応することにして

    これで出すからね。

アヤ  じゃ、私職員室に行ってくるから。

ユキ  何?

アヤ  テストもらい、古典と数学。

ユキ  行ってらっしゃーい。


   アヤ、下手に去る。


マイ  数学どうだった?

ユキ  赤点。

マイ  お母さんが入院したり、チョコが死んだりで大変だったからねー。

ユキ  それもあるけどね。もともと分からないんだから、少しくらい勉強しても変わ

    んないと思うよ。でも、マイはいいよねー。

マイ  私は勉強してるから。

ユキ  うわ。

マイ  …お母さん、手術するんでしょ。

ユキ  うん。大腸ガン。

マイ  …そこまで聞いてないから。

ユキ  ガンていったって、小さいし、良性らしいから。なんも心配ないよ。今度の日

    曜に入院。

マイ  そう。…親のことってさ、私たち意外と鈍感じゃない。病気とか、すぐ治るよ

    って感じで。親を看取るって一生に一度のことなんだよね。練習ってできな

    い。そう考えるとさー、今のうちに親孝行しなけりゃって思うんだよね。

    思うだけなんだけど。

ユキ  へー、そんなこと考えてるんだー。やっぱマイは違うよね。

    私ってさ、なんか、自分のことしか考えてなくて、他の人にいろいろしてもら

    って、それで生きてて、それでそれが当然と思ってて、ね、何か嫌な奴じゃな

    い?

マイ  何、それ。どうしたの?

ユキ  チョコもさー、餌やるのはお母さん。散歩もさー、結構私さぼってて、お母さ

    ん風邪ひいてても怪我したときも散歩に連れてったんだよ。途中で雨になって

    ずぶ濡れになったこともあったし、犬小屋の掃除もしたし、お風呂に入れるの

    もお母さんがやってた。私は親身になって世話したかしら? 私、ほんとうに

    チョコのこと愛してたのかな。ただ可愛がってただけなんじゃないかな。

マイ  可愛がってもらったら、うれしいに決まってるじゃない。悪いことじゃない

    よ。先週だっけ、私が最後にチョコと会ったの。

ユキ  うん、動物病院に連れてった日だね。もう少し早く看てもらったら良かったん

    だけど。お母さんの入院もあったしね。それで、もう今日明日だって言われ

    て。

    だけど、チョコが死ぬとき、私、そばにいなかったの。カラオケで歌ってた。

    私がチョコだったら、死ぬときに看取ってくれないなんてひどい飼い主だって

    思うだろうなー。もうトラウマだよー。

マイ  …チョコはね、あの時あなたにありがとうって言ってたの。自分がいなくなっ

    ても寂しがらないでって言ってたの。

ユキ  …そうなの? マイ、犬の言葉が分かるの?

マイ  そうじゃなくてー。別にワンとか言わなくても目を見てると気持ちが通じる時

    ってあるじゃない。

ユキ  テレパシー?

マイ  そんなもの? かな。だからさ、あんまり気にしない方がいいよ。

ユキ  そうかな。


   授業開始のチャイムが鳴る。二人、慌てて下手に去る(か、机に座る)。

   暗転


Ⅲ場


   SE病院の音(患者の呼び出し等)。続いて上手のみ明転

   上手に病院の場面。最低限、椅子と小テーブルがあればよい。

   サエが看護師に先導されて来る。


看護師 こちらが病室になっています。トイレそこに付いてますからね。ちょうど空き

    が出て、お待ち頂かなくてよかったですね。どうぞお座り下さい。

サエ  はい。(と、荷物を下に置き、部屋を確認する様子)

看護師 テレビと冷蔵庫はいっしょのカードになってますから、待合室の販売機で買っ

    て下さい。じゃ今、入院の書類持ってきますから。(と、去る)


   サエが座っているところへユキが入ってくる。


ユキ  ここね。わあ広い。ハイお茶。(と、ペットボトルを手渡す)

    なんだ、トイレ付いてるんだ。

サエ  個室高いけどねー。お父さんの時、最初六人部屋で大変だったから…。もう若

    くないし、人に気を遣うのも疲れるから。

ユキ  この方が早く治るよきっと。

サエ  そうね。(笑)

    明日からウタちゃん来てくれるから、今晩と明日の朝は自分で食べてね。

ユキ  大丈夫、心配しないの。今日、旅行からもどるんだっけ?

サエ  こないだ、入院の日を教えた時はそう言ってた。なんか江差の方、回ってくる

    って。

ユキ  江差ねー。何か観るものあったかな。ニシン御殿?イワシだっけ?

サエ  知らないわ。北海道行ったことないもの。


   看護師、書類を持って入ってくる。


看護師 佐藤サエさん。じゃこれに必要なこと書いて、後で結構ですから入院窓口に出

    して下さいね。

    じゃ、血圧測りに来ますから、それまでに着替えておいてくださいね。

サエ  (書類を見て)保証人のハンコは明日以降でいいですか?

看護師 ハイ、かまいませんよ。


   看護師去る。


ユキ  保証人って?

サエ  ウタちゃんに頼むわ。

ユキ  また「ウタちゃん」。

サエ  たった一人のお姉さんだもの。頼りにしてるの。

    何かあったら、携帯じゃなくてこの病室の電話にかけてね。

ユキ  うん。じゃ、私、部活行くから。

サエ  はいはい。県大会頑張ってね。


   ユキ、去る。

   上手、暗転


Ⅳ場


   明転。もとのユキの家。ウタが旅行姿で登場。茶の間に座る。

   ユキが部活から帰ってくる。鍵が開いていたので不審な様子で入ってくる。


ウタ  こんにちわ、おじゃましてます。

ユキ  ウタさん! 明日来るんじゃなかったっけ?

ウタ  そうだっけ? サエちゃん、今日入院したんでしょ? だったら今日からでい

    いじゃない。

ユキ  北海道からまっすぐ来たの? 玄関の鍵、開いてるからびっくりしちゃった。

ウタ  泥棒でも入ったかって? 

    それよりちゃんと挨拶して。私は挨拶したんだから。

ユキ  ああ。(座り直して)こんにちは、これから一月よろしくお願いします。

ウタ  こちらこそ、よろしくお願いしますね。これお土産、お菓子あるから食べよ

    う。お茶淹れて。

ユキ  うん。(台所へ立つ)

ウタ  病院、何号室?

ユキ  四〇二。四階のA棟の奥。個室なの。

ウタ  個室かー。ぜいたくね。(メモする)手術の日は病院に泊まるんでしょ?

ユキ  ええ? どうだろ、聞いてない。

ウタ  悠長な人たちねまったく。全身麻酔する手術なんだから、普通泊まるでしょ。

    簡易ベッド借りるといいよ。

ユキ  ウタさん、泊まる?

ウタ  私、歳だし、病院嫌いだから。あなた泊まりなさい。

ユキ  平日だったら、学校あるよ?

ウタ  休めば?

ユキ  部活の県大会近いんだけど。

ウタ  母親の手術日でも部活は休まないってか。何部だっけ?

ユキ  演劇部。

ウタ  なんだ。じゃあ一日ぐらい休んでもかまわないじゃない。

ユキ  ええー。かまわなくないって。

ウタ  高校生の演劇なんて、どうせ自己満足でしょ。

ユキ  ウタさんなんかには演劇分かんないよ。

ウタ  …あんた変わってないわねー。生意気。前に家で預かった時と同じ。

ユキ  他に頼める人いないの? 家って親戚少ないよね。お父さんの方の親戚って、

    見舞いとか全然来ないよね。

ウタ  …知らないの?

    あなたのお父さんが亡くなるとき、サエちゃんは延命治療断ったの。仙台の親

    戚は大反対したんだけど一人で押し切ってね。医者があれもこれも外して、ま

    もなく逝っちゃった。それでむこうから縁を切られちゃったの。

ユキ  …初めて聞いた。

ウタ  七回忌の時も、おばあちゃんの葬式のときも誰も来なかったでしょ。

ユキ  …お母さんが延命拒否したって、ほんと?

ウタ  意外と割り切った所あるからね、あの子も。あなた、似てるんじゃない?

ユキ  私?

ウタ  お父さんが入院してる間、家であなたを引き取ってたじゃない。もうちょっと

    泣くかと思ったけど、結構楽しそうにしてたよ。

ユキ  意地悪。

ウタ  人間だもの、意地悪言いたいときもあるわ。いちいち気にしないの。あなたも

    がまんしないで、言いたいこと言っていいのよ。


   ウタ、荷物を持って奥に行く。

   中央暗転


Ⅴ場


   上手のみ明転。病室(椅子と小テーブル)。

   サエ椅子に座って、小テーブル上で書き物をしている。

   ユキが入ってくる。


ユキ  おかあさん、お早う。はい、着替え。手術の日、決まった?

サエ  来週の水曜日だって。

ユキ  じゃ、水曜日に学校休んで、その晩泊まるから。木曜日も休んでいいね?

サエ  ありがとう。でも勉強大丈夫?

ユキ  大丈夫。マイがノート取っててくれるから。

サエ  そう。月曜日から絶食だって。

ユキ  ええ! 三日も食べないでいるの?

サエ  点滴するのよ。栄養補給。

ユキ  なんだー。あのさ、ウタさん、来てくれてる?

サエ  一昨日来たかな。

ユキ  やっぱり。

サエ  何?

ユキ  ウタさん、お弁当作ってくれないし、まあそれはいいけど、おかずに肉があま

    り出ないし、洋服、鴨居にいっぱい下げておくし、庭に生ゴミ埋めるし…

サエ  何が言いたいの?

ユキ  だから、全然お母さんのこと心配してないんじゃないかな? どこに出かけて

    るか分かんないし、自分の好きなことばっかりしてるんだもの。

サエ  そんなことありませんよ。

ユキ  そうかなー

サエ  それより、これ。(と、さっきから書き物をしていたノートを渡して)

ユキ  何?

サエ  これに、家のこと、できるだけ書いておいたから。

ユキ  …なんで?

サエ  話して聞かせる時間もなかったし、書く方が楽だから。それにもう高校二年生

    なんだから、いろいろ覚えて欲しいの。ウタちゃんに不満を言う前に、自分の

    ことはきちんと自分でできるようにしてね。

ユキ  …分かった。(と、ノートをバッグにしまう)

サエ  書いておけば母さんも安心だから。

ユキ  お守りみたいな物?

サエ  お守り、ね。大事に持ってて。

ユキ  うん。


   暗転


Ⅵ場


   中央明転ユキの家の庭。

   ウタが洗濯物を干している。ユキが登場。


ユキ  ウタさん! ウタさん、私のもの洗った?

ウタ  洗ったけど?

ユキ  どうして勝手に洗ったの。部活いけないじゃないの! 私、自分のものは自分

    で洗うって言ったじゃない!

ウタ  ごめーん。ついでだと思ったから。だって二日も洗濯篭の中に入ってたんだも

    の。親切でやったことなんだから、そんなに怒らないでよ。

    ジャージでだめなの?

ユキ  私が着るんじゃなくて、あれ、舞台衣装なの。今日衣装合わせなの。

ウタ  そんな大事な物だったら、さっさと洗っておきなさい。

ユキ  もう、これだけじゃないでしょ。ウタさん自分勝手よ!

ウタ  私が? 何よ?

ユキ  どうしてお母さんの所に行ってあげないの。

ウタ  行ってるでしょ。

ユキ  今日も、昨日も行ってないじゃない。

ウタ  用事があったのよ。それに検査、検査で病室にいないし。

ユキ  お姉さんなんだからもっと心配してくれるかと思ったのに。

ウタ  まだ手術したわけじゃないんだから、そう毎日行くことないの。

ユキ  …あと、庭に生ゴミ埋めないで。

ウタ  土の養分になるのよ。私の家の庭もそうしていい土にしたんだから。少しくら

    い匂ってもかまわないわよ。

ユキ  あそこにはチョコの灰が埋めてあるんだから。ゴミと一緒にしないで!

ウタ  …子どもなんだからもう。犬のお墓なんて。第一、目印なかったじゃない。

ユキ  丸い石が置いてあったでしょ。あれが目印だったの!

    それから、私、子どもじゃないから。十年前の私じゃないんだから。いつまで

    も子ども扱いしないで!もう出てって! 私一人で大丈夫なんだから。おば

    さん邪魔なの!

ウタ  そう。だったら一人で好きなようにやりなさいよ少しは人生の勉強になるで

    しょう。だけどね、あんたなんか一人じゃ何にも出来ないんだから!

    私はね、高校卒業してからずっと働いて、両親を介護して、看取って、二回も

    葬式出して喪主やったんだから。

    私が自分勝手だって? 私は働きながら母親の、あなたのおばあちゃんを十年

    介護したのよ。病院だって何回泊まったことか。旅行なんか一度もしたこと無

    かったんだから。だけど誰にも辛いなんて言ったこと無い。

    サエちゃんの大学の費用だって私が出したんだし、俊さんと結婚するときだっ

    て…。確かに早く死なれてかわいそうだったけど、俊さんがこの家残してくれ

    たから、路頭に迷わずに済んだじゃない。

    私からみたら、あんたなんか苦労知らずの世間知らずよ。

ユキ  やめて。…もうやだ。頭がごちゃごちゃだ。

ウタ  ああ…つい言い過ぎちゃった。ごめん。私が悪かったわ。謝るから、出てけな

    んて言わないで。ね、サエちゃんが心配するから。私だって、サエちゃんがい

    なくなったら、あなたがたった一人の血を分けた姪なんだから。

    仲良くしよう。できるかな?

ユキ  仲良くしたいよ、私も。だから子ども扱いしないで、相談して。

ウタ  わかった。衣装は急いでアイロンかけてあげるから。少し待って。

    (と、アイロンの用意を始める)

ユキ  うん。

ウタ  少し遅れるって携帯で連絡しとくといいわ。

ユキ  うん。…ウタさん。

ウタ  何?

ユキ  私も言い過ぎてごめんなさい。…きっとお母さんのことで、普通じゃないんだ

    と思う。


   ウタ、ユキに近寄り、黙って抱き寄せる。


ウタ  手術の日は、二人で病院に泊まろう。

ユキ  (抱き合ったまま頷く)


   音楽FI

   暗転


Ⅶ場


   上手明転。

   病室。サエが椅子に座って本を読んでいる。

   ウタが見舞いにやって来る。


ウタ  こんにちは。

サエ  あら、いらっしゃい。

ウタ  どう?

サエ  どうっていっても、手術してみないと分かんないわ。

ウタ  そうよね。ユキちゃんにね、見舞いに行かないのかって怒られちゃった。

    こっちも言い返したけどね。さぼってると思われてるみたい。まあ、さぼって

    るんだけど。

サエ  あの子は毎日来てるからね。着替え持ってきてくれたり…

ウタ  その洗濯は私がやってるんだけどね。

サエ  あの子、ウタちゃんとは気性が似てるから、話が合うかと思うんだけど。

ウタ  そうお? 昔、家にいたときお話せがまれて、桃太郎か何か話してやった記憶

    はあるけど。ちょっと脚色してやったら嫌がってね。(笑)


   看護師来る。ウタと会釈など交わす。


看護師 佐藤さん。検温お願いします。(と、体温計を渡す)あと、栄養点滴もう一本

    しますから、ベッドに入ってて下さいね。


   看護師出ていく。


ウタ  (窓の外を見ながら)この辺もすっかり変わったね。俊さんが入院してた頃は

    辺り一面田んぼだったのに。

サエ  そうだったね。冬で通うのが大変だった…。

    また冬になるのね。まだ五時なのに、こんなに暗い。

ウタ  何があっても毎日日が暮れて、夜になる。人生はこうして過ぎていくのね。

    自分に与えられた夕暮れの回数を消費していくの。

サエ  どうしたの。ウタちゃんらしくないわね。

ウタ  私らしいって、どんなの? 結婚しなかったのも、OLやめちゃったのも、何

    も気にしてないのかな、私。

サエ  そんな意味で言ったんじゃない。

ウタ  分かってる。だけどさ、人生折り返してるんだから私だって考えるわよ。自分

    の人生、何だったのかなあってさ。

サエ  姉さんには感謝してるわ。済まないとも思ってる。

ウタ  ごめんごめん。見舞いに来てこんな愚痴言ったりして。

サエ  済まないついでにさ、お願いなんだけど。

ウタ  何?

サエ  もし、万が一、手術しても、転移してたりしたらね…

ウタ  何よ。

サエ  ユキのこと、お願いします。

ウタ  …。

サエ  家を売れば、ユキが大学出られるくらいのものは残ると思うから。

ウタ  やだ。そんなの。

サエ  だめ?

ウタ  あなたが死んだら、もうほんとに私、ひとりぼっちになるんだから。愚痴も聞

    いてもらえなくなるんだから。だめ。私一人に苦労させて、私を残して死んだ

    りしたら許さない。恨んでやる!

サエ  分かった。

ウタ  ユキちゃんのためにも、何があっても生きていて。

サエ  死なない。死なないから、そんなに…


   看護師入ってくる。


看護師 佐藤さん? どうかしましたか?

サエ  いえ、何でもないんです。(と、体温計を渡す)


   暗転


Ⅷ場


   中央明転

   手術前日の夜、同じ部屋。ユキが音楽を聴きながら勉強している。

   ウタ、入ってくる。


ウタ  ちょっといいかな?

ユキ  いいよ。ちょうど宿題終わったところだから。

ウタ  これね、小樽で買ってきたの。「北一硝子」って知ってる?

ユキ  知ってる。修学旅行、北海道だから。事前学習で調べた。ランプ?

ウタ  石油ランプ。ずっと、欲しいなって思ってたの。

ユキ  昔使ってたの?

ウタ  まさか。ノスタルジーよ。


   と、天井に吊り下げようとする。


ユキ  此処に吊るの? ウタさんの部屋に置いてよ。

ウタ  あの部屋、天井に大きな蛍光灯はめ込んであるじゃない。ここならちょうど引

    っかけるのにいいようになってるから。

ユキ  これ? ああこれは、小学校のときに、傘下げて銀紙で星付けて、「プラネタ

    リウム」ってしてたときのだ…。

ウタ  点けるよ。

ユキ  電気消すね。


   暗い中に、ぼーっと暖かい光が広がり、次第に明るさが広がって行く。


ユキ  影がすごいね!

ウタ  じゃあ、お話してあげようね。

ユキ  お話?

ウタ  家にいたときしてあげたでしょ、忘れた?

ユキ  ああー。思い出した、変な桃太郎。

ウタ  こうみえてね、お話作る才能はあるんだから。

ユキ  そうですか。

ウタ  昔々…

ユキ  もう始まるの?

ウタ  ある夫婦に子供が生まれました。子どもがようやく立てるようになった頃、大

    雨が降って、増水していた川に子どもが落ちてしまいました。

ユキ  なんで立ったばかりの赤ちゃんが、一人でそんな川のそばに行くかな?

ウタ  …歩き始めた頃だったかな? まあ流れちゃったものはしかたがない。

ユキ  仕方がない!

ウタ  両親はどうしようもなく、濁流にながされていく我が子の名を呼んでいまし

    た。その時、飼っていた犬が走ってきて、ごうごうと流れる水の中に飛び込み

    ました。たちまちのうちに、子どもも犬も姿が見えなくなり、行き方知れずに

    なってしまいました。

ユキ  何か先が読めるんだけど…。

ウタ  いちいち突っ込まないの。

    数年が経って、両親も子どもは死んだものとあきらめ、二人目の子どもを育て

    ていました。ある日、親子三人で市場を歩いていると、向こうから飛ぶように

    走って来た犬が、両親の前でさかんに吠えるのです。

    驚いてよく見るとどこか、以前飼っていた犬に似ています。犬が誘う方へつい

    て行くと、若い夫婦と幼い子どもがいました。どういうことかと話をするうち

    に、この子は数年前に川のほとりで拾ったのです。傍にこの犬がいて、犬も死

    にかけていたのですが、小さく鳴いていたので見つけることが出来たのです。

    私たちはこの子を自分たちの子として育てることにしました。いつか本当の親

    に会えるかも知れないと、子どもの着ていた服の布を残してあります。

    ああ、これはまさしく…。

    二組の夫婦は涙を流し、犬に感謝しました。その子は若い夫婦が育て、生みの

    親がお金を出して、立派に世に出してやりました。

    犬は一生その子のもとで暮らしましたとさ。

ユキ  (拍手)めでたしめでたし。

ウタ  もっと怖いのが良かったかな?

ユキ  だめだめ、怖いのだめだから。今ので十分おもしろかったから。

ウタ  じゃあ怖くないやつね。

    母と二人暮らしの男の子がいました。母親は重い病気でしたが、貧しかったの

    で医者にも行けず、薬も買えませんでした。一方、子どもは乱暴者で、喧嘩や

    悪さばかりしていました。村の子ども達とは仲良くなれず、大人達もこの親子

    を邪魔にしていたのでした。

    母親はそんな子どもを残して死ぬのが心配でした。それで、ある冬の日に、子

    どもに頼みました。鯉が食べたい、と。

ユキ  コイ?

ウタ  鯉は滋養になるの。甘露煮とか、鯉こくとか。

ユキ  コイコク?

ウタ  その鯉もね、捕っちゃいけない池のが食べたいって言うの。

ユキ  何で?

ウタ  村のタブーってのがあるのよ。

ユキ  じゃなくて、なんでそんな池の鯉が食べたいの? うまいのか。

ウタ  (ユキを無視して)子どもは、そんなの無理だとは思いましたが、母親のたっ

    ての願いを断るわけにも行きませんでした。

    …冬でした。子どもは凍てつく夜に池に入り、鯉を捕ろうとしました。

    裸足でよ。手探りでよ。

ユキ  大変だ。

ウタ  そのうえ、なかなか捕れないでいるうちに大人たちに見つかってしまいまし

    た。子どもは、病気の母親に食べさせるために鯉を捕らせてくださいと頼みま

    したが、日ごろの行いが悪いものですから誰も聞いてくれません。

    お前がそんな殊勝なこと考えるはずがない。自分で食うか、金に換えて遊ぶつ

    もりなんだろう。

    子どもが袋だたきにあって、家に帰ってくると、母親は、亡くなっていまし

    た。

ユキ  ひどい。

ウタ  子どもは泣きました。お母さんのためにこんなに苦労してきたのに。ひどいじ

    ゃないか。どうしてお母さんは、こんなできもしないことを頼んだんだろう。

    子どもは母親を恨み、この世を呪い、死のうとしました。

    その有り様を見た観音様が子どもに声をかけました。

    子どもよ、お前は泣いているが、その涙は誰のためのものか。自分の悔しさの

    ためか? 叩かれて、痛くて悔しくて、泣いているのか? お前はまだ自分の

    ことしか考えられないか?

    母はお前を親孝行の息子として人々に記憶して欲しかったのだ。たとえ禁を犯

    してでも鯉を手に入れようとしたことは、これまでお前がしてきた悪さとは違

    うぞ。それは私がよく分かっている。お前は乱暴者だが、本当は心根の優しい

    子だ。なぜなら、どんな悪童であっても、母親がお前を愛しているからだ。

    お前は愛されたことで、もう救われているのだ。

    いいや、俺は親不孝者だ!迷惑ばかり掛けて、何もしてやれなかった!

    お前も母の代わりに誰かを愛してやればよい。お前が母親にしてもらったのと

    同じようにな。

    子どもは観音様に御礼を言うと、生きるために村へ戻りました。

ユキ  (涙をぬぐって)それから、どうしたの?

ウタ  出家して、うんと修行して、立派なお坊さんになったっていう話。

    さて、明日は病院に泊まらなきゃなんないし。もう寝ようか。

ユキ  うん。


   二人、寝る支度。

   暗転


Ⅸ場


   夜、布団に寝ているユキ

   不安な音楽

   部屋に池が出現する。ユキが起き上がる。


ユキ  寒い。ああ、…鯉を捕りに行くんだっけ。


   ユキ、池に向かって歩き出す。


ユキ  お母さん、待っててね。…これ、学校の池?

    寒い! なんで裸足なの?雪なのに。なんでこんなことしてるの私?

    鯉なんか食べても、良くならないよ。学校の池の鯉捕ったら怒られるし…。

    ああ、そうか。親孝行な娘かどうか、試されてるんだ。捕って帰らなかった

    ら、みんなから何て言われるか…。

    ううん。そんなんじゃない。なんで自分の寒いのだけ考えるの? お母さんの

    苦しいのを考えないの? お母さんのために捕るんじゃないの。

    暗いわ。あ、ランプ。これ、つければいいんだ。


   ユキ、ランプに手を伸ばすと池の辺りが少し明るくなる。

   ユキは氷の張った池に入り、鯉を探し始める。


ユキ  冷たーい! あ、滑る! …どこ? どこにいるの?

    あれ? 鯉はプールに移してあるんじゃなかったっけ?

    いるわけないじゃん!


   闇の中から、先生が現れる。


先生  誰?


   ユキ、驚いて隠れようとする。


先生  誰なの。

ユキ  あ! 菅井先生!

先生  ユキさん? 何してるのこんな所で。

ユキ  あ、あの、お母さんに鯉を食べさせようと思って、…で、でもここには鯉はい

    ないんですよね。

先生  鯉? 鯉が欲しいの?

 

   先生、池の中にすたすたと入ってくると手探りで魚を取り上げる。

   魚がぴちぴちと動く。


先生  さあ、持って行きなさい。

    これを食べればお母さんの病気はきっと良くなるわ。

ユキ  ありがとうございます!

先生  その代わり。

ユキ  え?

先生  その代わり、あなたは一生、貧しくて、不幸な、つらーい人生を過ごすことに

    なるのよ。

ユキ  どういうことですか?

先生  あなたの幸せをお母さんに分けてあげるのよ。それでお母さんは助かるの。

    それでもいいなら、さあ、持って行きなさい。

ユキ  ちょ、ちょっと待って、何だかよく分かりません。

先生  あら、この娘、自分の親を見殺しにしようっていうんだわ。恐ろしい。

    今時の子どもってみんなこう。自分が一番大事なのね。誰のおかげで生まれて

    きたと思ってるのかしら。


   先生、手に持った魚を池の中に放り込む。


ユキ  ああっ!(急いで水中を探るがもう見つからない)先生ひどい!

先生  ひどいのは私じゃなくて、あ・な・た。

    さあ、どうするの? 探し当てても結局不幸になるだけ。それでもお母さんの

    ために探しますか? よーく考えてね。(去る)


   ユキ、必死で水中を探し回るが鯉は見つからない。


ユキ  ひどい。ひどいよ。どうしたらいいの。どうしたらいいの。

    そうだ、観音様だ。観音様、助けて下さい!どうか、どうかお助け下さい!


   沈黙


ユキ  …いるわけないじゃない、観音様なんて。ばかばかばか、ばかやろー!


   ユキ、泣きながら鯉を探す。すでに凍えかけている様子。

   やがて意識を失うユキ。ランプが消える。

   闇の中からウタが現れる。


ウタ  ユキちゃん。ユキちゃん。


   ユキに近寄ると優しく抱き上げる。池は消えて行き、もとの部屋となる。


ウタ  ユキちゃん。目を覚まして。

ユキ  …あっ! 鯉、鯉がまだ!

ウタ  鯉?

ユキ  ああ、夢か!

ウタ  こんなに汗かいて。鯉って、まさか、昨日の話の夢見てた?

ユキ  そうかー。よっぽどインパクトあったんだな、あの話。

    …あの話の男の子は、乱暴者で悪い子だけど実は親孝行な子どもだった。

    私は、見たところ親思いの娘みたいだけど、実は親孝行の気持ちなんてないん

    じゃないかって…。

ウタ  あの話はね、あなたのことじゃなくて、おばさんのこと。自分のことを話した

    のよ。私も両親を亡くして初めて、自分がどれだけ親に甘えていたか、どれだ

    け心配かけたか、身にしみてわかった。親のことを心配しているようでいて、

    実は自分のことが一番心配で、自分が縛られてるのが不満だったんだって…。

ユキ  (はっとして)お母さん、大丈夫かな? 今日の手術、うまくいくかな?

    ねえ、大丈夫かな?

ウタ  大丈夫に決まってるじゃない。何も心配すること無いわよ。

ユキ  だといいけど、私…

ウタ  何?

ユキ  私、お母さんのために何もしてない。何も考えてない、何も。

ウタ  ばかね。やっぱりまだまだ子どもだわ。

ユキ  お父さんね、チョコを生んだお母さん犬をすごく可愛がっててね、その犬は、

    チョコを生んですぐだったけど、お父さんが死んだら、悲しがって餌を食べな

    くなってね、後を追うように死んじゃったの。

ウタ  …。

ユキ  犬ってすごいな。私なんてかなわない。ダメだよね。

ウタ  犬が人よりも短かい命なのはいいことよ。もし人の方が先に死んでしまうのだ

    ったら、犬たちはみんな、悲しみのために生きていられない。

    でも人は愛する者を亡くしても、その悲しみから立ち直る力を持っているの。

ユキ  それって、ただ忘れっぽいってだけじゃないの? それとも恩知らず?

ウタ  そう思う? 人はどうして悲しみを乗り越えていけるのかしら。忘れっぽいか

    ら? 恩知らずだから?

    私は思うの。きっと人は自分のことも他人のことも、過去や未来のことも考え

    られるからだわ。犬は一人の主人を思うのでせいいっぱいなの。その人のため

    に命を投げ捨ててもいいの。

    人は自分を思い、家族を思い、友人を思い、見知らぬ他人や、他の生き物、ま

    だ見ぬ子どもたちのことまで思うから、今の悲しみにいつまでもひたってはい

    られないの。

ユキ  (なぜか泣けてくる。涙が止まらない)私、チョコのこと好きだった。けど、

    愛してあげられなかった。おばあちゃんも。…お父さんも。

ウタ  (抱き寄せて)大丈夫。あなたはみんなから愛されているから。

ユキ  (ウタの腕の中で泣きじゃくる)

ウタ  さあ、ご飯食べて、支度して、病院へ行かなくちゃ。

ユキ  うん。


   二人立ち上がり、ウタは舞台奥へ去り、ユキは布団を片づける。

   暗転 音楽


Ⅹ場 エピローグ


   中央、明転

   サエが、自分の入院していたときの荷物を片づけている。

   ウタが入ってくる。


ウタ  荷物、あらかた積めたわ。車一杯。ちょいちょい実家から運んだからなー。

サエ  もう少し居てもいいんじゃないの?私もまだ退院したばかりだし。

ウタ  悪いけど、一人暮らしに慣れてるもんで、早く帰りたくてうずうずしてたの。

サエ  その気持ち、分かるけどね。(笑)

ウタ  手術は上手くいったんだし、あとはユキちゃんも居るんだから。

サエ  あの子もね、もう少し大人になったら頼りになるかしら。

ウタ  もう十分頼りになるんじゃないの?

サエ  そお?

ウタ  いつまでも子ども扱いしたらダメよ。

サエ  姉さんには、いつも世話にばっかりなっちゃって、何か生きてる内に恩返しし

    なくちゃと思ってるんだけど。

ウタ  何よー今更あらたまって。

    あなたがいての私の人生なんだから気にしないで。あなたの人生は、俊さんや

    ユキちゃんがいてこその人生でしょ。

    人間ってさ、誰かのために生きているから幸せなんじゃない?

サエ  そうかしら。そうだとしたら、人から愛されないのより、人を愛せない方が寂

    しいことなのね?

ウタ  そうねえ、でも両方寂しいに決まってるじゃない。その人が人生のどの辺にい

    るかで違うのかな? 赤ちゃんは愛してもらうばかりだし、若い人は愛し愛さ

    れて、私らくらいになるともう、子どもや孫を愛するほうだからねえ。

サエ  孫は早いんじゃない?(笑)

ウタ  でもないわよ。あと四・五年したらユキちゃんも…。


   ユキが「北一硝子」の袋を持ってくる。二人会話を中断する。


ウタ  ああ、ランプ? それ、あげるよ。随分気に入ってたみたいだから。

ユキ  へへ、実は私も小樽で買って来たの。

ウタ  あら、そうだったの。(と袋を受け取り)

    じゃ、今度はあなたのランプの下でお話ししてあげるわね。

ユキ  今度は私がお話してあげるよ。夢に見るほど怖ーいお話。

ウタ  へー、それは楽しみだわ。期待しないで待ってるからね。

    さて、行くかな。じゃあ、お大事に。

サエ  長いことどうもありがとうね。助かりました。

ウタ  たった二人の姉妹じゃない。こちらがお世話になることもあるでしょうから、

    その時はよろしくお願いしますね。(笑)


   ウタ、去る。(SE車の発進する音)


ユキ  (庭に出て車を見送り)ウタさん。ありがとう!

サエ  さて、また二人の暮らしが始まるわね。

ユキ  お母さん。

サエ  何?

ユキ  お父さんが死ぬとき、延命処置、断ったの?

サエ  …ウタちゃんが言ったの?

ユキ  (頷く)

サエ  お父さん、最期の頃は、ベッドの上で、点滴の管や呼吸のチューブや心電図の

    コードなんか何本もつながれて、動かないように縛りつけて、機械のモニター

    でまだ生きてるかどうか見てる…機械で生かされてる…そんな姿にしておくこ

    とが耐えられなかった。でも外したら死んでしまう。

    おとうさん、おとうさんって呼びかけるんだけど、何にも反応してくれない。

    お願いだから何か言ってよ。

    そしたら、ふと、感じたの。僕は、愛する人の心の中で生きているって。

    そう、お父さんは、私の心の中で生きている。病院のベッドの上で生かされて

    いるのとは違う、生き生きした姿で。

ユキ  おかあさん…。

サエ  ユキの中にもお父さんはいるのよ。

ユキ  うん。

サエ  今夜はひさしぶりに、親子水入らずで話そうか。

ユキ  うん。ウタさんと暮らした間に、すごくいろんなことがあったよ。なんかいっ

    ぺんに年取ったみたい。

サエ  そういえば見た目も少し大人っぽくなったみたい、かな?


   二人笑いながら

   音楽とともに

   幕

観劇感想 2021年2月・3月

 このところ観劇した三公演について、感想など。

 

山形東高校演劇部 弥生公演(一年生公演)

『帰り花』 作 霜 康司  潤色 山形東高校演劇部

2021(令和3)年3月6日(土) 16:00開場 16:30開演 17:55終演

山形県生涯学習センター遊学館 ホール

 

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 「吉田寅次郎(松陰)の半生」、と言えるような大作である。幕末の長州藩奇兵隊の面々が登場する。物語は西欧からの衝撃を受ける日本が、幕藩体制からの自己変革に苦悩する時代、先覚者の苦闘を描く。ある時は戯画化して、教科書的(日本史の)知識をまとめてみせる。吉田松陰の思いは現代の我々にどう響くのか。

 作者は駿台予備校大阪校の英語講師、劇作家、翻訳家。

 終演時に16時開演だったと思って、2時間近く演じたかと感心したのだったが、実は上演時間1時間25分だった。長かった印象が強い。キャスト11人が複数の役を演じ分けていた。お疲れ様でした。

 開演前に上演時間のアナウンスがあったかな? 観客の都合があるので事前に知らせた方が良い。

 高校生の芝居にあれこれ言うのも何なのだが、東北大会常連の高校であるし、久しぶりの高校演劇なので、少し厳しいことも書いてしまおう。

 

 まずこの脚本、1年生公演(といってももうすぐ2年生なわけだが)で、また間口5間程度のこの舞台でやれる(適した)ような作品ではない。衣装も(カツラも)装置もしっかり準備して臨むべき作品だろう。脚本選定の段階でもっと吟味するべきではなかったか。身の丈に合っていない。

 高校演劇は1時間勝負だから、1時間以内の作品を多くやる方が良い。2時間のお芝居は卒業公演あたりで取り組むのが適当かと思う。2時間の芝居を作るには、1時間の芝居を作るときの3倍の力が必要だからだ。

 今回のはテキストレジから台詞入れまで相当な時間を費やしたのではないか。肝心の演技、表現を考える時間が足りなかったのだろうと感じた。また、演出は1年生生徒がやったのか、上級生か分からないが、もっと緻密かつ大胆に柔軟に考えて芝居を作るべきだ。

 全員がマスクをして演じたせいもあって(これは会館側からの要望のようだが)時々聞き取れない台詞があった。このご時世で仕方がないのかも知れない。しかし台詞(フレーズ)を一息で言ってしまう時があって、言葉の切れ目が無く、意味が分からないということもあるので、台詞の言い方を研究すべきではある。

 音響は大きすぎた。リハで確認をしよう。選曲は、作者指定もあったという。クラシックも使っていた。

 時代劇なので衣装は頑張っていたが、時代考証面からも、いっそジャージで揃えたほうが良かったかも知れない。どうせ髷を結えないのだから。これは舞台美術についても言える。衣装と同様に、何も無い所に想像力で作り上げる方がかえってリアリティーが感じられることもある。

 演技について、人物の挙措動作に「意味」が感じられないと観客は舞台に入り込めない。多分、まだそういう演技指導を受けていないのだろう。まあ、意味を考えたり感情移入する必要をみとめない作劇法もあるようなので何とも言えないが。

「台詞を覚えて、その通りに動く」というわけだが、なぜそう言い、行動するのかを考えなければならない。座敷の中での立ち居振る舞い、酒を飲むという仕草、淡々と進んでしまうと、舞台上に何も造り出されないまま、積み上がらないまま、終わってしまう。開演時と終演時で観客の心の中に何が変化し、何が残されたか。

 

 入場無料だがパンフレットは100円だった。財布を持参しなかったので入手できなかった。覗いたらオールページ・カラーのようだった。デラックスなパンフもいいが、簡単なキャスト紹介くらい別に刷って配布しても罰は当たらないんじゃないだろうかと思った。

 

 観ながら思い出していたのは、2006(平成18)年の上山明新館『贋作・罪と罰』(野田秀樹)だった。同じ遊学館で上演した。同じように完全な時代劇の衣装・髪型ではなかったが、これは架空時代劇?で原作どおりだっただろう。間口が狭いのも同じだが、シンプルに使い回していた。何より役者たちの熱意が強かった。長年観ていると、どうしても過去の良い舞台と比較してしまうので辛い感想になってしまうのだ。

 

 

 

二兎社公演 44

・空気ver.3 そして彼は去った… 作・演出 永井 愛

2021(令和3)年3月6日(土) 18:30開場 19:00開演 20:45終演

東ソーアリーナ ホール

 

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 開場時刻少し過ぎには駐車場が一杯だった。時刻を早めて入場させたのだろう、場内も既に客がいっぱい着席していた。

 ver.1とほぼ同じセット。ただし、あの裏側の高い非常階段は無い。ドアとエレベーターの並んだホール、部屋。微妙に菱形のボックス。上下の上段、黒い背景に別場面の役者が登場するのも同じ。なつかしかった。

 本番直前、ディレクターたちの悪戦苦闘が、絶妙に喜劇的に演じられているのは好感が持てた。佐藤B作の、やや認知症がかった、癌を患うコメンテーターが体温37.4度で現れ、別室からのリモート出演になるところがコメディーの基調になる。外部委託のディレクター二人組、和田正人と金子大地が良い味を出している。

 役者たちは達者で、正確な演技は堪能させる。B作さん、やや台詞が不安定に感じたのは役柄からだったのか?

 

 以下ネタバレになります。

 

 チーフ・ディレクターの神野三鈴が、最後の仕事になる番組中に政府擁護派の佐藤B作をリベラルな女性評論家?(声だけ)と対立させる企画をするが、佐藤が柏木?ディレクターの自殺した部屋で精神的に変調を来し、思わぬ特ダネ、もしかしたら内閣が倒れるかもしれない爆弾情報(これが日本学術会議メンバー6人を任命しなかった理由が分かる学者採点一覧表であり、佐藤自身が政府のために作成したと告白する。)が飛び出て、さあどうするかという葛藤が起きる。外部ディレクターやアシスタントたちが番組中での抜き打ち公表に乗り気になるが、スタジオ内に秘密がばれ、局長にまで知られてしまう。最後に神野は折れ、佐藤は出演を辞退し、去る。

 認知がかった老人の妄想から出たガセネタに引き摺られただけなのか、本当に政府は左翼思想の弾圧を図っていて、それを国民世論に訴える機会を失ったのか…。

 

 『ザ・空気』ver.1を観ている。ver.2は観なかった。第1作目は田中哲司が出演するので観たのだが、内容は、テレビの報道番組編集スタッフが「報道の自由」を守るために悪戦苦闘する様を描いていた。政府や保守勢力からの圧力で真実が報道されないという状況を現場が打ち破ろうとするお話。ほぼ今回の内容、筋書きに重なる。

 当時、総選挙の報道が、反自民、野党支持のスタンスで繰り広げられたことに対して、放送の公平性・中立性から問題があると政府側からも批判がなされた。それに対し、報道の自由を抑圧するものだという反対意見が出されるという状況だった。多分に時事的な政治批判めいた内容の脚本になっていた。

 会社上層部からの圧力に屈したディレクター(田中)が投身自殺を図る。2年後、社会は右傾化し自衛隊のヘリが都会上空を飛び回るラストシーン。この、二兎社の雰囲気とは異質な、あまりに偏った政治的認識に閉口して、ver.2を観る気が失せたのだった。

 今回はアリーナへの寄付の見返りだし、せっかくの機会だから観に行った。

 ver.1の木場勝己の役に近いのが佐藤B作だが、今回は政府批判的立場から転向した御用コメンテーターという設定。柿崎明二氏や田崎史郎氏を思い浮かべさせる。最近の事例をなぞっている部分が多い。これは政治風刺としてはあって当然というものだが、報道する側の自己規制する(空気)を問題にしているわりに、自分たちが本当に公平で国民のためになる報道をしているのかという反省は棚上げされている。報道側においても「やらせ」が横行し、不正確な情報提示をしたり、世界の主たる論調から外れた立場(チベットウイグルの問題に時間を割かない等々)だったりすることは語られない。民放におけるスポンサーの影響力についても触れられていない。

 作品中では無条件に報道人は正義の味方であり被害者、政府や保守側は悪役という前提である。「なぜ世論が政府批判に動かないかというと、それは報道が伝えていないからだ。もっと伝えなければ」と言う時、あれほど森加計桜で安倍首相批判を報道し続けたのは誰だったかという問いが浮かぶだろう。国民が大手新聞やテレビ報道番組から離れていくのはなぜかについては知らぬ振りなのか…というような個人的な疑問が湧いてきてあまり素直に拍手できなかった。役者さんの所為ではない。

 

 

 

 

 

演劇ユニット 弐十壱鶴堂 ~参ノ鶴~

『どるヲバ ~50歳でアイドルはじめました~

 企画・原案 鶴 英里子  脚本・演出 原田 和真

2021(令和3)年2月20日(土) 17:00開場 18:00開演 20:?終演

東ソーアリーナ ホール

 

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 主宰の鶴氏が「自分のやりたいことをやりたい人と思いっきりやる!!」をコンセプトに立ち上げたという個人演劇ユニット。

 平凡な主婦がアイドルになろうと決意し、実行し、デビューしてしまうというお話。それをド直球に描いているわけだが、本職のシンガー、ダンサーも登場し、ミュージカルっぽい仕立てになって劇場内を盛り上げる。この音楽系の作り方がこの劇団の特徴である。

 集客力もあり、宣伝もしっかり行き届いて主宰者の人脈の広さをうかがわせる。衣装や装置はしっかりしている。装置・小道具は、いちろう舞台さんが全面的に支えている。間口一杯に高いパネルを立て、手前に小さなステージを作っている。最後に大掛かりな転換が(前々作にも)あって、一つの見せ場になっている。ただ照明は年寄りには眩しすぎた。

 

 セミプロの役者もいて、それなりの芝居をしているのだが、少し空回りの感なきにしもあらず。これは、三人の主婦がいきなりアイドル選手権のような企画に参加してしまうという、強引な筋立てが、ギャグなのかリアルなのか観客の受け止め方に迷いがあったからではないか。

 ミュージカル「ベイブス・イン・アームス」は田舎の劇場の空き時間を借りて自分たちの芝居の稽古に励む若者たちが、認められて都市に出るという話だし、映画「スイング・ガールズ」は、山形県高畠のジャズに目覚めた女子高校生たちが、馬鹿をしながらもジャズ愛につき動かされ、遂に音楽祭に参加するというストーリーである。これらの成功譚と比較するのも何だが、主婦の同級生にプロデューサーがいて、その旧悪を押さえているため彼の力で練習もでき、デビューもできるという、まことにご都合主義の展開。ちょっとまともでないオタクの心をとらえたり、持ち歌を他のアイドルが先に歌ってしまうというハプニングが同情を誘ったり、youtubeで拡散されると反対していた娘もコロッと態度を変えるという流れ。生身の平凡な主婦が、若かりし頃の願望(夢)を叶えるには相応の仕掛けが必要だろう。今回は少し甘かったのではないか。本当は「のど自慢」くらいが良いところなのだろうが、いきなり「アイドル選手権」では、「ひみつのアッコちゃん」くらいの変身力(魔法)がないと無理なんじゃないか。そこの飛躍が上手く処理された脚本なら、もっと受け入れやすかっただろうと思う。

 でもやりたいことを思いっきりやるのは(やれるのは)とても貴重で幸せなことだし、多くの人が公演を観て楽しんでいるのだから、こんなことをグダグダ言うのも無粋なことなのでしょう。

自作高校演劇脚本⑥『私の愛した白熊』


『私の愛した白熊』 作 佐藤俊一


時  現代

所  日本のある町 ある家庭 他

登場人物

   みちこ(高校二年生)

   白熊(縫いぐるみであるが、黒子として出て来る)

   みちこの母(四十才くらい)

   五十嵐先生(三十才くらい)

   アイスキャンデー屋(五十才くらい)

   あい(高校二年生、みちことは別の高校)

   はるか(高校二年生みちこの親友)

   みちこの友人A

   みちこの友人B

   象の縫いぐるみ(黒子として出てくる)

   ゴリラの縫いぐるみ(黒子として出てくる)

   小学生

   小学生の母

   子供の時のみちこ

 

 初演 2005(平成17)年 上山明新館高等学校演劇部

 

 

1場 プロローグ


   客電が落ち、音楽が入る。ややあって幕が上がる。DO

   中央に明かり。その中に白熊の縫いぐるみ。

   黒子が登場。


白熊  みっちゃんは、僕がこの家に来たとき小学一年生だった。かわいかったなー。

    小学校の入学お祝いにお父さんが買ってくれたんだ。

    僕はデパートのおもちゃ売り場の棚からみっちゃんを見下ろしていた。そした

    ら目が合って、みっちゃんと僕はじーっと見つめ合ってしまった。

    みっちゃんは大喜び。もう寝るときも一緒だった。

    さすがにお風呂にいっしょに入ろうとした時はお母さんにとめられたけど。

    子供のみちこが登場し、はしゃぎながら縫いぐるみを蹴ったり投げたりする。


   母、登場。


母   みっちゃん。みちこ。やめなさい。どうしたの?何かあったの?

みちこ たかしくんが、みっちゃんのこと好きなんだって。

母   そう。よかったね。

みちこ よくないの。みつひろくんもみっちゃんのこと好きなんだから。

母   そりゃあ困ったわねえ。でも熊さんにあたるのはやめようね。熊さん痛いでし

    ょう。

みちこ 熊さん痛いって言わないよ。

白熊  痛いです。

母   言わなくても痛いって感じてるのよ。

みちこ そうなの? 痛かった?

白熊  いえ、たいしたことは。

 

   みちこ、縫いぐるみをなでたり、抱いたりしてかわいがる。


白熊  あれから十年。大事に扱ってもらって僕は幸せだった。ただ、みっちゃんのお

    父さんは、亡くなってしまった。あの時は悲しかった。

    みっちゃんも高校生になり、僕と遊んだり、お話してくれる時間はあんまりな

    くなったけど、今でも僕はみっちゃんといっしょです。

 

2場


   舞台全体が明転

   舞台はみちこの部屋 みちこ、テーブルに勉強道具を広げてぼんやりしている。

   母親、仕事(パート)から帰ってくる。


母   ただいま。あら、帰ってたの。アイス買ってきたから、食べない?


   返事がないが、母、勝手に入ってくる。


母   クーラーかければいいのに。白熊さんも暑いでしょう。ね、白熊さん。

白熊  はい。

みちこ ピースって呼んで。

母   ピースっていうの? 名前あったんだ。

みちこ どっかの動物園で、赤ちゃんの頃から人間に育てられた白熊がいて、その名前

    がピース。

母   へえ。

みちこ これおいしい。

母   外は暑いよー。アイスクリームもいいけど、アイスキャンデーが食べたいな、

    お母さん。

みちこ 北極熊は完璧な母子家庭なんだって。だけどピースはね、お母さんに育てても

    らえなくて、飼育係の人に育てられたの。

母   ふーん。

みちこ 泳ぐのもその人に教えてもらったの。

母   白熊って泳ぎ教えてもらうんだ。

みちこ それで大人になってもその人に甘えるんだ。こんな大きな白熊が、その人の腕

    しゃぶりながら、「ササ鳴き」っていうのするんだ。ササ鳴きって、小熊が母

    熊に甘えたり、すごく満足してるときにする鳴き方なんだって。それで檻の前

    にその人が来ると、向かい合って座って、檻の外と中でずーっと顔を見合わせ

    てるんだよ。

母   ふーん、ピースにとってはその人がお母さんなんだね。こっちのピースのお母

    さんはみちこなんだ。


   白熊、うなずく。


みちこ 私? 私は子育てできないお母さん熊かなあ…。

母   (縫いぐるみを抱き上げて)かわいがると情が移るんだよね。

    お母さんも昔持ってたよ、縫いぐるみ。

みちこ 何の?

母   こんなに大きくないんだけど、パンダ。あれ、ここ破れてる。どうしたのか

    な?

みちこ あとで縫っとくから。(取り戻す)

母   この熊、お父さんが買ってきてくれたのよ。こんな大きなのじゃなくていいっ

    て言ったのに。配達も頼まないで自分で抱えて持ってきたの。すれ違う人がみ

    んな見るんだって。恥ずかしくなかったのかしら。

    …ああ、五十嵐先生から電話あったよ。

みちこ …何だって?

母   夏休みになったら、学校へ来てみないかって。夏期講習が終わって、生徒が来

    なくなった頃にって。行ってみる?

みちこ 行ってみようか…。

母   行ってみなさいよ。

みちこ うん。行ってみる。(縫いぐるみを強く抱く、というより握る)

母   じゃ、洗濯するから、何かある? 洗い物。

みちこ カゴに入れといたから。

母   そ。


   母、退場。

   みちこ、しばし縫いぐるみをつかんでじっとしているが、やがてその首をしめ

   る。白熊、苦しがる。


みちこ (少し弛緩して)あーあ、行けるわけないよー。(放り出す)


   みちこ、勉強にもどろうとするがすぐあきらめて布団に入り、寝てしまう。

   照明変化する。

   白熊が前に出て独白する。


白熊  期末テストの少し前でした。みっちゃんが学校に行かなくなったのは。

    初めの日はお腹が痛いって言って休みました。次の日もお腹が痛いと言ってい

    たのですが…

    (寝ているみちこに)、もう起きてよ。お母さんがいらいらしてるから。

みちこ お腹痛い。頭痛い。のどが痛い。背中痛い。あ、心臓ドキドキする。息がつま

    るー。

白熊  そんなことないよ。気のせいだって。

母   (声)みちこー。起きないと遅刻するよ!

白熊  ほら!

みちこ うるさい、うるさい。うるさい!


   母、登場


母   みちこ。時間よ。遅刻するよ。

みちこ 行かない。休む。

母   行きなさい!

みちこ 行けない!

母   どうして行けないの。理由を言いなさい、理由を。テスト勉強できてないの?

    先生が嫌いなの? 友達とけんかしたの?

みちこ 違ーう。そんなんじゃない。けど行けないの。

母   いったい何なの?

白熊  お母さん、理由をはっきり言えないことだってありますから。

母   理由が言えないの。じゃ、ずる休みなんじゃない!

みちこ 具合が悪いのよ。

母   うそです。昨日もそんなこと言って、元気だったじゃない。ちゃんとご飯も食

    べられたし。大体、顔見れば具合が悪いかどうかぐらい分かるわよ。


   母、部屋の中を見渡しているが、みちこの携帯を見て、


母   携帯、どうして電源切ってるの?

みちこ いらないから。

母   いらない?

みちこ もう使わないから。

母   (携帯の電源を入れて操作しながら)こんなに来てるよ。電話もメールも。

みちこ (起き上がって母から携帯を取る)見ないで!

母   どうしたの? 何があったの?

 

   みちこ、布団の上に座り込んで黙っている。

   暗転 母、退場

   白熊が前に出て独白


白熊  あれから、みっちゃんは学校へ行っていません。お母さんももう、起きろとは

    言いません。なぜみっちゃんが学校へ行けないのか、それは…。

はるか (声)みっちゃん。みっちゃん、いる?


   白熊下がり、明転 はるか、登場


はるか ノート持ってきたよ。

みちこ ありがとう。

はるか 今週はクラスマッチだったでしょ。授業二日しかなかったから、これだけ。

みちこ はるか、焼けたんじゃない?

はるか そー。意外とさ、曇りの日って焼けるんだよね。

みちこ うちのクラスどうだった?

はるか 総合三位! 卓球で一位。うち卓球経験者多いじゃない。

    みんなして五十嵐先生のおごりで、アイス食べた。

みちこ よかったね。私も行きたかったな。

はるか アイスじゃなかったら持ってきてあげたんだけどね。

みちこ 先生から、講習の後に学校来たらって電話あったんだけど。

はるか そう。講習終わったら、部活以外は人来ないからね。

みちこ お母さんも行けって言うんだけど。なんか、行けないっぽい。

はるか 行こうよ。私も一緒に行ってあげるよ。

みちこ そうね。はるちゃんといっしょなら…でも、やっぱりだめみたい。

はるか だめかなー。ま、夏休みの間に気分替えて、区切りよく二学期から行くってい

    うのがいいかも。

    …でさ、メールのことだけど、いい?

みちこ …うん。

はるか あやしいってにらんだのが、ちさとたちなの。

みちこ ええ?

はるか みちこにうらみ持ってる奴っていったら、ちさとよ。かずやにふられたの、み

    ちこのせいだと思ってるみたいだから。

みちこ 私、かずや君と、なんでもない!

はるか わかってるわかってる。わかってないのは、ちさと。でさ、みちこが休んでる

    ことで何か言ってるかどうか探ってみてるんだけど、まだ反応ないんだな。

みちこ 他の人は、このこと知ってるの?

はるか うーん、私の聞いた範囲では大体三人に一人は知ってる。

みちこ …やっぱりみんな知ってるんだ。はるかなんかと違って、私のこと知らない人

    が見たら、本当のことだと思うんじゃない?すごく怖いの。みんなが私の噂し

    てると思うと。でも、私どうしようもないじゃない。みんなにひとりずつ、あ

    れは違いますから、嘘ですからって言って回るなんて出来ないし。

はるか ひどいよね。自分の姿は隠して、あることないこと広めるなんて。絶対許せな

    い。

みちこ なんでこんなことすんの? 人の悪口すんのがそんなに面白いの?

はるか みっちゃん。みっちゃんの気持ち分かるけど、あんまり考え過ぎない方がいい

    よ。

みちこ 考えたくなんかないけど、頭から離れないよ。

はるか そんなこと言わないで、しっかりしなくちゃ。

みちこ …うん。


   先生が訪ねてくる。母といっしょにみちこの部屋に入ってくる。


母   みちこ、五十嵐先生来てくださったよ。

先生  こんにちは。

はるか・みちこ こんにちは。

先生  あら、はるかさん、来てたの?

みちこ 授業のノートとって来てくれるんです。

先生  そうだったね。ありがとう。でも今ちょっとみちこさんとお話ししたいの。

    ごめんなさいね。

はるか じゃあ、私帰ります。さようなら。

先生  さようなら。

みちこ どうもありがとう。バイバイ。

はるか バイバイ。

先生  いいお友達ね。はるかさんみたいな人もいるんだから来ればいいのに。

みちこ はい…。

先生  元気そうじゃない。

みちこ 散歩とかもしてるし。

先生  でさ、お母さんにも学校に来てもらって話したんだけどね、学校でも一応調べ

    てみたのね、匿名のアンケートとって、こんな例があるけどって、あなたのこ

    とだって分からないようにしてね。

みちこ …。

先生  で、ね。皆さ、そういうメール、チェーンメールって言うの、ずいぶんあるら

    しくて、その中に確かにあなたのことを書いたメールもあったの。大体二〇人

    くらいかな、学年で。で、送ってきた相手はバラバラで、他の学校の生徒から

    のが多いの。で、これをたどってさかのぼっていけるかっていうと、むずかし

    いんだな。

 

   母、麦茶を持ってくる。


先生  ああ、どうも。お構いなく。

    ねえ、心当たりって、本当にないかしらね?

みちこ …本当にないんです。

母   でも、もしあったって、先生に言ってもどうしようもないんじゃないですか?

    先生、その心当たりの子に聞いてみるんですか? それで、ハイ私ですって言

    うでしょうか?

先生  それはむずかしいです。たしかに。でも対象を絞った方が、解決に近づくんじ

    ゃないでしょうか。

母   解決って何ですか? もうどのくらいの間、このメールが回ってるんでしょ

    う。これどこかで止められるんですか? 名前も住所も写真も皆入ってるんで

    すよ。そこらじゅうの人から見られてるようで、町中も歩けないんです!

先生  お気持ちは分かります。でも、学校としては、限界がありますね。警察に言っ

    ても、まず…。

    ただ、こんな中傷は無視して、堂々と生きていれば、陰で指さす人もいなくな

    るんじゃないでしょうか。

母   そんなことしか言えないんですか? 学校って。

先生  そんなことって…。私たちはみちこさんのことを第一に考えてます。犯人を下

    手に刺激したら、またどんなメールを回すかも知れませんし。遠回しに、こっ

    ちは分かってるぞってメッセージを送るということもありますし。

母   先生、悔しいんです。なんでうちの子がこんな目にあわなきゃならないんでし

    ょうか。本当に悔しいです。

みちこ 先生、先生はメール見たんですか?

先生  私は見てないの。内容は大体聞いて分かってるつもりだけど。

母   私、見ましたけど、無理やりこの子の携帯見たんですけど、あんなことこの子

    がするはずないですよ。ひどい中傷です。

    先生こないだ、他の学校でもあるんだっておっしゃいましたよね。たいていは

    犯人分からずに、被害者が学校やめていくんだって。そんなばかなこと許され

    ていいんですか?学校で携帯持たせないようにできないんでしょうかね。法律

    で規制できないんでしょうか?

先生  …。

母   すみません。先生を責めてるんじゃないんです。こんな世の中がおかしいんだ

    と思います。

先生  本当に何と言ったらいいか…。いずれ校長からもお話があると思いますの

    で…。

    …じゃあ、これ予定表ね。講習が終わったら私ずっとあいてるから、好きなと

    きに来てくれたらいいから。

    授業日と違って、休業中は気分が変わるから来やすいんじゃない?

みちこ …はい。

先生  それじゃあ、失礼します。


   母、一緒に部屋を出る。みちこ、お茶を片づける。


みちこ …学校やめていくって、私もそうなるって言うの? なんで? なんで私がそ

    うなるの?(縫いぐるみをなぐる)チクショー。チクショー。


   白熊、痛がる。みちこ、縫いぐるみを振り回したり、叩きつけたりする。


みちこ あ。(縫いぐるみの一部が取れる)

白熊  ああ! イタタタッ!。(黒子の同じ部分も取れている)

みちこ (我に返って)ごめん、ピース。ごめんね。


   縫いぐるみを繕うみちこ。

   母、戻ってくる。


母   あら、お母さん縫ってあげたのに。

みちこ いい。自分でするから。

母   ずいぶん痛んでたんだね。それも古いからねー。

みちこ 晩ご飯何? 手伝うよ。

母   何かもう疲れちゃったね。ちょっと早いけど、どっか食べに行こうか?

みちこ 賛成。

母   何か食べたいものある?

みちこ うーん、なんでもいい。


   二人、退場。縫いぐるみ達、登場

 

3場


ゴリラ 大変だなーお前。

白熊  いや、大したことないから。(取れた部分が付いている)

象   大したことないって、こないだ鼻取れて、今度は耳取れてるじゃん。

白熊  ちゃんと縫いつけてくれるから。

ゴリラ 後で縫いつけるくらいなら、最初から取るなって、な。

象   しかし何で白熊にばっかりあたるんだろう。こっちのゴリラでも良さそうなの

    に。

ゴリラ よせよ。

象   やっぱり、一番古いからじゃないかな。僕は七年だし、ゴリラ君はまだ五年だ

    ろ。十年とじゃ、そりゃ一体感が違うよね。

    よく、泣きながら白熊君を抱いてたよね。何か一生懸命話しかけてさ。

ゴリラ へえ。かわいさ余って憎さ百倍ってか。

白熊  小さい頃は、悲しいこと、うれしいこと、何でも話してくれたよ。僕は何でも

    聞いてあげた。中学生くらいからかな、あんまり話さなくなったのは。

ゴリラ 俺は、そんなことしてもらったことないぞ。

象   その代わり、あたられることもないんだから。

ゴリラ そういうことか。

象   でも、苦しいからってあたられたらたまんないね。

白熊  みっちゃんの気持ち分かってあげてよ。

象   なかなか人の気持ちなんて、分からないよね。

ゴリラ 分かりたくもないね。さあ、気分転換に遊びに行こうぜ。

 

   象・ゴリラ・白熊、退場

   みちこ、登場

 

4場


みちこ (帽子をかぶっている)外、行ってくる。

母   どこまで?

みちこ 小松書店。

母   気をつけてね。

みちこ うん。


   町を歩いているみちこ。アイスキャンデー屋が来る。

   通り過ぎようとして立ち止まるみちこ。


みちこ 一本ください。

アイス はいよ。一本百両ね。

みちこ おいしい。冷たくて。

アイス アイス、あいす。我は冷たき汝を愛す。
みちこ ?
アイス 人生いろいろ。愛もいろいろ。


   あい、登場。

   みちこやや引く。

 

あい  一本ちょうだい。

アイス はいよ。一本百両ね。


   二人の少女、並んで座る形になる。


アイス あんたたち、もう高校は夏休みかい?

あい  休みじゃないけど、行ってないんだよ。

アイス ありゃ、それじゃ君たち登校拒否か。

あい  今は「不登校」って言うんだよ。

アイス はー。

みちこ 私、違います。ちゃんといってます。ちょっと具合が悪くて少し休んだけ

    ど…。

あい  あなたどこの学校?

みちこ …。

あい  私、一高。あなたはうちの学校じゃ見かけないから、二高かな。

みちこ どうして分かるの?!

あい  顔つき見れば分かるわよ。

みちこ …あなたはどうして学校行かないの。

あい  どうしてって、あんたと同じよ。ちょっと具合が悪いのよ。

    あのさ、そんなにびくびくしないで堂々としてなさいよ。何も悪いことしてい

    るわけじゃないんだからさ。

みちこ 私、どこか体が悪いんじゃなくて、ただ…。

あい  人が信じられないんでしょ。

みちこ …ええ。

あい  やっぱり同じだ。

みちこ あなた、いつから?

あい  私? もう一年半かな。時々は行ってるから何とか進級できたけどね。

    あんた、保健室も行けないの?

みちこ ていうか、高校生といっしょにいられない。どうしてか自分でも分からない。

    何でもないことなのかもしれない。知らんぷりして生きていられたら、どんな

    にいいだろう。でもダメなの。足がすくんじゃうの。

あい  人より感受性が強いんだよ。いいことじゃない。鈍感な阿呆どもとは違ってる

    んだって、優越感持てばいいんだよ。ダメなのはあいつらなんだから。

    これ私の名刺。

みちこ やました・あい、さん?

あい  平凡な名前でしょ。メールちょうだい。

みちこ 私、携帯ダメなの。

あい  ダメって、持ってないの?

みちこ 持ってるけど、触れないし、見るのも嫌。

あい  はー、インターネットできる? じゃあホームページ見てよ。そこのURL

    ね。まめに更新してるから。

みちこ 私、さとうみちこ。やっぱり平凡ね(笑)。

    こんなに気楽に話せたのひさしぶり。

    今はこうやって昼の時間に出歩けるけど、夏休みが始まったらみんな休みじゃ

    ない。どうなるんだろう?

あい  びくびくしてたらさ、かえってバカにされるんだよ。もっと自分を強くしなく

    ちゃ。もっと、あいつらにインパクト与えてやらなきゃ。相手がびびって引い

    ていくくらいにね。

みちこ ?

あい  見て。(左手首のリストバンドを取る。リストカットの痕が多数、生々しい)

みちこ !

あい  この傷見たら、たいていの奴は引くよ。

みちこ どうして、そんなことするの?

あい  どうして? あんたなら、分かるんじゃないの?

みちこ 私、分からない。…あの、もう帰らなきゃならないから。ごめんね。


   みちこ、退場。


アイス 学生さんも帰ったら?

あい  そうね。おじさん、売れてる?

アイス 売れなくてもいいの。道楽でやってんだから。それより学生さんはそんなこと

    して、親に心配かけてないかな?

あい  してるかもね、心配。だけど、私が切った手の痛み、親が感じてくれるわけじ

    ゃないんだよ。それに今時さ、親孝行なんて古いんだよ。親は親、子供は子供

    なんだから。

アイス ふうん。でもね、子供もいつかは親になって、子供の心配して、そうして年寄

    りになるんだよ。ま、おじさんもあんたぐらいの時には分からなかったけど

    な。じゃあ年寄りは帰ろう。

あい  さよなら。

アイス さようなら。


   アイスキャンデー屋、退場


あい  確かにね、切らない方がいいよね。意外と自分を切ってるようで、親を切って

    るのかも知れないからね。


   あい、退場

   後景暗転 縫いぐるみたち、登場

 

5場


ゴリラ 象くん、象くん。

象   なんだいゴリラくん。

ゴリラ 今度さ、保険に入ろうと思うんだ。

象   保険?

ゴリラ ほら、地震とか台風とか自然災害多いだろう。

象   ゴリラくん、なくして困るような物、何も持ってないだろ?

ゴリラ (バナナを取り出して)これ。これがないとダメなんだなー俺。

白熊  買ったときからセットだったもんな。

ゴリラ でさ、保険に入るのに判子いるんだよ。印鑑。

象   そうだろうね。

ゴリラ 判子作らなきゃならないんだけど、君もどう? 判子作ったら?

象   そうだねー。

ゴリラ そんで、判子って言ったらやっぱりさ。

象   やっぱり?

ゴリラ なあ、白熊くん。

白熊  え? 何?

ゴリラ 判子の材料と言えば。

白熊  翡翠かな? 琥珀かな? 水牛の角かな?

象   象牙じゃない?


   三匹、顔を見合わせる。象逃げる。ゴリラ、象を追って退場。


白熊  夏休みになっても、みっちゃんは学校に行けませんでした。

    まったく外出しないわけではありません。天気の悪い日とか、高校生の来ない

    ような所とかはなんとか出て行けるようです。


   前景明転

   雨の音

 

6場


母   みちこ、お母さん仕事だから、買い物行ってきて。買う物メモしてあるから。

みちこ いいけど。

母   雨降ってるから自転車無理だからね。牛乳とか重い物ないから歩いて行って。

みちこ うん。

母   はいお金。これ会員カード。じゃ行ってきます。

みちこ 行ってらっしゃい。


   母、退場

   みちこ、買い物のメモを見ている。


みちこ …雨降ってるからいいか。スーパーで会っちゃうかな。この時間ならいないか

    な。


   みちこ、退場

   後景に傘を差して歩いてくるみちこ。買い物の袋を下げている。

   反対側からはるかと友人達が歩いて来る。みちこ、気付いて隠れる。

   はるか達は映画の帰りのようであり、もっぱらその話をしている。


はるか ヨーダ、かっこよかったねー。

友人A でもCGじゃん。やっぱ役者でしょ。ダースベイダー、かっこいいじゃん。

友人B あ、メール。あれ、チェンメだよ。

友人A 見せて。やだ、名前入ってるし。

はるか 消しちゃえよ。

友人A 知ってる人?

友人B 知らない。誰がこんなの回すかって。

友人A でも回ってくるのって、女のことばっかじゃね?

友人B 女は怖いねー。

友人A お前だって女じゃん。

友人B だけどさ。

はるか うっさいなー。せっかくの映画の余韻がだいなしでしょー。

友人A ごめん。ってか、こいつが悪いんだろ。このメール回してくる奴が。

はるか みちこのこと思い出すの。

友人B やっぱ、うざい?

はるか うざくないけど、何言っても聞かないんだもの。こっちだって暇じゃないの

    に。

友人A あーら、冷たいのね。小学校以来の親友なんでしょ。

はるか やめてよ、そういうの。いつまでも引きずるの。


   三人通り過ぎようとする。一人が隠れているみちこに気づく。


友人A あれ? みちこじゃない?

はるか え?

友人B ねえ、今ちょうど話してたの、あなたのこと。へえ、家から出られるんだ。引

    きこもってるのかと思った。


   みちこ、動けない。


はるか みっちゃん。買い物?


   みちこ、帰ろうとする。


友人A あら、シカト? 心配してるんじゃない、ねえ。

友人B 気ィ使ってるのに。

はるか やめなよ。みっちゃんも何か言って。この子達は味方だから。

友人B はるかがノート持って行ってるのみんな知ってるのよ。少しは感謝してる?

はるか そんなのいいから。

みちこ 感謝してる。

友人A 他の人はどうでも、私たちはみちこのこと信じてあげるよ。

みちこ 無理して味方しなくていいよ。


   みちこ、小走りに去る。


はるか みっちゃん。

友人A 何あれ。

友人B おかしいんでね? あ、おかしいから不登校なのか。

はるか ちょっと、そんなこと言わないでよ!

友人B 何? 私が悪いわけ?

はるか そうじゃないけどー。…もう嫌だ!


   はるかたち、退場

   暗転 袖に白熊登場

 

7場


白熊  みっちゃんはずいぶん暗い感じで帰ってきました。そして、あの子に電話をか

    けたのです。

みちこ (声)もしもし。あ、私、みちこって言います。こないだアイスキャンデーい

    っしょに食べたの覚えてますか?突然ごめんなさい。一度お話ししたいなって

    思って。うん。うん。私の部屋で良かったら。うん。じゃあ。


   前景明転 みちこの部屋

   あいが来ている。白熊の縫いぐるみを見たり、いじったりしている。みちこ、お

   菓子など持って入ってくる。


あい  だからさ、私は引きこもりになんかならないの。カラオケで思いっきり歌って

    さ、怒鳴り散らして、とにかく外にぶつけてやるんだ。

みちこ すごいんだね。

あい  クラス全員からシカトされた時思ったんだ。負けないぞ、私の方がクラス全部

    をシカトしてるんだって考えて、胸張って歩いてた。でもね、家に帰ると、ど

    っと疲れが出てさ。何しても消えないの。

みちこ 私も自分のことがメールで回ってるって知ったときは、なんか足から地面に沈

    んで行くみたいな感じで、震えが止まらなかった。

あい  私はね、今無視されていることよりも、明日もまた、誰からも無視されてしま

    うんじゃないかって思うことの方が怖いの。でも、思ってしまう。自分で自分

    を怖がらせている。そんな自分が嫌なの。

みちこ うん、分かる。私も自分が嫌で、なんでこんなんだろうって思うの。

あい  灰皿ある?(煙草を取り出す)

みちこ え? いえ、ないけど。

あい  ちぇっ。(煙草をしまう)あんたこれからどうするの?

みちこ これから?

あい  どう考えてるの? 夏休み終わったら学校行けるの?

みちこ 何か先生みたいなこと言うのね。

あい  先公なんかどうでもいいんだよ。自分だろう、自分。ずっと学校行かないで何

    するんだよって言ってんだよ。

みちこ わからないからあなたの話聞いてるんじゃない。

あい  だから、逃げるなって言ってんだろ。怖さに負ける自分から逃げるなよ。そん

    な弱虫の自分は追い出すんだ、ってずっと言ってたんだけど。

みちこ 私が何か悪いことしてるみたいな言い方ね。

あい  あ、そんなことないから。私、言い方きついから。ごめんごめん。気にしない

    で。…私、帰る。今日は初めてなのに熱くなってごめんね。今度は好きな音楽

    の話でもしよう。あなたの好きなCD貸してくれる?

みちこ そこにあるから好きなの持ってって。

あい  ふーん。(棚のCDを手にとって見ている)

白熊  みっちゃん、僕、あの子気に入らないな。

みちこ (独白)…はるちゃんが悪いんだ。はるちゃんが私のことあんなふうに言わな

    きゃ、電話しなかったのに。

白熊  あの子と話、合う? なんか嫌な感じしない?

みちこ やな感じ。これからどうするって…。行かなきゃしょうがないじゃない。卒業

    しなきゃ。そんなん分かってるって。あんたみたいに叫んで気晴らしできたら

    簡単なんだよ。

白熊  そうだよ。

みちこ でも、学校に行けるんだから、何か私と違うとこがあるんじゃないかな。

あい  何かぴんと来ないな。全然趣味違うね。

みちこ そうお? 友達みんないいって言ってるんだけど。

あい  へー友達ねえ。友達なんてすぐ裏切るからね。あんたもさんざん嫌な目にあっ

    たんでしょ。

みちこ はるかは違う。

あい  誰だって同じだよ。

みちこ あなたの友達はそうかもしれないけど。はるかは違う。

あい  はは、そんないい友達いるんだったら、学校行きなよ。甘えてんじゃねーよ。

みちこ 勝手なこと言わないで。

あい  あんたは、私の気持ちが分かるって行ったわね。でもね、あんたには私の心の

    痛みは分からないのよ。体を傷つける痛みとどっちが痛いか…分かる?

    あんたみたいな人が一番憎いのよ。人の心の中に入ってきて、掻き回して、沈

    んでいるゴミを浮き上がらせるの。

    ここしばらくは切ってなかったのよ。でも昨日久しぶりにやっちゃった。あん

    たのこと思い出すとむかついちゃってさ。


   あい、生々しい傷跡を見せる。


みちこ …医者行ったら?

あい  バカ。リスカやって医者行くか。痛いときは薬飲むんだよ。

    もう、こんな所に来るんじゃなかった。あんたね、私をこんなに苦しませたん

    だから、謝ってよ。土下座して謝れよ。

みちこ 何で私が謝るのよ!

あい  痛みが分かるんだったら、自分でやってみろよ。やったこともなくて分かんの

    か。なんなら今ここでやってやろうか。(カミソリを取り出す)

みちこ 嫌だ、何するの!

白熊  やめろよ!

あい  ふん、こんな縫いぐるみに抱っこしてメソメソしやがって。(白熊にカミソリ

    を向ける)甘えてんじゃないよ。

みちこ やめて!

 

   あい、縫いぐるみの白熊に切りつけようとする。

   みちこ、あいを突き飛ばして縫いぐるみを抱く。


みちこ 帰って! 帰ってよ!

あい  あんたが悪いんだからね。あんたに呼ばれたから来たのよ。迷惑したのはこっ

    ちなんだから!


   あい、退場


みちこ あんな人だと思わなかった。やっぱりはるちゃんじゃないとだめなんだ。

    だけど、なんでー。なんではるかまで私を見捨てるの。

    …ごめんねはるちゃん。私が悪いんだ。私が悪いんだ。

白熊  みっちゃん、そんなに苦しまないで。落ち着いて。

みちこ どうせ甘えてるんだよ私は。そんなの分かってるんだよ! 

    バカ、バカ、バカ。バカヤロー!


   みちこ、白熊の縫いぐるみにあたる。

   みちこ、あいの残したカミソリを手にする。


みちこ みんな、みんな死んじまえ!

白熊  え? やめて、やめてよ。いや、いやだー。


   みちこ、縫いぐるみの腹を切り裂く。


白熊  あーっ!


   みちこ、さらに切り続ける。


白熊  そんなに、そんなに苦しいの?

    これで気が済むなら、僕の体はどうなってもいい。気の済むまで僕を傷つけ

    て。それでいいんだ。君の苦しみ、君の悲しみが僕には分かる。僕はそれを受

    け止めてあげる!

 

   気息奄々の白熊。みちこも疲れて、縫いぐるみに抱きついて寝てしまう。

   白熊が寄り添っている。

   ゴリラと象、登場。

 

8場


ゴリラ あのさあ、お前が痛みを引き受けても何の解決にもならないんじゃないかな。

象   そうだよ、根本的にみっちゃんを救うことはできないし。

白熊  いいんだよ。誰だって自分で自分を傷つけるのが一番苦しいんじゃないかな。

    僕を切ることで少しでも楽になってくれたらそれでいいんだよ。

ゴリラ こんなこと続いたら体が持たないだろ。

象   だいぶ中身が出ちゃったみたいだね。

白熊  今は僕がいないとみっちゃんがダメになるから。

象   犠牲的精神だね。

ゴリラ いつまでもつか…。

    縫いぐるみなんてさ、結局ボロボロにされて捨てられるものなんだよ。ちっち

    ゃい頃は、友達みたいにしててさ、大人になったらそんなことけろっと忘れて

    しまうのさ。

白熊  みっちゃんは違うよ。

ゴリラ みんな、自分だけはって思うのさ。

    けど、白熊が、これ以上切るところがなくなったらどうするのかな。

象   次は僕たちかもしれないね。

ゴリラ こりゃ、さっさと逃げ出すに越したことはないな。

象   あ、お母さんが来る。

母   入るよ。(返事がない)寝てるの?

 

   母、みちこの部屋に入ってくる。寝ているみちこを気遣うが、傷ついてボロボロ

   の縫いぐるみを見て驚く。


母   みちこ、何してるのこれ! あんたこんなことして。

みちこ …。

母   あんたは学校に行かないで何してるの!お母さんの気持ちも考えてよ。近所歩

    くのも気詰まりなんだから。お母さん、二人の生活支えていくだけで精一杯な

    んだから、よけいな心配かけないで。

みちこ 黙ってて!聞きたくない。

母   言いたいことがあったら言いなさい! 物に当たらないで! こんなひどいこ

    として、これ見て心が痛まないの?

みちこ うるさーい! 痛いんだよ。もう心なんかボロボロなんだよ! そうだよ、こ

    の白熊が私の心なんだよ!

母   やめて。お母さん、もうこんなの見たくないの!

みちこ 見たくないなら捨てろよ!(縫いぐるみを母親に投げつける)


   母、足下の縫いぐるみを見ている。


母   あなたのために買ったんだから、あなたがいらないのなら、本当に捨てるわ

    よ?

みちこ …。

白熊  みっちゃん?

母   本当にいいのね?

みちこ …いいよ。

白熊  みっちゃん!


   母、縫いぐるみを抱いて退場

   白熊、退場。ゴリラと象、それを見送る。

   音楽 暗転

   トップの中に白熊


白熊  僕はこうしてみっちゃんのもとを離れることになりました。

    お母さんは僕を大事そうにビニールで包んで、粗大ゴミ置き場に持っていきま

    した。お母さんにとっても、思い出のつまった大切な品物だったからです。そ

    れでも捨てたのは、みっちゃんに僕を切らせるのが忍びなかったからでしょ

    う。

 

9場


   白熊、歩いてゴミ捨て場に移動する。


白熊  ひとりぼっちだ…。

    野生の白熊は、親離れした後は一人で生きていくんだよな。さびしくないのか

    な? 僕はこれで親離れしたって事かな?

    みっちゃん、君には今、お母さんも友達もいる。僕がいなくなっても大丈夫だ

    よ。…僕にはもう誰もいない。


   粗大ゴミ捨て場に、ビニールで包んだ白熊の縫いぐるみが置いてある。

   みちこ、登場


白熊  みっちゃん! どうしたの? 何しに来たの? 僕を捨てたんでしょう?

    もう僕はいらないんだろう。

みちこ 本当に捨てちゃったんだ。

    私のせいだ。なんであんなにいじめたんだろう。

    ピース。私から離れて安心した? もう傷つけられることもないね。

    でも、お前はいいよ。そうやって逃げられるんだから。でも私は、どうしたっ

    て、どこにも、逃げられないの。誰にも助けてもらえないの。どうしたらいい

    の…?

    いじめて悪かったと思ってる。悪い親だったね。ごめん。さよなら。


   みちこ、去る。

   白熊、呆然として聞いている。

   小学生、登場。じっと縫いぐるみを見ているが、やがて持ち去ろうとする。

   黙って見ていた白熊、持ち去られるときになって叫ぶ。


白熊  みっちゃーん!(退場)


   しばしの時間。

   みちこが再び登場。白熊を探すがいないことを知る。


みちこ いない。ピースだけいない。

    嫌になったんだよね。こんな私のとこにいるのが。誰かに拾ってもらったんだ

    ね。そのほうがいい。そのほうが…。


   帰ろうとするところへ、母子が登場。子どもが白熊を抱えている。子どもに白熊

   を元の場所に捨てさせようとする。みちこ駆け寄る。


みちこ それ。あの。それ私が捨てたんです。だけど、やっぱり捨てないことにしよう

    って…。

母   え? こんなボロボロな熊、拾ってくるんじゃないって、怒ったんですよ。

    あなたも大事な物なら捨てなけりゃいいのに。さ、お返しなさい。


   みちこ、子どもから縫いぐるみを受け取る。

   母子、去る。

   みちこ、縫いぐるみをひしと抱きしめる。

   白熊、登場


みちこ ピース。ピース、ごめん。いらないなんて言って。もう傷つけたりしないか

    ら。約束する。

白熊  ううん、謝るのは僕の方だ。最後まで君の傍にいるべきだったのに。ごめん。


   みちこ、縫いぐるみを持って退場。白熊も移動。

   暗転 音楽

   明転 夜、はるかのノートを見ながら勉強するみちこ。

 

10場


みちこ 分からない。全然分からない。どうしたらこんなの解けるの?

    はるちゃん、私、分からないよ。

    みんな勉強してるよー。みんなに遅れちゃうよー。進学できないよー。

    はは、卒業もできないのに、進学だって、はは。

    チクショー、チクショー。


   みちこ、カミソリを取り出す。白熊、おびえる。


みちこ 自分でやってみないでわかるかって…、そうだよね。自分でやってみなくち

    ゃ。


   左手の指先を切ろうとする。なかなか切れない。


みちこ 力入らない。もっと強く切らなきゃ。


   少し切れる。


みちこ あっ!


   指先を見ている。今度は手首の内側を切ろうとするが、なかなかできない。

   その背後にあいが浮かび出る。いとも簡単に手首を切る。

   血が流れ出るが、かまわない。


白熊  やめろ、やめるんだ!


   みちこ、再び切る。今度は強く。


みちこ あーっ。


   みちこ、タオルを取り出し、自分の腕にあてる。タオルが赤く染まっていく。


白熊  そんなことしないで!自分を傷つけるんだったら、僕を切ってくれ!

    僕はもう逃げないから。君の痛みに最後までつきあうから!。


   あい、消える。

   ゴリラと象、登場。


ゴリラ もう、嫌だ。

象   もう、我慢できない。

ゴリラ こんな飼い主はごめんだ。

象   こんな友達もごめんだ。

ゴリラ なんでこんなところへ戻ってきた。

象   どうして言うことを聞かない。

白熊  何? なんなの?

象   僕を切ってくれって?

ゴリラ 君の痛みにつきあうって?

白熊  そうだよ。だって見ちゃいられないだろ?

ゴリラ 自分のせいだろ、そんなの。

象   ちょっと噂立てられたくらいで逃げてるから、こうなるんだ。

白熊  ちょっとって、…ひどいな。

象   甘やかすからだめなんだ。

ゴリラ 回りがどんどんだめにしているんだよ。

白熊  回りって、僕のこと?

象   みんなだよ、みんな。

ゴリラ 親切めかした友達も、我が身大事の先生も、世間体気にしィの母親も、エゴイ

    ストのリストカッターも。

象   人のこと本気で心配する奴なんかいない。うらやましくてねたましいから足引

    っ張るか、うざくてきもいからいじめてやるか、どっちかしかないんだよ。

白熊  違うよ。そんなことない。

ゴリラ いい子ちゃんじゃ生きていけないって。いい加減分かれよ。

象   代わりに切られても切られなくても、同じだっただろ。関係ないんだよそんな

    こと。ただの自己満足なんだよ。

白熊  なんてこと、言うんだ。そんなこと考えてるのか。

    君たちなんか友達じゃない!

ゴリラ・象 この世に「友達」なんていないんだよ!

    そんなことも知らなかったのか! ばーか。ハハハ…。


   ゴリラと象、退場。白熊、闇の中に取り残される。

   次第に朝になる。

   母、登場。白熊の縫いぐるみがあることに気づく。

 

11場


母   戻ってきてる…。


   母、みちこの腕の血染めのタオルに気づく。タオルを取り、傷を見て驚く。

   みちこ、痛みで目を覚ます。


母   みちこ。まさかこれ、自分でしたの?

みちこ …。

母   なんでこんなことするの。お医者さん行かなくちゃ。

みちこ 医者に行くのはバカだって。

母   え?

みちこ リストカットやって、医者に行くバカいないって。もう、こんな自分が嫌な

    の。もう、死んだっていいの。


   母、みちこを平手で打つ。


母   みちこ! 良く聞きなさい! 母さんね、あなたを赤ちゃんの時から、けがし

    ないように、病気しないように、心を込めて育ててきたの。だから自分を大事

    にして!

みちこ …だって、みんな、私から離れていくんだもの。

母   お母さんは離れないよ。いくら喧嘩したって、愚痴を言ったって、離れたりで

    きないよ。親子だもの。あなただってピースを連れて帰ったじゃない。

みちこ ピースは仕方なく私についてるんじゃない? 他にお母さんがいないんだも

    の。めんどうみてくれれば、飼育係の人にだってなつくじゃない。

母   ピースは、誰が飼育係でも同じようになついたかな?その人がピースを愛した

    からでしょう?

    …ね、その傷、深そうだから、医者に行こう。跡が残らないように。

みちこ …うん。


   母、みちこを連れて部屋を出る。

   白熊が残る。ゴリラと象の縫いぐるみを見るが黒子は現れない。


白熊  象君。ゴリラ君。

    …いないの? そうか。僕ももう行かなければ…。

    みっちゃん、長い間本当にありがとう! 君と一緒で僕は幸せだった!


   短い暗転 SE

   その間に白熊が消え、みちこが登場している。左手に包帯が巻いてある。

   はるかがやってくる。


はるか みっちゃん。入っていい?


   無言を黙認と見て、みちこの部屋に入る。


はるか みっちゃん。私のこと、怒ってるの? みっちゃんのこと忘れてみんなと楽し

    そうにしてたから?

みちこ 違うの。違うからいいの。

はるか これ、ノート。講習の分。

みちこ ありがとう。でも、それ見ても分からないから…。(受け取らない)

はるか …。


   みちこも黙っている。


はるか みっちゃん! 私こんなのいやだ! 前みたいに、話しして。こんな、ぐじゃ

    ぐじゃしたのいやだ。前は二人で何でも話してたじゃない。

みちこ 話したい。けど、できない。

はるか 何言ってるの。こんなみちこの方がだめでしょう。

みちこ お願い、今はだめ。

はるか みっちゃん、白熊の話してくれたよね。ピースの話。お母さん熊に見捨てられ

    たピースの気持ち、今の私の気持ちだよ。

    でもピースのお母さんも、今のみっちゃんみたいに、自分のことで精一杯だっ

    たんじゃないかな。だから白熊のお母さんもかわいそう。

    だけどね、みっちゃん、ここでくじけたら、ピースみたいに一生動物園の檻の

    中で暮らすしかないんだよ。わかる?

    …私、もう来ないから。みっちゃん、二学期になったら学校来てね。学校で会

    おうね。きっとね。待ってるから。


   みちこ、かすかにうなずく。はるか、去る。


みちこ 私、いろんなものを失くした。大切なものや、ほんとはいらなかったものを。

    今、私に何があるだろう? ボロボロな私の心。ボロボロなおまえ。


   音楽入る。ホリゾントに流れ雲

   奥に白熊が現れる。(少し様子が違って見える)


白熊  みっちゃん。見て、僕のいる所。ほら、こんなに広いよ。みっちゃんもそこか

    ら出てごらんよ。


   みちこ、立ち上がり、前に出、縫いぐるみを抱いて独白。


みちこ 私は、この汚れた傷ついた白熊を愛しています。この白熊だけが私の苦しみを

    わかってくれたから。私の苦しみを分かち合ってくれたから。

    私はこの子を傷つけてしまったけれど、捨てたりしたけれど、この子はこんな

    私を、ずっと黙って見ていてくれたから。

    私はこの小さな愛から歩き出そうと思います。


   白熊、みちこを見送る。

   音楽高まり、幕